「中国でもっとも日本の影響が強いところ」というと、中国東北部だろう。
むかし、満州と呼ばれていたところ。
満州
清の太祖ヌルハチがこの地域をマンジュと表現し、漢字で「満洲」をあてたことに始まる。満州国の成立後、日本は遼寧省を奉天省と改称。
「日本史用語集 (山川出版)」
この「マンジュ」は、仏教のマンジュシリ(文殊菩薩)に由来すると言われている。
瀋陽市の中国人ガイドもそう話していた。
濃い赤のところが満州(ウィキペディアから)
満州事変(1931~1933)からは、実質的に日本が統治していた。
今でも、ここには日本統治時代の建物が残っている。
ホテルや満州鉄道の本社など日本統治時代に建てられたものが、今ではこの地域の観光名所になっている。
例えば「skyticket」というサイトでは、大連をこう紹介している。
今では日本国内でもあまり味わうことのできない昭和の雰囲気を感じられる日本家屋や、統治時代の様々な建物など、懐かしい日本が大連にはあります。
大連市にある大和ホテル
中国だけど、雰囲気はまさに昭和初期のもの。
中国の「今日頭条」というメディアがこうした建物を記事に取り上げていた。
80年も前に日本人が建てた建物が今でもこの地域に残っていて、中には中国人が住んでいる家もある。
その記事では、こうした建物を”日本による中国侵略の証拠”とする一方で、その時代の様子を今に伝える貴重な歴史資料であることも伝えている。
サーチナの記事(2017-12-17 )によると、中国では「日本人の建物すげー」といった日本を評価する声が多いらしい。
「現在の中国ではコンクリートで建物を作っても70年も持たない。もし日本人が中国で問題となっているような手抜き工事をしていたら、侵略の証拠もとっくに消えていたはずだ」など、当時の日本人による建築の質を認めるコメントが多く寄せられていた。
大連や瀋陽に行ったとき、現地の中国人ガイドもこれと同じことを言っていた。
「日本人がつくった建物はとてもしっかりしていますから、今でも使われています。建物を見ると、日本人と中国人のちがいがよく分かりますよ。中国人は雑です。中国人がつくったものは、よく壊れてしまいますから」
この中国人ガイドも「日本は中国を侵略した」という考えを持っていたけれど、今でも大連に残っている日本時代の建物を見ると、「今の中国人よりマジメで、信頼できます」と思うらしい。
中国では地震が起こると、手抜き工事がバレてよく問題になる。
天災に人災が加わるから、中国では被害が拡大してしまう。
日本統治時代に日本人がつくった建物が、現地の人から高く評価されることは台湾でもある。
台湾は日清戦争の後、終戦まで日本が支配していた。
サーチナの記事(2015-04-25)で、「その時代の建物は300年は使える」と台湾の知事が言っている。
黄健庭県長(県知事)は笑みを浮かべて「日本式の建築物は、保存が良好なら300年間は使える」と述べた。台湾メディアの中時電子報などが伝えた。
これは1915年につくられた台東県の長官邸で、台東県は「県で最も価値ある歴史建造物」に指定している。
台北の有名な観光名所である「迪化街(てきかがい、ディーホアジエ)」でも、日本統治時代の建物を見ることができる。
建築様式は一定ではなく、さまざまな様式が混交している。バロック風の商館を起源に持つものや、洋館、昭和に入ってから建てられたモダニズム建築も見られる。
「ウィキペディア」
「日本統治時代につくられた建物は、たしかに良いです」ということは、韓国人の日本語ガイドも話していた。
「韓国人がつくったデパートや橋は壊れてしまうけれど、日本の植民地時代につくられた建物は今でも残っています。あれを見ると、日本人はすぐれていたと思いますよ」
こう言っていたけど、この50代の韓国人ガイドは、日本の植民地支配についてはまったく認めていない。
日本の統治は否定的に考えているけれど、その時代の建物を見ると、日本人の良さやすごさが伝わってくるという。
英語のことわざでいえば、「time will tell (時がたてば分かる)」といったところですね。
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