新聞報道。日本で問題を起こした時、「外国人」は隠すべき?

 

京都で毎年おこなってきた桜のライトアップが、今年(2017年)は中止になってしまった。

ちょっと前のことだけど、そんなニュースを耳にした人も多いと思う。
京都市は祇園の夜桜のライトアップを1990年から27年続けてきたけれど、それが今年はおこなわれなかった。

なんで今年は中止になったのか?

2017年03月29日付の京都新聞にこんな記事がある。

京都の春の風物詩として人気の京都市東山区の「祇園白川さくらライトアップ」が、今年は中止されることになった。観光客の増加で予期せぬ事故の恐れもあり、地元住民の有志でつくる実行委員会だけでは対応できないと判断したためだ。

観光客急増、京都・祇園の桜ライトアップ中止

ライトアップ中止の原因は観光客の増加にあった。
これまでにもこのライトアップでは、観光客が車と接触しそうになったり橋から落ちたりする事故が起きていた。
地元ではもう、増えすぎた観光客への対応ができないらしい。

なら仕方がないか。

 

京都御所
明治天皇までは、ここで即位の儀をおこなってきた。

 

このライトアップ中止については、サンケイビズ(20017.4.220)も記事にしている。
それよると、中止の原因は外国人観光客にあるらしい。

背景には、外国人を中心とする観光客の急増に伴う安全面やマナー違反への懸念があるようだ。

「無法地帯」と化した京都“花見狂騒曲” 観光客がマナー守らず夜桜ライトアップ中止に

 

京都新聞は「観光客」としか書かなかったけれど、サンケイビズは「外国人観光客」と書いている。
当たり前のことだけど、観光客といっても日本人と外国人がいる。

サンケイビズの記事を読めば分かるけど、ライトアップ中止の一番の原因は外国人観光客の急増にあった。
中国人や欧米人の観光客による問題行動やマナー違反について、具体的に書いてある。

祇園に来た日本人観光客はこう言う。

名古屋市の女性(31)は「海外にいるような感覚になる。ここは日本じゃない気がしてきた」と苦笑いした。

 

また、夜桜の近くで飲食店を経営している人はこんなことに困っていた。

「花見客は桜を見ていくだけで店に寄ってくれることはあまりない。一番困っているのは、水だけ飲みに来たり、トイレだけ使っていったりする外国人観光客がいること」と指摘。

 

毎日新聞もライトアップの中止は、外国人に原因があると書いている。

これもまた、京都に殺到するインバウンド(訪日外国人)需要がもたらした“異変”なのか。

これもインバウンド急増の影響 「祇園の桜」がライトアップ中止

27年間続いてきた行事が日本人の行為で突然中止になることはないだろう。
その一番の原因が外国人観光客だとしても、それは価値観や考え方、マナーの違いがあるから仕方ない面もある。

 

京都新聞、サンケイビズ、毎日新聞の記事を読むと、違いがはっきりしている。

京都新聞は「観光客」としか書かない。
それに対してサンケイビズや毎日新聞は、「外国人観光客が」とハッキリ書いている。

考えてみたら、それはすぐに分かるはず。
京都を訪れる日本人の観光客が、急に問題を起こすようになったとは考えにくい。

 

日本を訪れる外国人の数は去年、過去最高を記録した。
彼らが日本でお金を使ってくれたら、日本経済にはプラスになる。
外国人が日本のことを知ってくれたら、それもうれしい。

でも、良い面ばかりではない。

外国人観光客のマナーの悪さやトラブルは、もう隠すことができないほどの問題になっている。
列に並ばない、レストランで水だけ飲んでいる・・・そんなことを雑誌やテレビがよく伝えている。

今の日本や京都の状況を考えたら、ライトアップ中止の背景に、外国人観光客がいることはじゅうぶん想像できる。

 

ここからは、ライトアップ中止とは別の問題になる。

日本で外国人が問題や犯罪を起こした時、マスコミは「外国人」とハッキリ報道するべきかどうか?

「外国人」と書いてあると、個人ではなくて外国人全体を「そういう目で見てしまう」となるかもしれない。
外国人への偏見を助長させてしまう可能性がある。

でも、そういうことに配慮して「観光客が~」なんて書くと、正確さに欠けてしまい、それをしたのは日本人か外国人か分からなくなる。
「何が起きたのか?」「なんでそうなったのか?」ということを、読者が正しく理解できなくなってしまう。

 

ボクとしては、外国人によるものなら「外国人」と報道するべきだと思う。
だから、サンケイビズや毎日新聞に賛成。

それに、「外国人とは書かない」という配慮はもう有効ではないだろう。
今は、インターネットで情報を手に入れることが当たり前の時代なんだから。

日本にいる外国人が国内で犯罪を犯したとき、名前は書かずに「30歳の男が~」と書く新聞がある一方で、ハッキリ実名を書く新聞もある。
事件の後にインターネットを見たら、それぞれの新聞やテレビ局の報道の仕方がよく分かる。

どこのマスコミが「犯人は外国人である」ということを伝えて、どこは伝えなかったのか?
ネットにはそれが一覧表になってのっている。
こんなことは、インターネット前の時代では考えられなかった。

 

「なんでこの新聞社は、外国人であることを伝えないのか?」という疑念は、そのままそのマスコミへの不信につながる。
そんな時代で「外国人」を隠しても意味がない。

 

 

国民には知る権利がある。
でも、何をどう知らせるかを決める権利はマスコミにある。
その基準はマスコミによって違う。

「新聞やテレビのニュースなんてどれも同じ」ということはない。
それは桜のライトアップ中止の記事でも明らかだ。

国民もそれぞれのマスコミの特徴を知ったうえで、情報を入手したほうがいい。

今の日本において「外国人」を伝えないことは、必要な配慮か特別扱いなのか?
どのマスコミを信用したらいいのか?
こうした問題は、桜のライトアップ中止よりもずっと重要なことですよ。

 

こちらの記事もいかがですか?

宗教 「目次」

日本 「目次」

英会話 「目次」

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。