「中国か朝鮮に生まれたかった!」となげく日本人・藤原惺窩

 

「もし生まれ変わるとしたら、中国人として生まれたいですか?」

もしそう聞かれたら、どう答えるだろう?
ボクだったら、日本で生まれたことに満足しているから「ノーサンキュー」だ。

アメリカのインターネット上でそんな議論があったことが、サーチナの記事(2018-01-08)に書いてある。

来世は中国人として生まれたい? なぜ日本人の答えは「NO」なのか

 

なかには、「イギリスは食べ物がまずいから、おいしい料理のある中国に生まれたい」というイギリス人もいたらしい。

でも日本人については、こんな感じだ。

日本と中国の関係が良好ではないためか、中国人に生まれたかったという日本人はほとんどいなかったことを紹介した。

中国人の反応は、「また中国人として生まれたい」という意見が多かったけれど、生まれる国は問題ではなくて「大事なのは、お金持ちとして生まれるかどうかだ!」という人もいた。

まあ、これは分かる。

社会主義の中国は、なぜか資本主義の日本よりも貧富の差が大きくて、貧しい人は本当に苦労する。
中国人の日本語ガイドは、金持ちや有力者の子どもを「龍の子」と呼んでいた。
中国でコネのある人間と競争することは、「龍と戦うことと同じぐらいむずかしい」という。

 

 

今の日本では、「中国人として生まれたい」という人はほとんどいないようだけど、有名な歴史上の人物でそう願った人がいた。

それが、16世紀の日本を代表する儒学者「藤原惺窩(ふじわらせいか)」という人。

藤原惺窩(ウィキペディア)

ふじわらせいか【藤原惺窩】

(1561~1619) 江戸初期の儒学者。播磨の人。名は粛、字あざなは斂夫。初め相国寺の僧。のち朱子学を究めて、京学派をおこした。徳川家康に重んぜられ、門人に林羅山らがいる。仏教・老荘との融和を心がけた。

「大辞林 第三版の解説」

藤原惺窩は家名の「冷泉」を名のらず、中国式に「籐(とう)」と言っていた。
どこまで日本が嫌いだったのか?

 

 

16世紀、藤原惺窩が姜沆(きょうこう)という朝鮮人の儒学者と出会う。

姜沆は豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに日本に連れて来られ、約3年間、日本に滞在していた。
「この頃に藤原惺窩と交流し彼の朱子学の体系化に大きな感化を与えたとされる(ウィキペディア)」という。

この姜沆が、日本で見聞きしたことを「看羊録」という書にまとめている。

かんようろく【看羊録】

朝鮮,李朝の文臣姜沆(きようこう)が,日本の内情を秘密裏に本国政府に報告した文集。1598年豊臣秀吉の朝鮮出兵時に捕虜となり,京都伏見に幽閉されていた彼は,京都相国寺の藤原惺窩との対話や,京都方広寺の耳塚のことなどを記録にとどめ,当時の日本を知るうえで興味ある内容が多い。

「世界大百科事典 第2版の解説」

この看羊録のなかで、藤原惺窩が姜沆(きょうこう)にこう言っている。

実に残念です。私が、大唐に生まれることができず、また、生を朝鮮に得ることができないで、日本のこのような時代に生まれ合わせたとは!

「看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記 (平凡社東洋文庫)」

「大唐」とは中国のこと。
藤原惺窩は、「日本じゃなくて、中国か朝鮮に生まれたかった!」と姜沆にグチをこぼしている。
さらに藤原惺窩は、「明と朝鮮の連合軍で日本を占領してほしい」とまで言っていた。

今の日本で学者がこんなことを言ったら、ネットで大炎上する。

 

 

また、藤原惺窩と同じ時代に、「赤松広通(あかまつ ひろみち)」という武将がいた。
赤松は「日本のマチュピチュ」で知られる竹田城の城主でもある。

赤松広通

関ケ原の戦いではじめ石田方に味方し,のち徳川方につくがゆるされず,家康の命により慶長5年10月28日自害した。39歳。

「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」

この赤松広通も、かなりの中国・朝鮮かぶれだった。

唐の制度や朝鮮の礼を篤く好み、衣服や飲食などの些細なところまで、必ず唐と朝鮮に見習おうとします。日本にいるのではありますが、日本人ではない〔と思えるほどな〕のです

「看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記 (平凡社東洋文庫)」

藤原惺窩も赤松広通も、書物の中でしか中国や朝鮮を知らない。
実際の様子を見たら、あわてて日本に帰るかもしれない。

本を読んで頭の中でユートピアを描く人は、今の日本にも多いと思う。

 

 

「置かれた場所で咲きなさい」という本がある。
自分がその国で生まれたことには、何かしらの縁や理由があったはず。

「なんで自分は、今の日本に生まれてしまったのか!」と、藤原惺窩のようになげく人がいるかもしれない。
でも、自分の母国は運命によって決められたことだから、生まれた国で咲くことを考えた方がいい。

 

タイを旅行していたとき、「日本の社会がどうしても自分に合わなかったんです。だから、日本を捨ててタイで生活しています」という日本人に会ったことがある。
「日本を捨てて、自分に合った国で暮らす」という選択ができるのも、経済大国の日本に生まれたからだ。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。