はじめの一言
「『日本』という問題は、もはや日本のみの問題ではなくして、世界全体の問題である。この国もまたその国民の自覚の低下にともなって、次第に退屈に、無味乾燥になり始めるとしたら、それは全世界にとって恐るべき損失であろう
(ブルーノ・タウト 昭和)」
「ニッポン 講談社学術文庫」
今回の内容
・信無くば立たず
・明治の日本にとっての「国家の信用」
・アルゼンチン「金なら、返せん!」
・信無くば立たず
今週は、選挙だ!
ということで、ちょっと政治のことを考えましょ。
政治を行う上で、次の3つのなかで一番大切なものは何だろう?
1、軍備 2、食べ物 3、信頼
どれでも正解!
自分の価値観に合ったものを選べばいいんです。
でも、孔子が選らんだのは、3番の「信頼」だった。
それが、小泉元首相もが好きだった四文字熟語「無信不立(信無くば立たず)」になる。
民(たみ)信(しん)無(な)くば立(た)たず
《「論語」顔淵から》
社会は政治への信頼なくして成り立つものではない。
孔子が、政治をおこなう上で大切なものとして軍備・食生活・民衆の信頼の三つを挙げ、中でも重要なのが信頼であると説いたことから。民信無くんば立たず。(デジタル大辞泉)
この言葉の重さは、最近の都知事の辞任騒動のときにも感じた。
「不適切だが、違法ではない」
都知事はそう言ったけど、この言葉で人びとの信頼や信用はなくなった。
結果、違法行為はしていなかったけど、知事を辞めざるをえなくなった。
現実的には、法的に問題なくても許されないことがある。
やっぱり、政治ては「信」が何よりも大事。
紀元前6世紀に孔子が言っていたことが、現在の日本でも通用している。
やっぱり、孔子ってすごい。
・明治の日本にとっての「国家の信用」
今回の記事では、明治の日本人が信用というものをどう考えていたかを書きたい。
「『明治』という国家」という本の中で、司馬遼太郎がこう言っている。
明治国家を思って、涙がこぼれる思いでした。律儀なものでした
それは、明治の日本人が「国家の信用」というものを本当に大事に考えていて、律儀に守っていたことをさしている。
金の話が出たついでに申しますと、明治国家は、貧の極から出発しました。
旧幕府が背負った外貨もむろんひきつぎました。あらたに明治国家は借金もしました。それらを、貧乏を質に置いても、げんに明治・大正・昭和の国民は、世界じゅうの貧乏神をこの日本列島によびあつめて共にくらしているほどの貧乏をしましたが、外国から借りたお金はすべて返しました。
「国家の信用」 というのが、大事だったのです。(「明治」という国家 司馬遼太郎)
これは、簡単に言ってしまえば、「外国から借りたお金は、すべて返した」ということ。
そのためには、「世界じゅうの貧乏神をこの日本列島によびあつめて共にくらしているほどの貧乏をしました」というほどの苦しい生活を、日本人は余儀なくされた。
・アルゼンチン「金なら、返せん!」
「借りたお金を返すって、当たり前のことじゃん」と思うかもしれないけれど、それができない国もある。
例えば、アルゼンチン。
2001年に、アルゼンチンは米ファウンドなどから借りたお金が返せなくて、デフォルト(債務不履行)になった。
デフォルト(default)
債務不履行。
公社債の利払いが遅延したり、元本の償還が不能となったりすること。借入金の返済が不能となったことをもいう。(デジタル大辞泉)
大ざっぱに言ってしまえば、「借りたお金を返せません!」という状態。
「国がデフォルトする」とは、個人でいえば自己破産、会社でいう倒産のようなものだろう。
アルゼンチンがデフォルトしてから今までの流れを、「日本経済新聞」の記事(2015年1月25日)から見てみたい。
これが、なかなかひどい。
アルゼンチンは2001年に約1000億ドルの債務の返済ができなくなり、最初のデフォルト(債務不履行)に陥った。
これは、ボクも新聞やテレビの報道を見ていたから記憶にある。
国家が「借金を返せません」と、堂々と宣言することに驚いた。
個人でもそうだけど、借金を返せなくて自己破産をすると、周りからの信用はなくなる。
以来、パリクラブなどを舞台に債権者との交渉を延々と繰り返したほか、その間にも合わせて6回ものデフォルトを引き起こした。国際的な信用は地に落ち、孤立を深めている。
この記事で不思議なのは、それにもかかわらず、アルゼンチンの人々は幸せそうなこと。
人々の表情が、なんとのどかで、楽しげであることか。
パリを思わせる美しい石畳の街角で、町の音楽家がタンゴを奏でている。朝には、センスのよい服装の男女が、忙しそうに、だが平和な面持ちで職場へと足早に歩く。
夜になるとしゃれたレストランやバーでワイングラスを傾ける人々の笑顔が目立つ。百貨店やモールは買い物客でにぎわい、店には商品があふれていた。
借金を返さない国が、「桃源郷」になっていいのか?
そもそもアルゼンチンといえば、2014年に、日本の新聞にこんな「恥ずかしい訴え」をしていたのに。
アルゼンチン政府、日本の新聞に悲痛な全面広告 「債務返済を継続させてもらえない」
朝日新聞の6月25日付け朝刊に、「アルゼンチン共和国 大統領府」による全面広告が掲載された。「アルゼンチンは債務返済を継続したいが、継続させてもらえない」と
アルゼンチンにお金を貸した側は、どう思っているのだろう?
アルゼンチンに言わせたら、「貸した側にも責任や問題がある!」と開き直るのだろうけど。
実際、アルゼンチンはお金を貸した側の「米ファンド」を「ハゲタカ」と呼んで非難していた。
今は、抗議の訴えを外国に新聞に載せられるだけいい。
明治時代では、お金が返せないとそのまま植民地になる可能性があった。
いったん返すべきものを返さなければ植民地にされてしまうのです。
でなくても、国家の信用というものがなくなります。
国家というのも商売ですから、信用をなくしてしまえば、取引ができなくなるのです。(「明治」という国家 司馬遼太郎)
植民地になることもなく、「タンゴとワインと笑顔」のアルゼンチンは、本当に恵まれている。
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