外国人から見た日本と日本人 日本を知る15の言葉 ③

 

「愛くるしい日本国民の微笑、比類なき礼節、上品で果てしないお辞儀と明るく優美な表情には、はるかに心よさを覚えます。
(シドモア 明治時代)」

 

「日本の警察がいかに称賛すべきか、彼らがいかにもの静かに満ち、しかもいたる所にいてくれるか、あなたには想像できないでしょう。とにかく、いつでも手近にいて声をかけることができますし、しかも愛想がよいのです
(フレイザー 明治時代)」

 

「街を自動車で行くとき、ときどき手押し車などに道を妨げられることがあるが、そんなときにも車の運転手は静かに道の開くのを待ち、互いにののしり合ったり、大声で叫んだりすることはない。
(タゴール 大正時代)」

 

「日本には、一種の連続性という絆があり、それは、おそらく、永遠ではないとしても、今なお存続しているのです
(レヴィ・ストロース 昭和時代 )」

 

「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現われていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。
(パーマー 明治時代)」

 

 

「彼にその骨折り賃として何銭かをあげようとしたが、彼は、旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受け取らなかった。彼らは互いに親切であり、礼儀正しい。それは見ていてもたいへん気持ちがよい
(バード 明治時代)」

 

「日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである。
(ヒューブナー 明治時代)」

 

「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない。
(プロシャのオイレンブルグ使節団 幕末)」

 

(町を壊滅させた大津波の後の下田の様子を見て)
「誰もがいかなる人びとがそうありうるよりも、幸せで煩いから解放されているように見えた。
(オズボーン 江戸時代)」

 

「この愉快きわまる国での思い出を曇らせるいやな連想はまったくない。来る日来る日が、われわれがその中にいた国民の、友好的で寛容な性格の鮮やかな証拠を与えてくれた。
(オリファント 江戸時代)」

 

 

(日本人のほほ笑みについて)
「すべての礼儀の基本」であり、「生活のあらゆる場で、それがどんなに耐え難く悲しい状況であっても、このほほえみはどうしても必要なのであった。
(レガメ 明治時代)」

 

「精巧で芸術的な多くの作品がある。が、日本人にとってはあくまでも、日用品にすぎない。
(テオドール・デュレ)」

 

「ある幸運な午後、清水の祭りに参加する機会に恵まれました。ティーポット・ヒル全体が、まばゆい彩りの縮緬や紗を着た民衆、少女、子供たちで混雑し、飾り立てた家々は鮮やかさを競っています。
(シドモア 明治時代)」

 

「日本人は、総体的に、良い素質を有し、悪意がなく、交わって頗(すこぶ)る感じがよい。
(フランシスコ・ザビエル 戦国時代)」

 

「彼等の名誉心は、特別に強烈で、彼等に取っては、名誉が凡(すべ)てである。日本人は大抵貧乏である。しかし、武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は、一人もいない。
(フランシスコ・ザビエル 戦国時代)」

 

「シドモア日本紀行 講談社学術文庫」
「日本絶賛語録 小学館」
「逝きし日の面影 平凡社」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」より。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。