はじめの一言。
「愛くるしい日本国民の微笑、比類なき礼節、上品で果てしないお辞儀と明るく優美な表情には、はるかに心よさを覚えます。」(シドモア 明治時代)
タイで会った日本人旅行者から、「国連が戦争を認めているよ」と聞いて驚いた。
で、「国連ってどんなところか、知ってる?」と言われたけど、よく知らなかった。で、国連がどんなところか調べてみた。
今回はその続きです。
そもそも、国際連合は何のためにつくられたのか?
小学生の仲良しグループであれ国連であれ、どんな組織にも目的やメンバーの共通の利益があるはずだ。 仲良しグループはおいといて、国連の目的を見てみよう。
前回紹介した「世界史用語集」の中に手がかりがありそうだ。この部分ね。
戦争を防止できなかった国際連盟の失敗を教訓とすべく、総会での多数決制、安全保障理事会の権限強化および拒否権などを採用した。(世界史用語集 山川出版)
この「国際連盟が防止することができなかった戦争」っていうのは、第二次世界大戦のことでしょ。
現在の国連(国際連合)は、「第二次世界大戦を起こしてしまった」という反省から生まれている。
だから、言い切ってしまう。国連がつくられた最大の目的は、「第三次世界大戦を防ぐこと」と。
でもそれは、国際連合憲章からも分かる。
国連憲章は、次のような文で始まっている。
われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度までも言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い
外国人が作る文章は、最初に結論を言うのがお約束。
ということは、国連憲章で最も重要な部分は、冒頭のこの部分と考えていいでしょ。
ここには、自分たちが生きているわずかな間に二度もの世界大戦をしてしまったということへの深い反省がある。
そして、将来の人類のために、「三度目の世界大戦は絶対に起さない」という決意もある。
そうした過去の悔恨と未来への思いから、戦勝国が国際連合を組織したってことだね。
「失敗したっていいじゃないか 人間だもの」と、相田みつおが言うように、誰だって失敗はする。それって、普通。
でも、人間は、その経験から教訓を得て次にいかすことで、失敗をくり返さないことはできる。
というか、過ちを犯すのが人間だとしても、同じ愚行を三回も繰り返してしまうと、さすがにマズイ。
前回の国連憲章にあった「共同の利益のため」という言葉の具体的なものが、「人類を第三次世界大戦から守ること」であることは間違いない。
この部分ね。
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、 共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し(国際連合広報センター)
これは、「『第三次世界大戦を防ぐ』という共同の利益のためなら、武力を用いてもいい」って解釈してもいい。
つまり、武力の行使、実質的には戦争による国際問題の解決を、不本意かもしれないけど、国連は認めている。
国家同士の争いといった国際紛争は、ほっとおくとどんどん拡大して多くの犠牲者が出てしまう可能性がある。
当たり前のことだけど、大きな戦争と小さな戦争のどちらかを選ばないといけないのなら、小さな戦争の方がいい。
「戦争か平和か」なら、誰だって平和がいい。そりゃそうだ。
でも、現実には、「大きな戦いか小さな戦い」かを選らばなきゃいけないこともあるんじゃないの?
これは、消火活動と同じようなものだと思う。
火事は広がらないうちに消すことに限る。
「ぼや」であるうちに火を消すことができれば、大事にはいたらない。
「そもそも、火事を起こさなければいい」と言われたら、確かに、そのとおり!
でも、起こしたくはないけど、起きてしまうこともある。
火事も戦争も、未然に防ぐために細心の注意を払わなきゃいけない。でも、それと同時に、それが起きたときの具体的な対応を考えて用意しておくことも大切だ。
「火事が起こるとか戦争が起こるとか、イヤなことは考えたくない!」っていうのが、一番危ないでしょう。
話がずれた。
国際問題(紛争)の解決のためとはいっても、いきなり武力を使うのは、もちろん、ダメだけどね。
まずは、話し合いとか注意(勧告)をするとか、穏やかで平和的な方法で問題の解決を図って、それでもダメなら、圧力をかけるといった手段をとるんだろうね。
圧力って、例えば、国連の安保理(安全保障理事会)が北朝鮮への制裁決議を採択するとかいうやつ。日本も、北朝鮮には独自の制裁をしてるけどね。
対話をしようとも、制裁をしようとも、それでもダメなこともある。
絶対に解決しないといけない問題だけど、何をどうしても、解決できない!
考えつくあらゆる手段を使っても解決しできない!
というときに、最後の最後の手段として、武力の行使によって問題を解決する、という流れになると思う。
「武力の行使か対話による解決か?」なら、順番でいえば、まずは対話による平和的な解決を図るべき。
でも、「絶対に平和的に解決する!」と、思い込んでいると、これは問題になることがある。
現実には、もう武力による解決しかないのに、あくまで話し合いで平和的に解決しようとすると、かえって問題が複雑したり大きくなったりしてしまうことがある。
そして、結果的に、多くの一般人が犠牲になってしまうこともある。
実際、過去にそういうことがあった。
あくまで戦争を避けて、平和的に解決しようとしたために招いて起きてしまった大きな失敗がある。
さっき、「現実には、『大きな戦いか小さな戦い』かを選らばなきゃいけないこともあるんじゃないの?」と書いた。
その具体例は? と聞かれたら、ボクなら、「第二次世界大戦」と答える。
国連憲章にあったこんなやつ。
「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度までも言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」
の、「言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争」というもの。
ところで、第二次世界大戦って何で起きたんだっけ?
その辺を次回の記事で書いていきたい。
そしたら、日本国憲法では禁止されている戦争(武力の行使)を、何で国連が認めているのかが分かると思う。
日本の憲法第9条では、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」があるから、絶対にダメなんだけどね(それぞれの語句の細かい解釈はご勘弁)。
何で、国連はそれがokなのか?
ひょっとしてそれも、第二次世界大戦の戦勝国と敗戦国の差か?
次回に続きます。
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