インドに行く前、ボクは基本的に憲法9条の考えに近い「戦争も核兵器も反対。戦争をすることも、核を持つことも絶対にいけない。」という考えをもっていたのだが、これがインド後には変わって来た。
この考えをそのままインドに当てはめていいのだろうか?
インド人からは戦争ではなく、あくまで平和を求めていることを聞いていると、この考えに国境はなく、日本人もインド人も同じだと分かる。
日本と同じく平和を望んでいるのだが、「戦争をしないために、今は仕方なく核をもっている」という考えを知ると、ボクとして感情的に反発を覚えつつも、インドにはインドに合った平和の求め方があり、それはインド人が決めることは当然だ。
インドの核兵器をもつにいたった理由は、過去の3度にわたる印パ戦争や中国との紛争を抜きにしては考えられない。
「印パ戦争や中印戦争も、インドが日本の憲法9条のような平和の精神をもっていれば、防ぐことができた」と言い切る自信はボクにはない。
インドの歴史を知り、インドが置かれている地理的状況から考えれば、インドでは、ボクがもっていた先ほどのような考え方は、どうも現実的ではない。
「核兵器はすぐにでもなくすべきだ。核だけではなく、すべての兵器もなくせばいい」という考えは、日本でなら多くの賛同者を得られるかもしれないが、インドではあまりに理想的に過ぎ、インド人がそれを聞いても鼻白む思いをするかもしれない。
ただ、これは、インドだけではなさそうだ。
アメリカや中国も核兵器を保有している。
「なぜ、核兵器をもっている理由があるのか?」ということをアメリカ人や中国人に聞いたことがある。
個人的な意見ではあるが、いずれも、「平和と安全を守るため」であった。
アメリカ人は、シンプルな理由で、「一番強い国になれば、どこも攻めてこないだろう?」というもので、中国人も、「中国の核は中国だけではなく、地域の平和を維持することにも役に立っている。それに、中国は核を安全にコントロールすることができる」というものだった。
イギリスには、「トライデント」という核ミサイルがある。トライデントとは、ギリシア神話に出てくる海神ポセイドンが持つ武器(三叉この矛)のことだ。
「神の武器」をもっているイギリスは、自身が神のような存在になったと思っているのだろうか?
イギリス人に、イギリスが核をもっている理由を聞くと、「そんなことを考えこともなかった。核保有の是非は、選挙の争点にもならないし、誰も気にしていない」と驚いた顔をする。そして、「あえて言えば、イギリスの安全のためだろう」と言う。
最近では、北朝鮮で核兵器を開発しようとする動きが進んでいる。
ニューズウィークや他の雑誌の記事では、北朝鮮が核兵器をもつ理由の一つとして、「それによって北朝鮮が「大国」となることができ、多くの国(特にアメリカ)が北朝鮮の言うことに耳を傾けるようになるから」ということをあげている。
何の力もないまま、国際社会で自分の主張をしようとしてもあまり効果はなく、核武装という後ろ盾があれば、世界はその国の言うことを聞くようになるという。
多くの日本人には、受け入れにくい考えだと思うが、現実には世界の多くの国はそう考えて動いているのだろう。
ボクが気になるのは、日本のお隣りさんの国である韓国の動きだ。
隣国の北朝鮮のこうした動きに対応するため、最近の韓国では、「軍事力の増強」を訴える新聞記事をよく目にする。
例えば、「2016/02/28の朝鮮日報」では、「日本のように核を落とされた後に千羽鶴を折っても意味はない」と題するコラムがあった。
朝鮮日報は、韓国で最も多くの発行部数を誇る新聞で、「過激な記事で読者の注目を浴びて売り上げを伸ばす」といった性質の新聞ではない。
このコラムでは、北朝鮮の現状を「核とミサイルを開発した」と認識し、これは、韓国にとっては「核爆弾一つでソウルが廃墟になってしまう状況なのだ」と危機感を抱いている。
そのため、この事態に対応するためには、韓国には次のことが必要だという。
「軍事力オンバランスが完全に崩壊して敵の足の下敷きになるまで、自分の崔算と命を守る軍事力の育成に取り組まないといけないのだ」
「強い経済力も、強い軍事力の前では小さなちりのようにはかない存在だ。経済力の豊かさが軍事力によって守らならならなければ、反対に国の滅亡を招く原因となるものだ」
こう訴えて、ここで唐突に、広島の「貞子」の話が出てくる。
以下、少し長い引用になるが、日本にも関係することなので、引用させてもらう。
「日本の広島平和記念公園には、禎子という名の少女の銅像がある。禎子は2歳のとき原爆によって被ばくし、その後遺症のせいで10年後にこの世を去った。禎子は折り紙で鶴を1000羽折れば願いがかなうと信じていた。
しかし644羽折ったところで禎子は他界し、残りは友人たちが涙ながらに折ってひつぎに入れた。禎子は何の罪もないのに犠牲になった原爆被害者の象徴となった。
当時、日本の海軍と国策研究所も核兵器を開発していたが、米国による核攻撃の可能性については「あり得ない」と考えていた。日本は全てを失い、核の恐怖を味わった。韓国も多くの禎子を生み、折り鶴を折りながら一緒に泣くつもりなのか」
つまり、韓国が北朝鮮から核攻撃を受けて、ソウルが廃墟になったり、多くの韓国人が貞子のような核の被害者になったりしないように、韓国も国を守るために軍事力を増強するべきだ、ということだろう。
北朝鮮と向き合う韓国軍兵士
こうしてみると、この韓国の論調でも、インドの考えとの類似点が見られる。
日本を除いては、世界でインドだけが国会で議員が、広島や長崎の核兵器の被害者に黙とうをささげている。
しかし、ボクがインド人の話を聞く限りでは、インドでは、核を落とされたヒロシマの惨状を知ることで、これをインドで起こさせないために核武装を選択している。
韓国では、貞子の悲劇を知ることで、「軍事力の増強を選択すべきだ」と、朝鮮日報は伝えている。
さらに、韓国では、「韓国も核武装するべき」という考えも広がっている。日本の「ニュースポストセブン」の2016.02.21の記事では以下のようにある。
「1月6日に北朝鮮が「水爆実験」を発表し、4回目となる核実験に国際社会は強い非難を浴びせている。 その1週間後、朴槿恵大統領は、一年に一度しかない年頭記者会見でこう発言した。韓国も戦術核を持つべきではないかという主張については、十分に理解できる」
「2013年に韓国ギャラップ社が行った世論調査では、64%が「韓国の核保有」に賛成した」
インドの選択や韓国のこうした動きは、貞子を含めて原爆によって亡くなった日本人の願いに沿ったものであるとは、とても言いがたい。
しかし、それは当たり前といえば当たり前で、インドや韓国が、原爆の犠牲者の意思や願いにもとづいて行動するわけがなく、それを「参考」にして自国の安全保障の方針を決めるだけに過ぎない。
インドの旅でもそうだったが、ボクが持っていた「核兵器をもつことは絶対にいけない。すぐにでもなくすべきだ」という考え方は、ときどき、こうした「現実の壁」にぶち当たる。
そうすると、この考えは日本国内では通じるかもしれないが、外に出るとあまり説得力がない理想論なのだろうか、と思うようになってしまう。
世界では、ボクの考えなどよりは、「いつかは核兵器がなくなればいいけど、今それをするのは現実的ではないし、不可能だ」と言っていたインド人の言葉にうなづく人が多いのだろう。
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