島国の日本はむかしから中国の影響を受けていて、いろいろなものが伝わってきた。
そのなかには日本で独自の進化をとげて、別物になったものもある。
着物がそのひとつだし、餃子やラーメンもそうだ。
日本で餃子といえば焼き餃子のことをいうけど、中国で餃子といえば一般的に水餃子のことをさす。
中国や台湾では日本の餃子を「鍋貼」と書く。
「鍋に貼り付いたもの」という感じか?
日本のラーメンも中国のラーメンとはちがう。
中国ではそれを区別するために、日本のラーメンは「日式拉麺」なんて書いてある。
「日本式のラーメン」ということで、中国のラーメンとは別物と考えられている。
「魔改造」は日本文化の大きな特徴で、戦前の日本を代表する東洋学者のコナン君、いや、内藤湖南先生もこう書いている。
日本が支那文化を採つて、其れに依つて、進歩發達を來したと云ふことは大體に於て異論はない。
「日本文化とは何ぞや (内藤 湖南)」
*いまはNGだけど、この時代の日本人は中国を「支那」と言っていた。
發達は「発達」、大體は「大体」のこと。戦前の漢字はいまとちょっと違うのだ。ちなみに台湾ではいまでも旧字体の漢字をつかっている。
日本人は中国の文化に新しい表現や価値観を加えることで、自国の文化にしてしまうことをむかしからよくやる。鯉のぼりもそのひとつ。
日本に住んでいる知り合いの中国人に「中国に関係ない日本文化はなにがあると思う?」と聞いたところ、こんな返事がきた。
中国起源ではない日本文化は、寿司、相撲、カワイイ文化、化粧などは浮かびますね。
ちょっと話がそれますよ。
餃子やラーメンのように、外国から伝わったものが長い年月をへて「その国のもの」として定着することはよくある。
インド料理でいえばナンとタンドリーチキンがそうで、この前インド人とカレーを食べに行ったとき、「ナンやタンドリーチキンイはもともとインドの料理ではありませんでした」という話を聞いた。
調べてみると「ナン」はペルシャ語で、インドのヒンディー語ではない。
タンドールという釜でつくるチキンが「タンドリーチキン」。
これもイスラーム教徒がインドに伝えたものだ。
現在の形のタンドールはアフガニスタンで発生し、ムガル朝のインド征服とともにインドに伝わった。
(ウィキペディア)
さて、話を中国と日本に戻します。
日本にいる中国人なら、「餃子もラーメンも中国で生まれて、日本へ伝わった食べもの」ということは知っている。
でも、日本でよく見るもので、「その由来は実は中国にあった」ということに気づかないものもある。
それが今回取り上げる鯉のぼり。
富士山の芝桜
中国人と香港人をつれて、富士山の芝桜を見に行ったときのこと。
途中でこんな鯉のぼりを見つけた。
鯉のぼりを見て、中国人と香港人がこんなことを言う。
「わたしは鯉のぼりがとても好きですよ」
「本当に日本らしいと思います」
そう言う彼女たちにこんな質問をしてみる。
「鯉のぼりの意味って知ってる?」
「子どものためじゃないですか?」
「男の子が立派な大人になりますように、という願いがあると聞きました」
まー、合ってる。
「そうそう。そんな感じ。でも、鯉のぼりの意味というか、由来は中国にあるんだけどね。それは知ってた?」
それを聞いて「ええ?」と驚く中国人と香港人。
「それは中国のなんだと思う?」とボクが聞いても、2人ともまったく思い浮かばない。
「鯉のぼりの元になったものが、中国にあるんですか?」
「中国と鯉のぼりが結びつきません。それはなんですか?」
「日本の鯉のぼりは、中国の『登竜門』の考えから生まれたんだよ」
とボクが言うと、中国人も香港も「そうなんですか!初めて知りました!」と言う。
登竜門の話は中国ではとても有名。
だから2人ともそれは知っていた。
日本に住んでいるから、鯉のぼりのことも知っていた。
でも、登竜門が鯉のぼりの由来になっていたことには、2人ともまったく気づいていなかった。
ムリもない。
鯉のぼりの「のぼり」が龍門を「登る」ことだなんて、ボクも話を聞くまでまったく気がつかなかった。
*以下、登竜門は「竜」で龍門は「龍」と書く。
中国には黄河という大河が流れている。
黄河のことは中学校の授業で習ったはず。
世界で6番目の長さを誇るデカい川。
ちなみに中国では「河」という字は黄河をさして、「江」は長江のことをさす。
この地図だと、上が黄河で下が長江になる。
中国にはこんな言い伝えがあった。
黄河には、「龍門」とよばれる急流(滝)がある。
その龍門を登りきることができた鯉は、龍になることができた。
「鯉が龍になる」という話から、人が出世するための関門を「登竜門」と呼ぶようになる。
これは「後漢書」李膺(りよう)伝の故事による。
*登竜門の話は韓国にも伝わっている。
ハングル文字だと등용문で、「トゥンヨンムン 」と言う。
黄河にある壺口瀑布。
こんな滝を登りきったら鯉が龍になったのかも。
画像はウィキペディアから
こんな鯉でも、
がんばって龍門を越えたら、
(これは中国のお寺)
こうなるらしい。
でも、日本ではこうなった。
登竜門の話が元になって、江戸時代に今の鯉のぼりの原型ができた。
ウィキペディアにはこんな説明がある。
さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものである。
ラーメンや餃子なら中国のものと似ている。
だから中国人や香港人が見てもすぐ分かる。
でも、鯉のぼりと登竜門はぜんぜん違う。
2人とも日本に住んでいて、今までに何回も鯉のぼりを見たことはあったけど、それが中国の登竜門に由来することにはまったく気づいていなかった。
そんな「魔改造」こそ日本人の得意技で、日本文化の大きな特徴なのだ。
登竜門の話から生まれた鯉のぼり。
龍門を登る鯉の姿に、わが子の出世や成功を願ったのだろう。
画像はウィキペディアから。
「登竜門」の話はむかしから日本に伝わっている。
龍門とそれを登ろうとがんばっている鯉。
これは京都の金閣寺にある。
龍門を英語にした「ドランゴンゲート」というプロレス団体もある。
ただ、レスラーは登竜門ではなくて「闘竜門」の出身らしい。
おまけ
これは登竜門の話とはまったく関係ない。
京都の修学院離宮にはこんな鯉がいる。
この鯉は、夜になるとここから飛び出してしまったらしい。
だから、こうやって網をかけるようになったとか。
修学院離宮にはそんな言い伝えがある。
おまけのおまけ
中国の黄山
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