はじめの一言
「すべての職人的技術においては、日本人は問題なしにひじょうな優秀さに達している。磁器・青銅製品・絹織り物・陶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、ヨーロッパの最高の製品に匹敵する
(オールコック 幕末)」
「日本絶賛語録 小学館」
今回の内容
・異文化交流の「異」
・「あきらめ」が大切
・泣き寝入りをしないことも大切
・告発されてつぶれた名門店
・異文化交流の「異」
海外旅行に行く目的は、「異文化交流」という人は多いと思う。
でもその「異なる」というものが、日本人にとって心地良いものかは分からない。
前の記事で書いたけど、日本はインド人には絶対に通じない「損して得取れ」が通じる信用第一の社会だから。
「自分が1000円で買った物を他人は500円で買っていた」なんて不愉快なことは、発展途上国ではよくある。
信頼を大切にする日本だったら、こんなことはまず起こらない。
ちゃんと値札があって、誰でも同じ金額で物を買うことができる。
そんな日本の常識からしたら、自分が他の人の2、3倍の金額を払ってしまったことに気づいたときは、腹が立つはず。
「ぼられた!」「差額を取り返さないと気が済まない!」と思うはず。
「インドの500円は、日本の500円とは違いますよ。大金なんです」という発想をすると思う。
日本では体験できないようなことが「異文化体験」だから、こういう目に合うことも仕方がない。
「定価が当たり前」の日本人と「値段交渉が当たり前」の国の人とは、常識が違う。
その違いを、国際ビジネスの専門家は、こう指摘する。
日本とインドでは、商取引に対する見方が違う。
日本人にとって、値段とは初めに適正価格ありきで、そこからサービスとして割り引かれる。
一方インド人にとっての値段はとは、あくまでも交渉を通じて決まるもの。売り手買い手が互いに納得した額が、適正価格となる(日本を救うインド人 島田卓)
こうした考え方が常識なのは、インドだけではない。
値段交渉が当たり前の国では、これが適正価格になってしまう。
海外旅行では、日本人がその国の常識に従うしかない。
異国の地で日本の常識を叫ぶより、自分の考え方を現地の考え方に合わせるようにすることが大事。
買い物についても、「みんなが同じ値段が当たり前」という日本の考えから、「値段は他人と違って当たり前」という外国の常識に合わせていくことで、自分の価値観も変わってくる。
前の記事でも書いたけど、ボクの場合はそれが「あきらめ」ということ。
東南アジア・中東・アフリカでは、値段は人によって違うことが常識の国ばかりだ。
そんな国では、自分が店員と交渉して決めた値段が、自分にとっての適正価格になる。
それが、他の人が買った値段より高くても、「これが自分の交渉能力の限界だからしかたがない」と、あきらめる(明らかに極める)。
学生のころはこんな考え方はしなかった。
時間がたっぷりあったから、海外では時間よりお金を重視していたから。
でも、仕事をしていての海外旅行だと、時間が何よりも大事になる。
お金で時間を買わなきゃいけないこともある。
海外でお金を使うとき、「損したくない!」「もっと得したい!」と考えていると、決めることができずに大切な時間がどんどんなくなってしまう。
今のボクは、「値段は人によって違う」というその国の常識を受け入れている。
基本的には、自分が納得した値段が適正価格だとも考えている。
そうしたことで、物事を決める時間が速くなって良い時間を過ごすことが増えた。また、他の旅行者と値段を比べないようにしたことで、旅のストレスも減った。
もちろん、今でも完全に「明らかに極めた」とはいかない。
お金を出すときには、「これ、本当はいくらだろう?」「他の人なら、いくらだろう?」ということがやっぱり気になる。
「他人は他人、自分は自分」と、完全に悟りを開くことはまだムリ。
・泣き寝入りしないのも大切
「あきらめることが大事」と言っても、「すべてを黙って受け入れなきゃいけない」というわけでもない。
ものごとは、すべてを「白か黒か?」「0か100か?」に分ける必要はない。
柔軟な考え方が大事で、「あきらめるべきか?」「抗議すべきか?」は、自分の価値観で決めればいい。
金額の大きさや時と場合によって、「これは抗議すべき!」と思ったらそうしたらいい。
ボクも、エジプトのタクシーでは納得がいかなくて抗議した。
ものの見事に、返り打ちにされたけど。
「これはぼられたのか?」「抗議した方がいいか?」「するなら、どうやってしたらいいか?」といった決断にせまられることも、異文化体験の1つになる。
日本では、なかなかそんな機会には出会わない。
日本とは違う価値観や常識の国にいかないと、こういう場面は得られない。
その意味では、とても貴重な経験だと思う。
ストレスはかかるけど、「良薬は口に苦し」ともいう。
海外での異文化交流の「異」は、自分にとって不愉快なものある。
けど、問題解決能力は、こうした問題と取り組むことで身に着く。
「楽しい!」「おいしい!」という食の異文化交流は良いことだけど、それによって人間力が高めるわけではない。
・告発されてつぶれた名門店
日本人旅行者が、ぼられても泣き寝入りせずに告発したことで厳しい罰を受けた店もある。
ぼったくりは、ヨーロッパにもある。
イタリアには以前、「パセット」という高級レストランがあった。
「同レストランは、チャーリー・チャップリンやグレース・ケリーも訪れたことがあり、149年の歴史を誇っていた」という、超名門レストランらしい。
これが「ぼったくり」で潰れたと、ロイターの記事が伝えている。(2009年7月3日)
イタリアの当局は、日本人観光客カップルの昼食に約700ユーロ(約9万4000円)を請求したローマの老舗レストランを、詐欺行為にあたるとして閉鎖した。
ローマのレストラン、日本人観光客への「ぼったくり」で閉鎖
この閉店は、日本人観光客が泣き寝入りしないで警察に届け出たことがきっかけになっている。
これを見て、ぼったくりをしていた他のレストランも考え直しただろう。
海外旅行にはぼったくりがつきもの。
ぼられないようにする注意することは当たり前。
それでもぼられるときはある。
そんなときに、ストレスを感じないような考え方を生み出すことも大事。
人生では、そういった逆境のときに発想力は大事だから。
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