はじめの一言
「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが、今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一カ所ぐらいなくてはならないと考えた。(アインシュタイン 昭和)」
さて、前回の記事では、ルター(プロテスタント)の考え方としてとても大事な「人は、信仰によって義認されること(ヨーロッパの歴史 東京書籍)」について書いた。
中学校の歴史でも、ルターの「宗教改革」については必ず習う。
「人は、信仰によって義認されること」というルターの考え方は高校の世界史で習う。
ルターは「人は神の恵みに信頼する信仰によって救われる」ということを発見したとなると、それと許せない人たちがいる。
「死んだら苦しみますよ。でも、免罪符を買えば、あなたの魂は救われますよ」と宣伝して免罪符を売っていたカトリック教会だ。
そして、「カトリックのやり方は間違っている!」とルターは宗教改革をはじめて、ヨーロッパの歴史を大きく変えてしまう。
マルティン・ルターは、聖書を説くことより金集めに夢中な教会に抗議し、プロテスタントの宗教改革に火をつけた
「キリスト教封印の世界史 (徳間書店)」
ヨーロッパだけではなく世界に大きな影響をあたえたこの宗教改革は、1517年に始まった。
この17年後の1534年に、日本で織田信長が生まれている。
世界とまではいかないけれど、信長も確実に日本を変えた。
ルターは免罪符を売るカトリック教会に怒りを感じていたと同時に、「免罪符を買えば、魂の救いが得られる」と考えていた民衆を見て、「キリスト教の危機」も感じていたらしい。
ルターは、自分の教区民が悔い改めの行為をせず、金銭によって安易に魂の救いが得られるとしたことに宗教的危機を感じて「九十五か条の論題」を発表した。これがドイツ宗教改革の発端となる
「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」
免罪符を買うことで、人間は自身の「行為」によって魂の救済を手に入れることが可能になってしまいます。つまり、献金で懲罰を帳消しにしてもらおうというわけです。
「キリスト教のとても大切な101の質問 (創元社)」
ルターは「人は神の恵みに信頼する信仰によって救われる」ということを悟った人。
そのルターから見たら、この考え方は許せない。
・金銭によって安易に魂の救いが得られる。
・免罪符を買うことによって、魂の救済を手に入れることが可能になる。
魂が救われるために人びとが免罪符を買うことに夢中になってしまえば、実際には、魂は救われなくなってしまう。
「魂の救済は金ではなく、信仰でのみ可能」とルターは考えていたから。
キリスト教の間違った教えが広がってしまっていき、民衆はますます救済から離れてしまう。
ルターが感じた「宗教的危機」というのは、このような状況を指しているのだろう。
ルターは「免罪符を買えば救われる」という間違った考えをなくし、「信仰によって救われる」という正しいキリスト教の教えを広めないといけないと考える。
そして、宗教改革に乗り出す。
ここまでのカトリックとルター(プロテスタント)の考え方の違いはこんな感じになる。
カトリック:私たちは間違ったことを絶対に言いません。免罪符を買うことは「良い行い」です。良い行為をした分だけ、魂が救われるのです。
ルター:免罪符を買っても、魂は救われない。神への信仰によってのみ、魂は救われるのだから。
「信仰が大事」と考えたルターは、カトリックの免罪符を買わせるという「行為」を徹底敵に批判した。
だからルターは「人は、信仰によってのみ義認される」という考え方を、カトリックとの「決定的な違い」としてをあげたのだろう。
おまけ。
以前の記事でも書いたけど、「プロテスタントとカトリックの考え方の違い」で宗教改革のときに、ルター(プロテスタント)が示した考え方を列挙しておきます。
現在のプロテスタント(キリスト教徒)もすべてこれと同じ考えをしているとは思わないけど、プロテスタントの友人に聞いてきた話と照らし合わせても、内容は同じ。
だから、これがプロテスタントの基本的な考え方とみなしていいと思う。
ここに書かれていることの逆がカトリックの考え方になる。
下の内容は、「ヨーロッパの歴史 東京書籍」から抜き出したもの。
( )は、ボクが書いたもの。
ルターの主要な教説は、次のように要約できる。
・人は、信仰によってのみ義認されること。
(カトリックは信者個人の信仰ではなくて、「行為」によって義認される、と考えていたと思う。)・聖書だけが信仰の唯一の源泉であること。
(カトリックでは聖書だけじゃない。教会にいる神父やローマ教皇もとても大事)・各信者は聖書について自由に自分自身の解釈を行なうことができること。
(カトリックでは「聖書を、自分なりに解釈する」ということを認めない。聖書の「解釈権」は信者にはなくて、カトリック教会だけにある。)・聖母マリア・聖人崇拝は廃止されるべきこと。
(カトリックでは聖母マリア・聖人崇拝は認められている。)・司祭は独身を守らなくてよいこと。
(「司祭」とは神父のこと。カトリックでは神父(司祭)は結婚してはいけないことになっている。)・守るにふさわしい秘跡は洗礼と聖体拝領だけであること。
(カトリックには、7つの秘跡(サクラメント)がある。婚姻(結婚)もその一つ。プロテスタントで大事なことは、「行為」ではなくて個人の信仰。秘跡という「行為」は最低限必要な2つだけ)・修道会は存在理由がないこと。
・煉獄(れんごく)は存在しないこと。
(カトリックは煉獄は存在すると考えている。)
次回はこの中の「母マリア・聖人崇拝は廃止されるべきこと」について書いていきます。
ドイツでプロテスタントの女性がマリアの像を見て激怒し、それを置いたカトリックの大家を裁判に訴えた事件が起きた。
日本の社会でこんなことはまず起こらない。
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