Sasha Trubetskoyという人が、古代ローマ帝国の重要な道を書きこんだ地図をつくって発表した。
本当はここにそれを載せたいところだけど、著作権の関係でそれはむり。
ここをクリックして確認してほしいっす。
*現在は削除されてるけど、復活するかもしれないからリンクは貼っておく。
地図にはローマ街道で最古の道・アッピア街道(Via Appia)もある。
まさに「すべての道はローマに通ず」だ。
全ての道はローマに通ず
すべての道はローマに通ずとは、目的までの手段や方法は、何通りもあることのたとえ。また、一つの道理はあらゆることに適用されるというたとえ。
「故事ことわざ事典」
これだけ交通網が発達すると当然、人の移動も多くなる。
そんな社会を背景にして生まれた言葉がこれ。
When in Rome do as the Romans do. When in Rome do as the Romans do.
(ローマにいるときには、ローマ人のように行動しろ)
「どこの地方から来た人間でも、ローマではローマ人のやり方や考え方を尊重してそれに従え」ということ。
「郷に入っては郷に従え」と同じですね。
海外旅行をする人もそこで暮らす人もこれは同じ。
その国のルールは守らないといけない。
この道は紀元前312年に建設が始まった。
アッピウス・クラウディウス・カエクスによって建設されたということで、「アッピア街道」と呼ばれるようになる。
道に人名をつけることは今の欧米でもよくある。
アッピア街道は”世界でもっとも有名な道”といってよく、日本の高校生も世界史で習う。
アッピア街道
ローマ最古の軍道。
はじめローマ・カプラ間に建設され、のち南イタリアまで延長され全長540kmにおよんだ。
「街道の女王」と呼ばれ、石で美しく舗装されていた。(世界史用語集 山川出版)
「街道の女王と呼ばれ、石で美しく舗装されていた」
と書いてあるけど、石で道を舗装した理由は軍隊を送るためだった。
アッピア街道は軍道で、軍隊が移動するための道。
帝国への反乱が起きたときには、できるだけ早く軍隊を送ってそれを鎮圧しないといけない。
スピードが勝負になる。
だから、軍隊の移動に適した舗装道路が必要になる。
そうした理由でアッピア街道が誕生した。
もちろん、これだけではないけれど。
アッピア街道をふくめてローマ街道には、人の行き来を盛んにして経済を発展させる目的もあったはず。
軍事目的で敷設されてはいるが、軍事に関係のない帝国官吏や巡礼者などの一般市民でも利用することが出来たため、物流などの経済面でも大きな影響があった。
(ウィキペディア)
でも、一番大事なことは国を守ること。
軍隊のための道だけど、一般の人も利用することができたということ。
江戸時代の日本では、五つの有名な街道が整備された。
それが江戸の日本橋を起点にした五街道。
東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道の五つ。
五街道はローマ街道のような軍道ではなかったけど、その大事な目的は江戸を守ることだった。
日本橋を五街道の起点として定め、幕府安泰のために江戸を防衛することを目的として、街道の要所に関所を置いて通行人を取り締まった。
(ウィキペディア)
今の日本はとても平和ですね。
だから国民の間には、「道は国を守るためにある」という意識がほとんどないと思う。
それで、自衛隊の車両が走行しているのを見ると違和感を覚える人もいる。
でもそれは、見慣れていないというだけで、悪いことではない。
ボクも昔はそんなことを感じていたから、スイスの高速道路の話を聞いて驚いた。
他国から攻撃を受けた場合、スイスの高速道路は戦闘機のための滑走路になるという。
元東京都知事の舛添要一さんが「ismedia」の記事でこう書いている。
たとえば、高速道路はなるべく直線にし、中央分離帯を着脱可能なものとする。それは、一朝有事のときに、滑走路として使うためである。実際に、住民が中央分離帯を取り外し、両側の車線をフルに使った臨時滑走路を作り、高速道路のトンネルの中にあるシェルターに格納されている戦闘機が飛び立つ訓練を行っている。
おまけ
今の日本でよく使われている「道路」という言葉について。
この言葉の歴史はとても古い。
約3000年前から使われていた記録が中国にあって、紀元前1000年ごろ周の時代の経典『周来』にこの言葉があるのだ。
世界史に興味がある人は、ついでにペルシア帝国(アケメネス朝)の「王の道」も覚えておこう。
これはダレイオス1世が建設した道で、アッピア街道より古い。
紀元前500年ごろにできた道。
このときの「王の目」「王の耳」は、今の「テロ等準備罪(共謀罪)」に通じるところがあるかもね。
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