インドに行って驚いた。
インド人にビックリするというの当たり前。
インド人だけではなくて、インドを旅行する日本人にも驚いた。
インドを旅行中、チャンドラ・ボースを知らない日本人にけっこう出会った。
インドを旅するということは、多少なりともインドに興味や関心があるはず。
それなのに、インドの英雄で日本とインドをつないでいる人物を知らないとは。
インドでチャンドラ・ボースはとても有名。
インド人にボースのことを聞くと、こんなことを言う。
「彼はインドのために人生を捧げた本当の愛国者だ」
「わたしは、ガンディーよりボースを尊敬している」
ボースはベンガル人で、同じベンガル人が多い東インドでは特に人気がある。
東インドでは、ガンディーより人気があるだろう。
日本で有名なインドの人物といえば、ガンディー、シャカ、タイガージェットシンといったところか?
でも、今の日本との関係の深さからいえば、チャンドラ・ボースはもっと知られていい人だ。
今回は、日本ではそれほど知られていないインドの英雄チャンドラ・ボースという人物を紹介します。
最近、そのチャンドラ・ボースのニュースを見た。
それが2017年6月5日の時事通信の記事。
「チャンドラ・ボースは死んだ」とインド政府が正式に認めたという。
「今さらですか?」という気はするけど。
第2次大戦中、日本軍の支援を受けて英国と戦ったインド独立運動の英雄スバス・チャンドラ・ボースが、1945年に事故死していたことをインド政府が公式に認めた。
独立の英雄「死亡」=政府、生存説を公式否定-インド
ボースは飛行機の事故で亡くなったとされている。
でも、インドの英雄の死を信じられない人もいて、「ボースはどこかに生きているのでは?」という話がインドで出回っていた。
それで今回、政府がそれを否定する声明を出すにいたる。
この記事に「日本軍の支援を受けて英国と戦った」と書いてあるように、このボースは日本と深いつながりがある。
もちろん、ガンディーは国民的な英雄。
インドのお札にはガンディーがいる。
そのわりに、インド人はお札を雑にあつかう。
コルカタの空港にいるチャンドラ・ボース
コルカタの空港は、「ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港」という。
チャンドラ・ボースからその名がつけられた。
インドで会った日本人の旅行者のなかには、コルカタの空港を利用したにもかかわらず、ボースを知らないという人もいた。
ボースのことは中学では習わないけれど、高校の日本史や世界史では習う。
チャンドラ・ボースはインドの独立運動家で、「武力による独立を目指し日本の支援でインド国民軍を組織した(世界史用語集 山川出版)」という人。
ボースは日本で開かれた大東亜会議に参加している。
来日したチャンドラ・ボース
「NHK映像の世紀 11」のキャプチャー
中央左がチャンドラ・ボース
「NHK映像の世紀 11」のキャプチャー
大東亜会議の出席者(ウィキペディアから)。
左からバー・モウ(ビルマ)、張景恵(満州国)、汪兆銘(中華民国)、東條英機(日本)、ワンワイタヤーコーン(タイ)、ホセ・ラウレル(フィリピン)、スバス・チャンドラ・ボース(インド)。
大東亜会議は、1943年11月に開かれた。
列国代表を東京に集めて開いた会議。大東亜共同宣言を採択し、内容は大東亜共栄圏の結束を誇示しようとしたもの。
(日本史用語集 山川出版)
この会議に先立って、ボースはこんな声明を出している。
「NHK映像の世紀 11」のキャプチャー
日本こそ19世紀にアジアをおそった欧米の侵略を食い止めんとしたアジアにおける最初の強国であった。
アジアが復活するには現在においても強力な日本が必要である。「ボースの声明(NHK映像の世紀 11 から)」
*ただこれはボースの見方であって、ガンディーはこれとは違う見方をしている。
インドのチベット人仏教徒
この会議の後、ボースはインド国民軍をひきいて日本軍と行動をともにする。
インドをイギリスから解放するため、日本軍といっしょにイギリスと戦った。
ボースとインド国民軍
「NHK映像の世紀 11」のキャプチャー。
2007年8月に安倍首相がインドを訪問したとき、チャンドラ・ボース記念館を訪れている。
これはそのことを伝えるフランスの通信社(AFP)の記事。
記念館で安倍首相はボースの遺族らに「英国統治からの独立運動を主導したボース氏の強い意志に、多くの日本人が深く感動している」と述べた。
訪印中の安倍首相、東京裁判のパール判事の息子らと面会
首相の訪問からも分かるように、チャンドラ・ボースは日本とインドをつなぐかけ橋になっている。
日本とインドの友好のシンボルのような存在。
ボクがコルカタに行ったとき、ボクが日本人だと分かるとこの首相訪問の話をするインド人もいた。
この首相訪問には、多くのインド人が喜んだらしい。
ボースの姪にあたるクリシュナ・ボースさんはこう言っている。
「日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるのなら、私たちインド人も、ボースが英国の植民地支配に抵抗するためにインド国民軍を組織したことを支援したのが、日本だったことを思い出すべきだ」と語った。
訪印中の安倍首相、東京裁判のパール判事の息子らと面会
一方通行では、友情は成り立たない。
日本とインドの友好のためにも、チャンドラボースの活躍を日本人が忘れてはいけない。
こちらの記事もいかがですか?
コメントを残す