*平和を考えた。⑤ 「韓国の失敗『太陽政策』」

記事に入る前に、初めて読む方のために、もう一度朝鮮戦争の確認をしたい。
もう知っている方は、先に進んでください(くどくて、ごめんねえ)。

「朝鮮戦争」

「1950~53 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から大韓民国(韓国)への侵攻で始まった戦争。
北朝鮮軍に対し、アメリカ軍を中心とした国連軍が韓国を支援して介入(かいにゅう)した。戦況が逆転して国連軍が鴨緑江(おうりょくこう)にせまると、中国が人民義勇軍を派遣して、のち38度線を挟んで戦局が膠着(こうちゃく)した。1953年に休戦協定が結ばれ、国家の弁列は固定化された(世界史用語集)」

 

国際問題を解決する手段として、「対話と圧力」という言葉はよく用いられる。
そして、その例えとして使われる比喩がイソップ物語にある「北風と太陽」の物話だ。
この言葉は、このような意味がある。

 

「北風と太陽」という言葉は、イソップ物語の名前から離れて一般的な言葉として使われている。
「物事に対して厳罰で臨む態度と、寛容的に対応する態度の対比を表す言葉として用いられる(ウィキペディア)」

 

この厳罰で臨む態度が、経済制裁や武力の行使といった「圧力」になり、寛容的に対応する態度が話し合いや経済や文化面での交流などになる。
この「北風と太陽」のあらすじを紹介してから、記事に入りたい。
すでに知っている方は、先に進んでほしい。
以下の引用は、ウィキペディアによる。

 

「あるとき、北風太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。

  1. まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
  2. 次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。

これで、勝負は太陽の勝ちとなった。

 

「北風と太陽」の物語では、一般的にはここにあるように、「太陽の勝ち」となっているが、結局は北風が勝ったというものもある。
その詳細が、ここでの問題ではないので話を進める。

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「軍での自殺は、いけません。軍に入ったら、命は国のものですから」という韓国人の友人の言葉を聞いてボクがにびっくりしたけれど、韓国が北朝鮮から受けてきたことや実際に韓国人が感じている脅威を知ると、何も言えなくなってしまう。

平和を考えた②  日本と韓国はここが違う。ボクは、韓国人の気持ちを共有できない。

 

日本では、戦後、韓国のように外国の軍から攻撃を受けて自衛隊員や民間人が犠牲になったということがなかったため、ボには戦争が迫っているとは感じられない。それと、個人的に戦争という言葉になじみがないためか、その言葉自体にアレルギーというか拒否反応を感じることもあった。
だから、彼の言葉にも正直、抵抗は感じた。。

 

その韓国人の友人は、「北朝鮮が韓国に攻めてくる可能性は、十分にあります」と断定する。
彼に、「戦争になったらどうするか」ではなくて「戦争にならないようにするためにどうするかを考えたらどうか」ということを言ってみた。
誰にとっても、戦争ではなく、平和的な手段で問題を解決することが最も理想的なはずだ。

 

しかし、言っていることは間違っていないとしても、それを彼らに言うことは、間違っていた。
「もちろん、それが一番ですよ。そうすれば、徴兵制度もなくなりますしね。でも、それは本当に難しいことです」

 

南北問題で、平和的な解決を最も望んでいるのは、当事者である韓国や北朝鮮の人々で、ソウルや平壌を火の海にしたくないことを一番願っているのも、彼らなのだ。
南北問題が話し合いで解決できるなら、日本人に言われなくても、当然やっているだろう。ボクが彼に言うこと自体が、釈迦に説教だ。

 

「韓国は、もう平和的・友好的に北朝鮮と接していきましたけど、それは失敗しましたから。また、同じことをやることは難しいですね」
と、彼は言う。
彼がここで言っていることは、韓国が行った「太陽政策」と呼ばれるものだ。

 

太陽政策

「大韓民国政府の朝鮮民主主義人民共和国に対する友好的外交政策の通称。1998年に大統領に就任した金大中(キムデジュン)が推進し、廬武鉉(ノムヒョン)政権に継承された。
政治的目的のために経済を利用しない政経分離を基本に、圧力を用いず、人道支援・経済協力・文化交流などを通じて将来的に南北統一を図ろうとする宥和政策。

1991年に盧泰愚(ノテウ)政権下で締結された『南北基本合意』に基づいて、金大中が南北間の相互協力・和解を進め、2000年に南北首脳会談が行われ『南北共同宣言』が締結された。包容政策(大辞泉)」

 

もちろん、この「太陽政策」という言葉は、記事の冒頭で出てきたイソップ寓話の「北風と太陽」に由来する。
この2000年に行われた首脳会談の様子は、テレビで見ていたボクもよく覚えている。
当時の韓国の金大中(キムデジュン)大統領と北朝鮮の金正日(キムジョンイル)国防委員長が、握手した映像は世界中で大きく報じられた。
南北の首脳が直接会うことは、1948年以来、初めてのことで、金大中はこの功績により、ノーベル平和賞を受賞している。

 

第二次大戦後、ベトナムの南北問題が解決し、米ソの冷戦も終わり、さらにベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが一つになった。
朝鮮半島でもいよいよ「雪解け」が始まるのかと期待していたが、そううまくは運ばなかった。

 

先ほどの大辞泉には、「補足」として、平和的・友好的に解決を図ったこの太陽政策がその後どうなったかを、こう記している。

 

「2006年、北朝鮮が国連の反対を押し切る形で核実験を行ったことから、太陽政策がその資金供給源になった可能性があるとして、政策の是非が論議されている。
2007年に発足した李明博(イミョンバク)大統領政権内でも太陽政策に関する評価は分かれている」

 

「圧力を用いず、人道支援・経済協力・文化交流などを」進める一方で、それで得た資金が核実験に使われていたとしたら、とんでもない話だ。
2007年の時点では、韓国での太陽政策の評価は、「分かれている」となっているけど、現在の韓国では「失敗だった」と認識されている。

 

それどころか、韓国の新聞紙は、この時代の「平和的な解決」への韓国人の期待の高まりを、「うぬぼれによる達成感は最高潮に達した」と、痛烈に批判している。
現時点では、明らかに、太陽は北風に「負けている」。
現在の韓国の状況を知るうえで、大切なことだから、そのことを次回に書いていく。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。