外国人から見た日本と日本人 日本を知る15の言葉 ⑥

 

「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている
(イザベラ・バード 明治)」

 

「あらゆる方面で発達している日本人の美的センスは、どんな種類の塗料、ラッカーよりも白木の自然な色を好むのである。新しい家は〔障子〕紙と白さを競い合い、古い家は樫の木のような艶を帯びて、こちらの美しさも捨てがたい
(スエンソン 幕末)」

 

「日本人は遥かに古い文化を持っているのだから、或いは一定のことをやる方法は、彼等のやり方の方が最善なのかもしれない
(モース 明治時代)」

 

「おだやかな海と晴れ渡った空とが一つになって、この地を輝くばかりに美しくしてみせていた。心地よい住居のある、なんと魅力的な海岸だろうか!なんと実り豊かな丘、なんと神々しい神苑であろうか!
(シーボルト 江戸時代)」

 

「日本の植物栽培家は、いくら賞賛しても足りないくらいで、彼らの作り出す庭園や植物はすばらしい
(シーボルト 江戸時代)」

 

 

「日本という国全体が、生活に役立つ植物と美しい装飾用植物で満ちた庭園である」「その多様性と美しさにおいて、世界の他の国々に例を見ないほどである
(シーボルト 江戸時代)」

 

「いかなる外国の植物群も、日本の観賞用植物ほど多様性と美しさを兼ね備えていない
(シーボルト 江戸時代)」

 

「鋼鉄すなわち鉄製品だけではなく、木製品でさえもやはり同じように清潔に手入れをしてある。日本の職人たちは、全般的に見て、長い人は、毎日一時間余りを自分の道具の手入れのために費やしていると言っても差支えない
(フィッセル 江戸時代)」

 

「閑雅な日本料理を味わうのは、同時に『芸術』を「味う」ことでもある。日本割烹の板前は見る眼に美しいものを想像する芸術家だ。一つびとつの料理とそれぞれ特別の容器に盛られている美しさは眼を驚かすばかりである。清純な味いと鮮麗とを兼ねた佳饌は、一幅の静物画さながらだ
(タウト 昭和)」

 

「人間のさまざまな必要をみたすために、あらゆるところに竹を利用することは、日本人の発明工夫の才のすばらしい成功例です。
(フレイザー 明治時代)」

 

 

「水稲や、水盤、箱、湯呑みなども、節ごとに、しっかりしたしきりをもる種類の竹から、そのしきりと節間を活用してつくられます
(フレイザー 明治時代)」

 

「日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。われわれは因習的な世界で教育を受け仕事をしているけれども、もっと自然に帰らなければいけないのだ
(ゴッホ)」

 

「いいかね、彼らがみずからが花のように、自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、真の宗教とも言えるものではないだろうか
(ゴッホ)」

 

(日本人の美意識について)
「他の国では、有能で鑑賞眼のある人たちのあいだにのみ、美を味わう能力が見られるが、この国では、全国民のあいだにそれがひろがっている
(タゴール 大正時代)」

 

 

「日本奥地紀行 平凡社」
「日本絶賛語録 小学館」
「江戸幕末滞在記 講談社学術文庫」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。