ギリシャとマケドニアの争いをみていると、「日本は島国でよかったな」と思う。
まえに記事で書いたことがあるのだけど、マケドニアの首都の空港は「アレキサンダー大王空港」という。
でも、ギリシャがこれに怒っていた。
ギリシャ人は「アレクサンドロス(アレキサンダー)大王は、オレたちギリシャの英雄だ」と考えているから。
でも、マケドニア人もアレキサンダーを自国の英雄だと思っている。
そういうことで、ギリシャとマケドニアは「アレキサンダー空港という名前をやめろ!」「いや、断る!」と対立していた。
アレクサンドロス大王(ウィキペディア)
高校の世界史ではこう学ぶ。
アレクサンドロス大王 前356年 ~ 紀元前323
大帝国を樹立したマケドニア王(在位 前336年 ~ 紀元前323)。
アリストテレスに学び、父の暗殺により20歳で即位した。ギリシア連合軍を率いて東方遠征をおこない、アケメネス朝を倒して、ギリシア・エジプト・インダス川にいたる大帝国を樹立した。インドからの帰途後アラビア遠征を計画中に、バビロンで急死した。彼は各地にアレクサンドリア市を建設しギリシア人を入植させる一方、ペルシアの習慣も採用したため、東西融合が進んだ。
「世界史用語集 (山川出版)」
アレクサンドロスの帝国
このころ日本は弥生時代の真っ最中。
この時代、今のマケドニアはギリシャにふくまれていた。
だからアレクサンドロス大王はギリシャ人だし、マケドニアの王でもある。
ずっとギリシャと争っていたマケドニアは疲れてしまった。
マケドニアのザエフ首相はついに「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ」ではなくて、「アレキサンダー大王空港はやめて別の名称にします」と発表した。
くわしいことはこの記事をどうぞ。
島国日本にはこれがない。
日本は四方を海に囲まれていて、海の外が「外国(海外)」になる。
だから「その人物は日本のものだ!」と、歴史上の英雄を外国と取り合うことがない。
大陸にある国ではそんなことがある。
領土が大きくなったり分裂したりするから、ギリシャとマケドニアのような争いがおこる。
フランスとドイツにも同じようなことがあるらしい。
「英雄カール大帝(シャルルマーニュ)は、フランス人かドイツ人か?」
独仏のそれぞれが「それはオレの国の英雄だ!」と言っている。
そんなカール大帝って、こんな人。
カール大帝(シャルルマーニュ)
742~814
フランク王国最盛期の王(在位768~814)。ランゴバルド王国を滅ぼし、ザクセン人やアヴァール人、イスラーム勢力を打倒して西ヨーロッパの主要部分を統一した。(中略)800年ローマ教皇レオ3世により戴冠され、西ヨーロッパ帝国復活の立役者となった。「世界史用語集 (山川出版)」
800年といえば、都を奈良から京都にうつした年(794年)とほぼ同じだね。
カール大帝(ウィキペディア)
カール大帝が支配していたときのフランク王国
このフランク王国が分裂して、いまのドイツ・フランス・イタリアが誕生した。
メルセン条約
フランク王国分割の条約。中部フランク王国の北部は東・西フランク王国に分割・併合され、ドイツ・フランス・イタリアの原形が成立した。
「世界史用語集 (山川出版)」
カール大帝(シャルルマーニュ)は「西ヨーロッパの父」みたいなすごい人。
「もうウザイ」と言わずに聞いてほしい。
870年は平安時代で、894年に遣唐使が廃止されている。
この人物をドイツ語で言うと「カール」になって、フランス語で言うと「シャルルマーニュ」になるが、読み方がちがうだけでまったく同じ人物だ。
それで独仏のそれぞれが「彼はウチの英雄だ!」と言いたがるという。
カール大帝(シャルルマーニュ)はフランス人とドイツ人の両者が自国の英雄としたがっている
「ヨーロッパの歴史 (東京書籍)」
でもギリシャとマケドニアとはちがって、カールをめぐる争いはそんな大したことはないようだ。
ただ、彼はドイツとフランス両国で「始祖的英雄」と見なされていることから、シャルルマーニュやカールという呼び方を避けて、英語読みの「チャールズ大帝」が使われることがある。
カール大帝について知人のイギリス人に聞いたら、こんな返事がきた。
「They reckon everyone in Europe is related to Charlemagne.」
ヨーロッパの人間はみんなシャルルマーニュと関係があるという。
ハートのキングはカール大帝(シャルルマーニュ)といわれている。
クラブのキングはアレキサンダー
「~といわれている」ではなくて、このモデルはアレクサンダー。
「ハートのキングがカール大帝なら、スナック菓子の『カール』もカール大帝じゃね?」
と思って調べたら全然ちがって、明治のウェブサイトを見たら、「カール」というのはもともと女の子の名前だった。
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