はじめの一言
(明治維新を見て)
「偉大なる歴史上の変化というものは、決して一朝一夕にできるものではない。そして、過去にしっかりと根をはっている国民のみが、将来において花を咲かせ、果実を結ぶことを、日本の場合も立証している。(チェンバレン 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
はじめに、この記事では「ヨーロッパの歴史(欧州共通教科書)」から、できるだけ引用するようにした。
この本が良いのは、12人のヨーロッパ人の歴史家が、ヨーロッパ人の若者に対して書いた歴史教科書だということ。
日本人が日本人を対象に書いた「ヨーロッパの歴史」ではない。
この「ヨーロッパの歴史」は、このような意図がある。
本書は、ヨーロッパの青少年たちが学習に際して利用できるよう特別な配慮の下に作成され、ヨーロッパ史の教科書のひな形、最初の汎ヨーロッパ史的教科書とみなすことができるでしょう
ヨーロッパ人に共通するすべてのもの、ヨーロッパという語に一定の意味を与えるすべてのものを理解することができるのです
(ヨーロッパの歴史 東京書籍)
つまり、ヨーロッパ人として身につけるべき「歴史の認識」となる。
ヨーロッパの歴史を学ぶなら、ヨーロッパ人と同じ価値観や認識を持てるような本から学んだ方が絶対に良いよ。
今回の内容
・何で、ベトナム戦争は、あんなに大きな戦争になった?
・三十年戦争って?
・もう、戦いに疲れたよ。話し合おうか。
・何で、ベトナム戦争は、あんなに大きな戦争になった?
ある中学校でA君とB君がケンカをしたとする。
このとき、A君とB君に仲間がいなかったら、二人だけのケンカで終わる。
でも、A君B君それぞれに5人の仲間がいて、彼らが争いに加わったら、これは6人対6人の大きな争いになる。
このとき、問題が大きくなるポイントは、A君B君に仲間意識を持つ人たちいるかいないか、になる。
これを国際紛争に当てはめてみよう。
例えば、ベトナム戦争が、何であんな大きな戦争になったのか?
北ベトナムと南ベトナムだけなら、小さな戦争で終わったけど、アメリカやソ連・中国が加わって大きな戦争になった。
長谷川慶太郎氏の「軍事頭脳を持っているか (青春出版)」では、次のようにある。
あの戦争の本質は、ゲリラ戦争でもなければ、北と南のベトナム二国間の戦争でさえもなかった。まさにアメリカ対ソ連・中国という東西冷戦の「代理戦争」以外なにものでもなかった
ぜんぶソ連製の高射砲にソ連製の砲弾だ。それらが中国経由でいくらでも提供された。これではいくらアメリカが北ベトナムを空爆しても、北ベトナムが参る訳がない。
北ベトナムにソ連や中国が味方した理由は、「同じ社会主義陣営の国だから」という仲間意識によるもの。
南ベトナムにアメリカが見方した理由も同じ。
「同じ自由主義陣営の国だから」という仲間意識によるもの。
単純に仲間意識だけじゃなくて、損得も考えてそれぞれの国に味方していてんだけどね。
結果として、たくさんのベトナム人が殺されることになってしまった。
じっさい、「仲間意識」がなかったら問題は広がらない。
アフリカでのルワンダで、ツチ族とフツ族の争いが起きたとき、ルワンダ国内の争いで終わって、他の地域には広がらなかった。
この両民族に、「同じ仲間がやられている」と、「仲間意識」を感じる人たちが、現実には世界にいなかった。
民族とは関係なく、「人道的」にこの問題を取り組んだ人はいたけど。
ちょっと話がそれる。
日本にかんすることでいえば、いわゆる「慰安婦問題」での韓国の対応がこれに近いと思う。
これが日本と韓国の「従軍慰安婦」だけの問題だったら、日韓二国だけの問題となる。
でも韓国としては、これを「女性の人権問題」に拡大することで「国際問題」にしたかった。
そうすれば日韓だけではなくて、世界の多くの国を巻き込むことができる。
このばあいは、韓国に有利な展開でことが進んでいたと思う。
韓国は、この問題の「世界化」をねらっていたはず。
でも、去年この問題は国同士では完全に解決された。
韓国が昨年末にこの問題を終わりにしたのも、「従軍慰安婦問題の世界化」は、うまくいかないと判断したってことじゃないのかな。
日韓の大きな問題が解決したのは本当にいいことだ。
・三十年戦争って?
前置きが長くなってしまった。
ここからは三十年戦争の話です。
でもこれが、本当に分かりにくい。
新教徒(プロテスタント)と旧教徒(カトリック教徒)の争いに、さっきの「仲間意識」が複雑にからみ合っているから。
デタラメな設定だけど、大ざっぱイメージとしてこんな感じ。
静岡県に、教教徒と新教徒が住んでいるとする。
ある日静岡県で、新教徒と旧教徒の間で争いが始まる。
これが、県内の争いでは終わらない。
新教徒の愛知県の知事が静岡の新教徒を助けるために、愛知軍を率いて静岡に攻めこみ旧教徒側と戦う。
すると旧教徒の神奈川県の知事が旧教徒を助けるために、神奈川軍を率いて静岡に攻めこみ新教徒側と戦う。
さらに、東京都の知事が旧教徒で、神奈川県にお金を提供する。
こんな感じで「仲間意識」から他県の軍が入ってきてたり、他県同士で争ったりして大きな争いになる。
こんな争いが三十年続いて、静岡県はメチャクチャになる。
設定がメチャクチャだけど、三十年戦争のイメージとしては、こんな具合だと思う。
さっきのA君B君の例えだったら、それぞれの仲間がどんどん駆けつけてきて、大乱闘になってしまう感じ。
ドイツ国内の新教徒と旧教徒の争いからはじまって、「仲間意識」から外国も参戦する。
そしてヨーロッパ全土にわたる大きな戦争になってしまった。
三十年戦争とはこんなもの。
三十年戦争
1616~48ドイツを戦場とし、旧教を強制されたベーメンの反乱から始まり、神聖ローマ帝国全体の新旧両派諸侯の戦いへと拡大した。
スペインが旧教徒側を援助し、デンマークやスウェーデンが新教側にたって参戦するなど国際戦争に発展し、旧教国フランスが新教徒側にたって参戦した(世界史用語集 山川出版)
・ドイツの中で、新教徒と旧教徒の争いが起こる。
・旧教徒のスペインがドイツの旧教徒を支援して、新教徒たちと戦う。
・新教徒のデンマークやスウェーデンがドイツに攻めこみ、旧教徒たちと戦う。
ここには書いてないけど、新教徒のオランダとイギリスはデンマークに資金を援助をしている。
さらに三十年戦争には、ただの宗教戦争ではなくて覇権争いの一面もあった。
フランスは「ライバルのハプスブルク家をたたいておきたい」という理由でこの千戦争に加わっている。
・もう、戦いに疲れたよ。話し合おうか。
三十年も戦っていたら、人びとは疲れはててしまう。
それで、「もう、戦争をやめて話し合いで解決しよう」ということになって、各国の代表が集まって和平会議をすることになった。
ちなみに、「三十年戦争は、宗教戦争としては最後の戦争になったのである(詳細 世界史研究 山川出版)」と言われている。
この和平会議に基づく三十年戦争の講和条約が、「ウェストファリア条約」になる。
この会議は世界初の国際会議といわれるもので、4年間も会議が続けられていた。
三十年戦争というのは本当に複雑な問題だった。
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