ごめんなさい!インドを誤解していました① 「感謝されるインド」とは?~ダライラマ亡命~

 

・「感謝されるインド」

インドを旅していて、インドのイメージがガラリと変わったことがある。

インド北部のレーという街からザンスカールという街へ移動していたときに、あるチベット仏教の寺院に寄った。そこで、お坊さんにお茶に呼ばれて話をしていたときに、「チベット僧から見たインドの印象」を聞いてみた。

「インドにはとても感謝している。インドはダライラマとチベット仏教徒の亡命を認めてくれた。今でも、ダライラマに住む場所を提供してくれている。もし、あのとき、インドが受け入れてくれなかったら、チベット仏教は中心を失って、この世からなくなっていたかもしれない」

 

ダライラマの亡命を認めたことがどれほどすごいことか分からなかったが、その場にいたチベット僧もみんな、インドには深く感謝していた。これほど、「感謝されるインド」を初めて聞いたので、このことは印象に残っている。

 

 

・ダライラマ亡命

この後、この亡命を経緯を知ると、これはとんでもないことだと分かった。

「ダライラマは、中国から逃げて、インドとの国境でメッセージを送ったのです。『私は中国に戻ると殺されるのでインドに入りたい、難民とともに』と。ネルー首相は平和の人ですから、わざわざ場所を決めて、快く受け入れました。涼しいところから来たから、南の方では困るだろうと、最初はマスリという山の方にダライラマを迎えたのです。中国はこれに反対しました。しかし、インドはたとえ中国が反対しようとも、彼を守りました。インドは人間的です

(インド流 サンガ出版)」

 

このとき、インドがダライラマを受け入れたことをきっかけに「中印国境紛争」が起きている。
それは、具体的には以下のようなものだ。

「ダライ=ラマ14世のインド亡命を契機に中印国境でおきた武力衝突。1962年10月に大規模な戦いとなり、優勢だった中国が和平提案をしたのち撤退した(世界史用語集  山川出版)」

 

ここでは「武力衝突」と書いてあるが、これは「中印戦争」とも呼ばれていて、戦争でもある。この武力衝突で、インド軍は1000人以上の死者を出している。ダライラマが亡命を求めた当時、ネルー首相と周恩来首相とは仲が良く、中印は友好関係にあったという。

よく中国との関係悪化を覚悟してまで、ダライラマとチベット難民を受け入れたな、と感心してしまう。

 

 

・「義を見て為さざるは勇無きなり」

このときは、ダライラマがノーベル平和賞を受賞する前で、現在のような世界のVIPではない。
「ダライラマをインドが受け入れるメリットは何だろう?」と考えたけど、よく分からない。
損得でいえば、「損」の方が圧倒的に多いような気がする。むしろ、ダライラマを中国に渡してしまって、中国との友好関係を深める方が「得」だったのではないか?という気もする。

 

しかも、インドは、いったんダライラマの亡命を認めてから、アメリカなどの第三国に亡命させるのではなく、今もなお、ダラムサラという場所でダライラマたちに安住の地を提供し続けている。

「インドは人間的です」と先ほどのインド人は書いていた。
これを別の表現で言うと、「義を見て為さざるは勇無きなり(人として行うべき正義と知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じことである)」という論語の言葉がいいだろう。

 

 

日本だったら、中国との関係悪化を覚悟してまで、ダライラマと難民を受け入れただろうか?
日本の樋口中将が、ナチスドイツの意思に反して、ユダヤ人の亡命を受け入れたことは、以前書いた。

「ガンディーのやり方が、ヒトラーやポル・ポトにも通じたの?」④」

日本が自衛隊員の命を犠牲にするという最悪のケースを覚悟してまで、難民の受け入れを決断できただろうか?
チベット難民よりも、日中の「平和友好」を選んだのではないかという気がする。

中印国境紛争の影響はその後も残っている。
インドのハイテク都市「バンガロール」は、デリーやムンバイな
どの大都市からかなり離れた南に建設されている。
その場所を選らんだ理由の一つには、「中国からミサイルが届かない場所だから」ということがある。

 

今回、この記事を書いたことは理由がある。

日本に住んでいるインド人の知り合いがいて、たまに彼らと話す機会がある。
その話の中で、彼らがまれに、日本人のインドやインド人に対するイメージ(偏見)で、不快な思いをすることがあるということを聞いたから。

そのことは次回、書きます。

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。