韓国人の良い点・韓国の食器・レストランの始まり

 

はじめの一言

*「日帝=日本帝国主義」
「私にしても、日帝は悪以外の何ものでもありませんでした。ただ日本で生活するにしたがって疑問に感じはじめたことは、その悪としての日帝のイメージと私が生活する今の日本の社会と日本人とが、およそ結びつかないことでした。
(呉善花 平成)」

「日本の驕慢 韓国の傲慢 徳間書店」

 

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今回の記事では、今まで記事を書くために、いろいろな本を読んでいるうちに見つけた雑学的なものを3つ書きます。

 

・韓国人のここは見習うべき

仁川空港をブラブラ歩いていたときに、「これはいいな」と思ったのが韓国の伝統文化体験コーナー

ここでは、無料で韓国の伝統的な歌や踊りを見たり、うちわや箱などの韓紙工芸をつくったりすることができる。

韓国人は韓国の文化を外国人に伝えることが大好きだ。

韓国人は非常に熱心な愛国者なので、外国人にも韓国語や韓国文化を積極的に教えてくれます。そして、教えてくれたことを吸収すると「お前も韓国人らしくなった」と褒めて(?)くれます。

(中略)外国人に自国語や自国文化を積極的に教えるという姿勢は、いい迷惑の場合がなきにしもあらずなものの、やはり積極的に見習いたいものです。

(つきあいきれない韓国人 渡辺晶平)

それにしても「韓国人らしい」と思うのは、韓国の素晴らしさを世界に伝えるための機会を逃さないこと。
国際空港を、自国の良さを世界にアピールする場に変えてしまっている。

これが、韓国がすすめている「韓文化の世界化」作戦の一つなんだろう。

 

この体験コーナーを見かけたのは、10年ぐらい前だと思う。
この空港を利用して、ここにたくさんの外国人がいるのを見るたびに、「日本も韓国のこの積極性を見習えばいいのに!」と、よく思っていた。

日本人も「世界よ、これが日本の伝統文化だ!」と強くアピールする気持ちをもってもいい。
「積極性に自国の良さを世界にアピールする」ということについては、日本人は韓国人に負けている。

 

でも2016年の4月に、成田空港に日本の伝統文化を紹介するコーナーができたらしい。

海外からのお客様に日本に対する理解を深めていただき、「日本を訪れてみたい」「日本にまた来たい」という印象を抱いていただくため、2016年度も新しいイベントや人気のあるイベントで日本文化の素晴らしさを紹介してまいります。

成田空港公式WEBサイト

ようやく動き出したか、成田空港。
ちなみに6月には、こんなことをしていた。

6月は、お土産として大変好評をいただいている浮世絵版画刷り体験をはじめ、ちぎり絵体験や着物・甲冑の着装体験などをお楽しみいただきます。

 

英語のことわざに「better late than never(遅くとも、やらないよりは良い)」というものがある。
日本の良さを外国人にアピールするのは良いことだ。

 

韓国人や中国人に話を聞くと、「日本人は動き出しが遅いんすよ!」とよく言う。

日本人は何かを始める前に、あれこれ考えすぎるからスタートが遅れてしまうらしい。
日本人は失敗を恐れすぎかも。
韓国人は動き出しが速いし、やりながら考える人たちだと思う。
この点は、韓国人を見習った方がいいと思うことがある。

 

・韓国のステンレス製の食器

韓国料理を食べるとき、どうも違和感を覚えてしまうものがある。
それがステンレス製の食器。

 

 

「白米は陶器の器に入れるのが当たり前」というのが日本人の感覚があるからだと思う。

だからキラキラ光るステンレス製の器の中に白米があると、どうもしっくりこない。

 

でも韓国人の感覚からすると、ステンレスの「キラキラ」が良いらしい。
韓国では1970年代のころまで、民は白色の磁器を使っていた。

現在の韓国でステンレス製の食器が一般の間に使われるようになったのは、二十数年前からのことである。
それ以前、庶民は白色の磁器を、上流階級では銅製の食器を使用するのが普通だった。

(ワサビの日本人と唐辛子の韓国人 呉善花)

日本と韓国のお寺を見ると、日本人との美意識の違いを感じる。

「わび・さび」が好きな日本人はお寺も地味で落ち着いた感じだけど、韓国のお寺はど派手!
食器にも日韓の「美」の違いを感じる。

 

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これは王宮だけど、韓国のお寺もこんな感じ

 

・レストランの始まり

朝鮮(韓国)では、国のお金がなくなって陶磁器をつくる職人に十分な給料を払うことができなくなった。
そんなことを前回書いた。

韓国の高校の歴史教科書のこの部分。

朝鮮後期には官営手工業を維持することさえ難しくなっていた。

(韓国の歴史 明石書店)

給料が出なかったら生活ができない。

だからこの時、官営(国立)の作業場を出て自分で店を開いて庶民に陶磁器を売る職人がたくさん出てきた。

民間手工業者の作業場は、一般に店と呼ばれた。

鉄器手工業の店は鉄店、陶磁器手工業の店は陶磁店といった。販売のために製品を作る民間手工業は主に都市を中心に発達したが、次第に農村にも現われた。

(韓国の歴史 明石書店)

日本語の「店」も、韓国語の「店」と同じなのかな?
「民間手工業者の作業場」のことか?

それはいいとして、もし、こうした「店」が食事を出すところだったら?
それは、まさに「レストラン」ですね。

1789年のフランス革命のときにこんなことがあった。

貴族のために食事をつくっていたコックが、革命のためにその貴族にお金がなくなって給料をもらえなくなってしまった。

そうしたら朝鮮時代の職人みたいに、街に出て自分でお店を開くしかない。
これが「レストラン」の起源になったという。

レストランの登場

フランス革命は、王政や宮廷貴族に対して大打撃を与えた。そのため、王政時代に宮廷や貴族に雇われていた料理人は、王や貴族の没落によって職を失った。
このことが、二つの変化をもたらした。

彼らが他国の王侯貴族や大富豪に雇われたことで、フランス料理がヨーロッパ中に広まったことが一つであり、もう一つは、多くの料理人が街に出てレストランを開いたことであった。

第4章 近代―フランス革命以後

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。