クイズから始めます。
平安時代の日本文学に、大きな影響を与えた中国の詩人はだれか?
中国のお寺
畳がないからこうなる。
答えは白居易(772~846)。
まあ、記事のタイトルに書いてあるわけだが。
この人は唐の時代の詩人。
平安時代の日本人はこの白居易の詩が大好きだった。
全集『白氏文集』は日本でも平安時代以来広く愛読され,日本文学に大きな影響を与えた。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
清少納言の枕草子や紫式部の源氏物語になかにも、白居易の詩の影響が見られる。
白居易の詩の中で特に有名なのが長恨歌。
これは唐の皇帝「玄宗」とその妻「楊貴妃」の愛と悲しみをつづった漢詩で、源氏物語にこの詩が引用されている。
これは長恨歌の一節。
愛する楊貴妃が部下に殺されて王(玄宗)が悲しむ場面。
花鈿委地無人收、翠翹金雀玉搔頭
– 花のかんざしは地に落ちて拾い上げるものもなく、かわせみや金の雀、宝玉の髪飾りも同様であった。君王掩面救不得、回看血涙相和流
– 王は顔を覆うばかりで助けることもできず、振り返る目からは血の涙が流れた。(ウィキペディア)
白居易(陳洪綬画)
なんで白居易の詩は多くの人の心をとらえてのか?
国境を越えて日本人の心をもつかんだのか?
その大きな理由に、「分かりやすさ」がある。
白居易の詩はだれが聞いてもその意味が理解できたという。
白居易は読み手のことをよく考えて詩をつくっていた。
だからこんな伝説が生まれる。
伝説では詩を作るたび文字の読めない老女に読んで聞かせ、理解できなかったところは平易な表現に改めたとまでいわれる
(ウィキペディア)
白居易の詩は中国のエリート層の人間だけではなくて、教育を受けていない庶民にも愛唱されていた。
簡単な言葉で深いことを伝えられる人は本当に頭がいい。
これは今の時代でも同じ。
白居易のお墓
中国の洛陽を観光していたとき、この墓を見つけた。
龍門石窟のすぐ近くにある。
白居易は韓国でも有名。
名字が「白」の韓国人が「われらの先祖は白居易だ」と考たらしい。
白居易の墓に記念碑を建てている。
世界史を学んでいる人は、白居易の他にも「詩仙」の李白や「詩聖」の杜甫も覚えておこう。
杜甫(712~770)
唐中期の詩人。
不遇ななか安史の乱にあい、その後官職をすて、妻子とともに流浪の生活をおくった。(中略)「詩聖」と称され、李白とならび中国最高の詩人の一人とされる。(世界史用語集 山川出版)
李白
唐中期の詩人。
一時玄宗につかえたが、生涯のほとんどを流浪など自由奔放に生きた。(中略)「詩仙」と称され、その詩は杜甫とならび中国詩の最高峰と言われた。(世界史用語集 山川出版)
杜甫と李白の人生に共通するキーワードは「流浪」。
る‐ろう【流浪】
住むところを定めず、さまよい歩くこと。
「流浪の民」「諸国を流浪する」デジタル大辞泉の解説
安定した生活をおくっていたら、偉大な芸術作品は生まれなかったのかもしれない。
白居易の場合は左遷されている。
「不遇な時代」というのも優れた作品を生み出す条件なのかも。
おまけ
中国の鳳凰という街の様子。
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