はじめの一言
「おだやかな海と晴れ渡った空とが一つになって、この地を輝くばかりに美しくしてみせていた。心地よい住居のある、なんと魅力的な海岸だろうか!なんと実り豊かな丘、なんと神々しい神苑であろうか!(シーボルト 江戸時代)」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
今回の内容
・ぼったくられた日本人の大学生
・「値段」についての日本の常識と海外の常識
・インドネシア人ならどう思う?
・価格と価値は違う。
・ぼったくられた日本人の大学生
インドで、日本人旅行者がぼられた。
同じ宿のドミトリーで泊まっていた大学生の日本人旅行者が、お土産として紅茶を買って来た。
でもその晩、その値段がずい分高いとベテラン旅行者から指摘される。
「インドでぼられた」なんて、「居酒屋でお通しを出された」と同じようなもので、当たり前のこと。
当然、その旅行者は、できるだけ値切って買ったのだけれど、それでも、インド旅のベテランに言わせると、「あんた、ぼったくられたね」という金額だった。
宿のインド人スタッフに聞いても、
「オレなら、その3分の1で買えるな」
と言われる。
正確な値段は忘れたけど、インド人なら200円で買えるような紅茶を、その旅行者は700円出したという。
完全に「ぼられた」その旅行者は怒り心頭に発する。
「あったま来た。明日、あの店に行って取り戻してきますよ!」
でも、これにはベテラン旅行者が反対する。
「いや、それはやめときな。何をされるか分からんよ。仲間を呼んでリンチされるかもしれない」
被害者意識と正義感に燃えていた旅行者も「リンチ」という言葉にビビる。
「宿のスタッフに聞いてみなよ。現地の事情にくわしいんだからさ」
そうアドバイスをされて、彼はインド人スタッフに意見を求めに行った。
部屋に戻って来た彼は、こう言う。
「『500円くらいならいいじゃないか。そのくらいで店に行くのはやめとけよ』って言われました」
でも、納得はできない様子。
「でも、インドでの500円って日本の500円とは違いますよ。この部屋も、一泊200円じゃないですか。インド人の感覚だったら、500円は大きな金ですよ」
気持ちは分かる。
でも、「インドでの~」って言うけど、現地のインド人が「500円くらいいいだろ」と、言ってるんだから、それが現地の人の感覚だと思う。
結局、時間がたって彼は冷静さを取り戻して、お金を取りに行くのはやめることになった。
それが正解だったと思う。
インド人と値段交渉して、商品を買う。
でも、それが後から「ぼられた」と気づいて、抗議に行こうとする。
この流れは、前の記事で出てきた日本人ビジネスマンとよく似ている。
5ルピーで買った物を、インド人が日本人に100ルピーの言い値で売る。
日本人はそれが5ルピーとは知らずに、値引きして70ルピーで買う。
それが、もとは5ルピーだったと後で知ることになる。 なにより日本人が良くないのは、仕入れ5ルピーと知ると、後で「だまされた」とぐずぐず言うことだろう。インド人からすれば、70ルピーは本人が納得した交渉結果であり、「だまされた」と言われることは心外である(日本を救うインド人 島田卓)
ボクとしても、買ってきた物が元の値段の3倍や14倍だったと知ったら、さすがに頭にくる。さっきの旅行者もこのビジネスマンの気持ちは分かる。
頭には来るけど、「取り返してやりますよ」はマズイと思う。
「だまされたとぐずぐず言うこと」ぐらいなら良いと思うけど。
・インドネシア人ならどう思う?
このことを、定価がない国の人ならどう思うのだろうか?
友人のインドネシア人に聞いてみた。
「それは、ダメです。700円でも200円でも、交渉して決まったのなら、後からお金を取り返しに行くのはルール違反です」
とすぐに否定する。
ちなみに、インドネシアという国名に「インド」がつくだけあって、インド人に近い考え方をしているのかもしれない。
インドネシアIndonesiaも、その意味するところは「インドの島々」である。
(地名の世界地図 文藝春秋)
「日本は定価があるからそれだけ払えばいいです。でも、インドネシアもインドと同じで、交渉で値段を決めることはよくあります。ショッピングモールなら値札がありますけど。交渉なら、値段は、買う側の『欲しいという気持ち』と売る側の『売りたいという気持ち』で決まります。あとは、買う人の値段交渉の技術ですね」
インドネシアでは、日本の定価文化の国のように、「誰もが同じ値段」ということはなく、「同じ物でも、人によって違うのが当たり前」らしい。
「欲しいという気持ちの強さ」と「交渉のテクニック」次第で、値段が決まる。
・価格と価値は違う。
ちょうどそのとき、このインドネシア人とカフェでコーヒーを飲んでいた。
「ここのコーヒーは、210円します。でも、ボクは、ここのコーヒーが好きですから、300円払ってもいいです。でも、そんな好きじゃない人なら、100円ぐらいの価値しかないでしょうね。でも、ここでコンセントを使ってパソコンで仕事をする人なら、500円出していいと思うかもしれません」
それはそのとおり。
価格と価値は違う。
同じ値段の同じコーヒーでも、「欲しい」の気持ちによって価値は変わってくる。
その人の価値観によって値段が変わることも、考え方としは分かる。
・「値段」についての日本の常識と海外の常識
「同じ物でも、人によって価値は違うから、すべての人に同じ値段というのはないです。でも、日本ではそれが常識ですから、そういう考え方に慣れていないと思います。インドで、言い値をいくら言ってもいいです。本人が「それでいい」と思ったら、それが値段です」
このインドネシア人が言っていることは、前に引用した国際ビジネスの専門家の言葉と同じだ。
日本とインドでは、商取引に対する見方が違う。
日本人にとって、値段とは初めに適正価格ありきで、そこからサービスとして割り引かれる。
一方インド人にとっての値段はとは、あくまでも交渉を通じて決まるもの。
売り手買い手が互いに納得した額が、適正価格となる(日本を救うインド人 島田卓)」
国によって常識や考え方は違う。
同じ物でも、人によって買う値段が違うことが当然の国がある。
そんな国では、現地の人と外国人の自分が同じ値段で買うことができるなんて考えない方がいいかもしれない。
それに、物の価値と価格が比例していたら、人の価値観によって、その価格が高くなったり低くなったりすることも当然になる。
こういうことも「異文化交流」になるんだろう。
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