はじめの一言
「人間のさまざまな必要をみたすために、あらゆるところに竹を利用することは、日本人の発明工夫の才のすばらしい成功例です。(中略)水稲や、水盤、箱、湯呑みなども、節ごとに、しっかりしたしきりをもる種類の竹から、そのしきりと節間を活用してつくられます
(フレイザー 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
今回の内容
・タージマハルの装飾
・アラビア書道
・安心してください。元気ですよ。
・タージマハルの装飾
ペルシャでは彩色タイルに唐草文様を描き、イスラム寺院の建物の内と外ぜんぶをおおうといった装飾の極限までいったが、インドのイスラム建築では、彩色タイルはほとんど用いられず、石材の象嵌によるイスラム文様が装飾の主流となっていった。
(タージマハル物語 渡辺建夫)
イスラーム建築(ペルシャの建築)では、建物全体を装飾していたけど、インドではそうした派手な装飾が控えめに、地味になっていったという。
そして、タージマハルでは、さらに装飾が目立たなくなっている。
タージマハルではいっそう禁欲的となり、遠くからではわからないような線の細い唐草文様が、丸屋根やイワーンや窓ふち飾りにだけ用いられている。
(タージマハル物語 渡辺建夫)
控えめな装飾の建築物は、日本人の美的感覚にも合っている。
タイや韓国などの仏教寺院では、建物を白と金、赤や黄色などの色で塗った「ど派手」なものが多い。
もちろん、これはこれでいいけど、日本人の「わび・さび」の美的センスとは合わないと思う。
韓国のお寺
日本人は、京都のお寺のように、地味で落ち着いた感じを好む。
タージマハルの場合、飾りをなくしたことで、美しさがいっそう際立っている。
タージ・マハルのみごとさは、贅美を尽くした建築物が陥りがちな過剰な装飾や色彩を、できるかぎり抑えよう、つまり夾雑物を排して、できるかぎり単純、簡潔であろうと意志し、それに成功したことである。
タージには繊細な唐草文様のふち飾りのほかににはほとんど彩色がない。(タージマハル物語 渡辺建夫)
写真の真ん中左に、唐草文様の装飾が見える。
偶像(彫刻)だらけのヒンドゥー寺院の門。
もう一つ注目してほしいのは、右側にある文字。
・アラビア書道
これは、イスラーム教の聖書「クルアーン(コーラン)」に書かれている言葉。
イスラーム教では、人や生き物の形をした像をつくることが禁止されている。
だから、先ほどのヒンドゥー寺院のような神様の像をつくって、装飾にすることができない。
代わりに(?)、聖なるアラビア文字を建物の飾りにしている。
アラビア文字自体が、芸術となることによって、「アラビア書道」というものが生まれている。
アラビア書道・ペルシア語書道は、イスラーム芸術の一つ。
紙に文字を書き表すのみならず、モスクの壁や天井などにも用いられる。その幾何学的な姿は文様としてヨーロッパなどからアラベスク(文様)と呼ばれる。
現代イスラーム世界の芸術家もなお、その銘ずるところ、さらには抽象概念をも装飾書法(カリグラフィー)をもって表現する。(ウィキペディア)
世界で、文字自体が書道として芸術となっているのは、漢字とアラビア文字だけと聞いたことがある。
・安心してください。元気ですよ。
この「世界で最も大きく美しいお墓」をつくったシャー・ジャハーンは、その後、息子のアウラングゼーブによって、アーグラ城内に閉じ込められてしまう。
そしてムガル皇帝シャー・ジャハーンは幽閉されたまま1666年に亡くなった。
アーグラ城
アーグラ城に幽閉されたシャー・ジャハンについて、ある旅行サイトにはこう書いてある。
結局皇帝は塔の中から7年間タージマハールを眺め、その生涯を閉じた。運命とは実に皮肉で残酷である。
アーグラ城から見るタージマハル。
シャー・ジャハーンも、ここでタージマハルを見ては、亡き妻と囚われの身となった自分を思って涙を流していたのだろう・・・。
とかいう話を、どこまで信じますか?
実際のシャー・ジャハーンは、こんな様子だったらしい。
・アウラングゼーブがアーグラの城塞で、これ以上は考えられぬほど慎重かつ厳重に、シャー・ジャハーンを監視させていたのは事実だが、シャー・ジャハーンが相変わらず、ベーガム・サーヒブおよび妻たち全部、それに歌姫、舞姫、料理女などと一緒に、もとの居室で暮らすのを、特に妨げなかったことである。
この方面では、シャー・ジャハーンは何一つ不自由しなかった。・好きな時に、式典用の馬や、闘争用に仕込まれた羚羊や、各種の狩猟鳥、その他さまざまの珍しい動物を連れて来させ、昔通りの気晴らしをすることができるのだった。
・囚われの身とはいえ、手に負えぬほどの気位の高さと、とげとげしさは、相変わらずで、何事につけ、頑として意志を曲げなかった
「ムガル帝国誌 ベルニエ(岩波文庫)」
この頑固な父に、アウラングゼーブは、かなり気を遣っていて、低姿勢で接していた。
「残酷なアウラングゼーブと悲惨なシャージャハーン」というワケではない。
ただ、シャージャハーンの胸の内には、最愛の妻であるムムターズマハルが息を引きとる前に言ったという言葉は、いつまでも残っていたかもしれない。
「お前にかえてどんな皇妃も迎えはしないし、お前の他にどんな女も私の心に住ませはしない。
また、この世でいちばん美しい棺のなかにお前の亡骸をいれ、後々の世まで誰ひとりいまだ他で目にしたことがないような大理石の美しい墓廟の中に葬ってやろう」(タージマハル物語 渡辺建夫)
シャー・ジャハーンが、どんな思いでアーグラ城にいたかは、誰も分かない。
写真を使わせていただいたこちらのブログでは、タージマハルのもっと良い写真や動画も見られます。↓
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