はじめから自慢してしまけど、ボクはインドのことを知っている。
なんせ、インドには7、8回行ったことがある。
数え切れないほどのインド人と会って、インドの歴史・宗教・文化なんかの話を聞いた。
日本に住んでいるビジネス・エリートのインド人ともつき合いがある。
「インドについてはいろいろことを学んできだ。だからもう、インドのことを知って驚くことはない」
なんていうのは、ただのかん違いだった。
そう思い知らされたニュースがある。
CNN(2017年3月23日)のニュースがそれで、記事のタイトルを見ただけで驚いた。
インドの裁判所が川に人の地位を認めたという。
そうか、とうとう裁判所が認めたんだ!
いや、そうじゃない。ちょっと待ってほしい。
意味がよく分からない。
インドはやっぱり、不思議の国だ。
今回はこのニュースを通して、ヒンドゥー教とガンジス川について書いていきたい。
ガンジス川がヒンドゥー教徒にとって「聖なる川」である理由はなにか?
なんで裁判所は川に人権を認めたのか?
それを知れば、また一歩インドに近づくことができる。
インドに近づくメリット?
それは分かりません。
このニュースを理解するためにも、まずはガンジス川について知っておこう。
ガンジス川はインドで聖なる川と呼ばれている。
とはいっても、それはあくまでヒンドゥー教の考え。
「ガンジス川はインド人にとって聖なる川だ!」というわけではない。
インドにいる約1億8千万のイスラーム教徒にとっては関係ない。
彼らにとってガンジス川は、「アッラー(神)がつくった川」でしかない。
聖なる川・ガンガー
「ガンジス」は英語読みで、ガンガーはインド人の呼び方。
ガンジス川で沐浴する人たちを見ることができる。
この聖水でからだを洗い清めることで、ヒンドゥー教徒は心身のケガレをはらうことができると信じている。
ボクもガンジス川に入ったことがある。
でも腰まで。
ボクにはヒンドゥー教の信仰なんてないから、沐浴ではなくてただの入浴。
沐浴するヒンドゥー教徒の人たち。
ガンジス川で沐浴するのも神社の茅の輪(ちのわ)をくぐることも、目的はほとんど同じ。
これによって自分の罪やケガレはらうことができる。
茅の輪の場合は、それで無病息災を願う。
ここはヒンドゥー教の聖地・ヴァラナシというところ。
ガンジス川はここを流れている。
では、なんでガンジス川は神聖な川なのか?
その理由は上の写真のシヴァと呼ばれる神様にある。
シヴァ神はヒンドゥー教の最高神のひとり。
ヒンドゥー教にはこんな考えがある。
「ガンジス川は、シヴァ神のからだを伝って流れている」
もともと、天界に聖水があった。
「天から降ってくる大量の聖水を受け止められるのはシヴァしかいない!」となって、シヴァがその役を引き受ける。
シヴァは写真のように座って、天から落ちてくる聖水をからだに浴びた。
シヴァがいる場所がヒマラヤで、後ろにある山はヒマラヤ山脈をあらわしている。
そして、シヴァ神のからだから流れ出た水がガンジス川となった。
つまりガンジス川の水というのは、天の聖水がさらにシヴァ神のからだに触れた水、ということになる。
ガンジス川はその聖水そのものだから、ヒンドゥー教にとっては最高に神聖な川になる。
そしてその水で自分のからだを洗い清めれば、すべての罪やケガレをなくすことができる。
ヒンドゥー教にはそんな信仰がある。
先ほどの写真をよく見ると、シヴァ神の頭に女性がいる。
そしてその女性が、口から水をピューっとふき出しているのが見える。
この女性が「ガンガー」と呼ばれる女神。
シヴァ神のからだを伝って流れ出る川は、それ自体が神格化されてガンガーという女神になった。
だから、ガンジス川は女神・ガンガーそのもの。
「ガンガー=女神」ということをふまえて、先ほどのCNNの記事を見てみたい。
プージャという儀式。
ガンジス川に対して毎日おこなわれていた。
きっと今日もやっている。
インドの北部、ウッタラカンド州にある裁判所がこんな判決をくだした。
「ガンジス川とその支流であるヤムナ川は`生きている存在’である」
「川は生きている」と裁判所が認めたらしい。
日本の感覚からすると、だれがどんな訴えをしたのかもよく分からない。
でもそれがミラクル・インディア。
でもこの判決の根拠は、先ほどの女神・ガンガーと関係している。
ガンジス川とヤムナ川はともにヒンズー教において聖なる川とされ、擬人化された同教の女神も存在する。判決によれば地元民にとって2つの川は「物理的にも精神的にも支え」になっているという。
「擬人化された同教の女神」というのが女神・ガンガーのこと。
川に人と同じ権利を認めたというよりは、「川の女神に人と同じ権利を認めた」と理解したほうが正しいだろう。
「ガンジス川=女神」ということだから、結果的に、裁判所はガンジス川とヤムナー川に人権を認めたことになる。
ヤムナー川とはガンジス川の支流のこと。
ガンジス川の一部だから、ヒンドゥー教徒にとってヤムナー川もガンジス川と同じく聖なる川になる。
ウィキペディアから。
ところでこれは、何を目的とした訴えだったのか?
この訴えがおきた原因は、ガンジス川とヤムナー川の水質汚染にあった。
この2つの川はじつはメチャクチャ汚い。
神聖な川のはずなんだけど、この川には大量の汚水やゴミなどが流れ込んでいる。
その汚さは目を覆うばかり。
「japanese.china.org.cn」の画像を見てほしい。
これが聖なるガンジス川。
「それはガンジス川への’人権侵害’になる」と裁判所が判断したことも納得。
きっと女神も泣いてますよ。
ガンジス川やヤムナー川を汚すということは、川の女神を汚すことにつながる。
それは女神への‘人権侵害’になる。
そうしたことで、「川をきれいにしなければいけない。川を汚染から守る必要がある」という発想が出てくる。
つまり、裁判所の判決を根拠にガンジス川とヤムナー川の汚染対策を進めよう、と考えたということ。
この判決を受けて、インドの専門家はこう言っている。
都市の水質管理の専門家は、今回の裁判所の判断が現場でどのように解釈されるのかわからないとしながらも、「水質を向上させる取り組みは歓迎する。これまでの政治レベルの努力は結果を残さなかった」と期待感を示した。
裁判所が川に人間と同じ権利を認める。
「さっすがインドだなあ」なんて感心したら、じつはこれは世界で2番目の判例だという。
ニュージーランドで、すでにそんな判決が出ていた。
川に「人の地位」が認められるのはこれが2例目。
ニュージーランドでは今月、世界で初めてワンガヌイ川に人間と同じ法的地位を与える法律が成立した。先住民のマオリは長年にわたり、自分たちとワンガヌイ川との特別な関係を政府に認めさせようと努力してきた。
聖地ヴァラナシとガンジス川
実際、ガンジス川の水質汚染は深刻な問題になっている。
ウィキペディアの「ガンジス川」のページでは、汚染と保護という項目がある。
そこでこんな解説をしている。
ガンジス川の豊富な水は様々な用途に使われているが(「経済」を参照)、両岸には上水道や下水道が未整備の地域が多い。このため水質汚染が進んでいる。2007年には世界で最も汚染された5つの河川となり、ワーラーナシー付近での大腸菌レベルはインド政府の定める基準の100倍にまで上った。
でも、どんなに汚れても、ヒンドゥー教徒はガンジス川を「聖なる川」だと信じている。
そうなるとよく分からない。
ヒンドゥー教徒がとても大切にしている神聖な川を、なんでこんなに汚してしまうのか?
そんな疑問があったから、ヴァラナシに行ったときに何人かのインド人に質問してみた。
その時に印象に残った答えがこれ。
「神聖な川だから汚してしまうんだよ」
この続きは次回に。
おまけ
世界には不思議な裁判がある。
歴史を見ると、「動物の法的責任を問う」と動物を裁判にかけることがあった。
キリスト教の影響が強いヨーロッパで、そんな動物裁判がさかんにおこなわれていた。
キリスト教世界においては、罪を犯した物は人間でも動物でも植物でも無機物であっても裁かれなければならないというキリスト教文化の土壌によるものである。
「ウィキペディア」
有名な動物裁判には以下のものがあるらしい。
興味があったらウィキペディアで見てください。
1386年のフランスで、赤ちゃんを蹴り殺した豚が絞首刑に。
15世紀の李氏朝鮮で、人を殺した象が島流しに。
17世紀のフランスで、痒みで人を苦しめた南京虫が銃殺刑に。
1974年のリビアで、人に噛み付いた犬が懲役1ヶ月に。
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