見た目で分かるカトリックとプロテスタント違いは、カトリックは「派手」で、プロテスタントは「地味」。
神父(カトリックの聖職者)の服は、白地に金の飾りがあったりして、「おおっ」と、目を引く感じ。
牧師(プロテスタントの聖職者)の服は地味で、シンプルな感じ。
いろいろときれいな祭服を着ているのが、神父さまで、牧師はどちらかというと黒のそっけない服、という見分け方もあります。
(キリスト教がわかる。AERA MOOK)
カトリックの教会は、ステンドグラスがあったり、マリアやキリストの像があったりして、内部の装飾がとにかく豪華で派手。写真の取りがいがある。
プロテスタントの教会は、内部がそっけない。
マリア像やキリスト教の像もないし、装飾もあまりなくて、すっきりしていて、落ち着きがある。あんまり写真は撮らないと思う。
・煉獄(れんごく)って?
でもキリスト教は見た目が大事なわけじゃない。
大切なことは、カトリリックとプロテスタント両派の考え方。
今回はカトリックとは違うプロテスタントの考え方を、前回よりもうちょっと、詳しく書いていく。
でもプロテスタントの考え方は、時代やプロテスタントのグループによって違う。
だから今回の記事の内容は、プロテスタントの基本的な考え方だと思ってほしい。
ボクが今までに聞いてきたプロテスタントの外国人の話と今まで読んできてキリスト教に関するいろんな本を頼りに書いていく。
「自己流」で、すべて正しいとは分からないけど、大きく違っていないとも思っている参考まで読んで。
間違っている部分があったら、教えてください。
ルター(プロテスタント)の考え方は前回紹介した。
だから今回は、その中の「煉獄(れんごく)は存在しないこと」というものを取り上げる。
・煉獄(れんごく)は存在しないこと。
さて煉獄(れんごく)って聞いたことある?
こんなもの。
煉獄
カトリックの教義において,死ぬ時に罪の状態にあるか,罪のつぐないを果たしていない状態にある霊魂が天国に入る前に一時苦しみを受ける場所。
(百科事典マイペディアの解説)
「天国に入る前に、苦しみを受ける場所」らしい。
「天国に行きたい」って思うのは、今の日本人も中世のヨーロッパ人も同じ。
でも、当時のヨーロッパ人にとって、「死ぬ時に罪の状態にあるか,罪のつぐないを果たしていない状態にある」かなんて、分かるはずがない。
だから、ヨーロッパにいたカトリック教徒は、「自分は、煉獄に入って苦しむのだろうか?」と、ものすごく不安になっていたはず。
現在の日本人でも、「死後、地獄におちる」と思ったら、怖くなるでしょ。
ただ、「地獄に落ちる」と聞いても、大人と子どもとでは、恐怖の大きさが違う。
当然、子どもの方が恐怖を感じる。震えあがるだろう。
この当時のヨーロッパの民衆は、この子どもの反応に近いと思う。
現在の日本人の成人とは、比べものにならないくらいの恐怖、死後の恐怖を感じていたはず。
・中世のヨーロッパ人って?
ちょっと、ここで当時のヨーロッパ人の民衆について話を書かせてほしい。
多分、当時のヨーロッパ人の教育水準は、今の日本の小学生より低かった。
読み書きができる人は、ほとんどいなかっただろうし、村から出ることなく一生を終えていた人も多い。
そもそも、高い教育を必要とするような生活はしていなかったはず。
彼らにはカトリック教会があれば良かった。
生まれてそこで名前をつけてもらって、結婚式をあげてもらって、死ねばそこで葬られる。
もちろんキリスト教についての情報は、カトリックの聖職者からしか話を聞いて得るしかなかった。
だから自分の生活や人生の中心は、カトリック教会だった、と言ってもいいだろう。
伝統的な考え方によれば、文字を読むのは知識人階層だけで、信仰のことがらをはじめとして、民衆は、知識と権威のあるひとから口述で知識を得るべきだとされた。
(宗教改革の真実 永田諒一)
一般の民衆が「キリスト教のことを知りたい」と思ってもムリ。
カトリックが使っていた聖書は、ラテン語で、普通のヨーロッパ人が生活で使っていた言語じゃなかった。
それ以前に、民衆は聖書を読むことを禁止されていたらしい。
一般信徒はもっぱら聖書の教えを聖職者からから口頭で聞き学ぶべきで、自ら聖書を読む必要はない、あるいは、読んではならないとされていた。(同書)
キリスト教のことや自分の生活や人生で大事なことは、すべて神父から教えてもらうしかなかっただろう。
この時代のカトリック教会は、信者をこのような存在だと考えていたと思う。
「私たちの言うことは、絶対に正しい。だから、あなたたちはそれを聞いて、言われたとおり行動すればいい。自分で考える必要はない」
こうした民衆にとって、カトリックの教会から、「煉獄で苦しみますよ」と言われたら、どれほどの恐怖を感じたか?
目の前が真っ暗になるような衝撃や恐怖を覚えたと思う。
でも、カトリックは恐怖だけではなく「救い」も与えた。
それが前に書いた免罪符(贖宥状)になる。
・恐怖を与えた後に救いを与える。
免罪符を売るときに、教会はこんな「宣伝」をした。
「これを買えば、死後の煉獄の苦しみから救われますよ」
この時代のヨーロッパで、カトリックの影響の大きさは、もう、言葉にはならないくらい。
カトリック教会の言うことに疑いを持った人もいただろうけど、ほとんどの人は、「死後の苦しみから救われるなら」と、こぞって免罪符を買い求めた。
贖宥状を購入すると、その罪は帳消しになり、死後、煉獄の苦しみを味わわずにすむとも教えられていた。
(宗教改革の真実 永田諒一)
カトリックによる「免罪符販売キャンペーン」が、巧妙(こうみょう)だったのは、この免罪符は、自分けじゃなくて、「もう亡くなっている人にも有効です」と言っていたこと。
あの世(煉獄)で苦しんでいる両親を、自分が免罪符を買うことによって救うことができれば、当然買うだろう。かなり無理をしてて購入するはず。
カトリックはこのキャンペーンで免罪符の販売を伸ばした。
それにしても、「あの世でも有効」っていう商品をつくることができるのも、まさに宗教ならでは。
さっきも書いたけど、民衆は聖書を読めないしキリスト教の教えも自分で知ることができない。
「免罪符はどうもおかしい」と思う民衆は、ほとんどいなかったようだ。
十六世の民衆が信仰に向かう態度は、今日、我々が想像する以上に素朴で情熱的だったようである。彼らは、神学論おろか、贖宥状が信仰の本質に適っているのかどうかと自問する発想もほとんどなかったと思われる。
(宗教改革の真実 永田諒一)
カトリックは始めに「死後、煉獄で苦しむよ」と人びとに言ってから、「でも、免罪符を買えば救われますよ」と伝えて、免罪符を販売している。
始めに恐怖を与えて、その後に救いも与えている。ただし有料。
これは儲かるはず。
・免罪符に怒ったルター
これに激怒したのがドイツのルター。
マルティン・ルターは、聖書を説くことより金集めに夢中な教会に抗議し、プロテスタントの宗教改革に火をつけた。
(キリスト教封印の世界史 徳間書店)
「免罪符はおかしい」とカトリックを批判していたルターが、この考えの根拠となった「煉獄」を認めるはずがない。
それで、「煉獄(れんごく)は存在しないこと」と、否定している。
この「煉獄を認めない」ということは、ルター(プロテスタント)の考え方にとっては、とても重要なことになる。
まあ重要なことなんだけど、ここまで説明が長すぎた。
ちなみに、この民衆からのお金でできたのが、イタリアにある「サンピエトロ大聖堂」。
教皇レオ10世はサンピエトロ大聖堂建立資金のために、贖宥状の販売を強化する決意を固め、それはまさしく正規の商売になまでなっていった。
(ヨーロッパの歴史 東京書籍)
この大聖堂はカトリック信者の信仰で建てられたんだろうけど、そのお金集めの方法は決して褒められたものじゃなかった。
おまけ
日本でキリスト教(カトリック)を布教したザビエルが、こんなことを書いている。キリスト教を信じれば、永遠の命が約束される。信じなかったら、永遠の地獄に落ちる、と日本人に言ったところ、その日本人がこう聞いた。
「では、死んでしまった私の両親は、どうなるのですか?親は、キリスト教のことは知らずに死んでしまいました」
ザビエルは「では、その人たちの魂は、永遠に救われません」と答える。
それを聞いた日本人が「それはひどすぎる」と泣き出したという。
これを知ったとき、「何でザビエルは煉獄のことを言わなかったのだろう?」と疑問に思った
ひょっとしたら、煉獄の考えと免罪符がルター(プロテスタント)を生んだから、もうそのことは言わなかったのか?
「でも安心してください。免罪符を買えば、あなたの両親の魂は救われますよ」と、言ったら、日本での布教は難しくなると思ったのか。
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日本人とキリスト教徒(アメリカ人)との宗教観の違いについては、こちらをどうぞ。
アメリカ人と京都旅行 ~日本人とキリスト教徒の宗教観の違い~ 1~5
アメリカ人と京都旅行 日本人とキリスト教徒の宗教観の違い 6~11
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