「日本ではすべて二重なのだ。和洋二通りの暮らし方・旅館とホテル・日本料理と西洋料理・和式洋式の建築(中略)しかもそのどれもがわれわれ西欧人を喜ばすためでも観光客目当てでもなく、日本人自身のためなのだ。日本はまさに『二重文明』の国である。
(ロベール・ギラン 昭和初期)」
*伊勢神宮の建物について
「いわば稲田の作事小屋や農家の結晶であり、真の『神殿』すなわち国土とその大地の精髄(せいずい)の安置所なのである。国民はそれを国民の最高の象徴として崇拝する(ブルーノ・タウト 昭和)」
「外宮を持った伊勢はー一言にして言えばーそもそも建築術の神殿であるのだ
(ブルーノ・タウト 昭和)」
「世界の他のどの土地で、桜の季節の日本のように、明るく、幸福そうでしかも満ち足りた様子をした民衆を見出すことができようか?
(フィッシャー 明治時代)」
「桜の花の頃こそ日本人を観察すべき時である。これこそ牧歌的哀歌的なる天性の最も明らかに現われる現象だからである。(ケーベル 明治時代)」
「もっと素晴らしいのは秋だ。陽光はまろやかに暖かで、野山は壮麗に色付く。空気は清く澄み、そして明るい。日本の夏の暑さは水に流してしまってよい。
(シドモア 明治時代)」
*外国使節だった申叔舟(シン・スクジュ)が朝鮮国王「成宗」に残した遺言
勿れは、「なかれ」
「願わくば国家、日本との和を失う勿れ(申叔舟 戦国時代)」
*吉田松陰について
「教養ある人物で、優美に字を漢字を書き、その態度も礼儀正しくきわめて洗練されていた
(ペリー 幕末)」
「『日本』という問題は、もはや日本のみの問題ではなくして、世界全体の問題である。この国もまたその国民の自覚の低下にともなって、次第に退屈に、無味乾燥になり始めるとしたら、それは全世界にとって恐るべき損失であろう
(ブルーノ・タウト 昭和)」
*真珠の養殖に成功した「御木本幸吉」に対して、
「これは養殖ではなく、真の真珠だ。実は自分の研究所でできなかったものが二つある。一つはダイヤモンドで、いま一つは真珠である。あなたが動物学上からは不可能とされていた真珠を発明完成されたことは世界の驚異だ
(トーマス・エジソン 昭和)」
破傷風の純粋培養に成功した北里柴三郎に対して、
「自分は直ちに北里の研究所に至って大成功を祝したが、この時の自分の喜びは非常なものであった。今日当時のことを追懐するだに愉快に耐えない
(コッホ 明治時代)」
「日本には、一種の連続性という絆があり、それは、おそらく、永遠ではないとしても、今なお存続しているのです (平成 レヴィ・ストロース)」
*1894年の日清戦争について
「日本からみれば、この戦争は完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの『特権』を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
(ヘレン・ミアーズ 昭和)」
「日本が西洋に認められるうえで、日露戦争は有益な学習だった。文明世界は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。彼らは民族衣装のキモノを着ながら、たちまちにして近代戦の技術を習得していたのだった。
(ヘレン・ミアーズ 昭和)」
「私は彼らに、日本のことをおぼえているかぎりあなたたちを忘れることはないと心から告げて、彼らの親切にひどく心うたれながら出発した
(イザベラ・バード 明治時代)」
「日の光が滝に当ってきらきら輝き、目の前一杯に広がった目も覚めるような木の葉の色が日に照り映えるのを見ていると、本当に目が眩むような気がした
(メアリ―・ダダヌン 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
「朝鮮儒教の二千年 姜在彦」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
「ニッポン 講談社学術文庫」
「アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ」
「逝き日の面影 平凡社」
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