きのうの記事で、迷惑なデンマーク人について書いた。
彼は旅行で日本へやって来て、「記念に何か残したかった」と考え、東京丸ノ内線の構内に忍び込んで車両に落書きしやがった。
こういう迷惑な観光客は世界中にいて、日本人も例外ではない。しかし、日本人の場合、海外で迷惑行為をしたところ、結果的に「日本人はやっぱり素晴らしい!」と逆に評価が上がったことがある。
こんな事例はきっと日本人だけだ。
日本人は昔から、公共物に落書きをしなかったらしい。
明治時代に来日し、東京大学の教授をしていたアメリカ人のモースは、街の様子についてこんなところに母国との違いを感じた。
人力車に乗って田舎を通っている間に、徐々に気がついたのは、垣根や建物を穢なくする記号、ひっかき傷、そのたが全然無いことである。この国には、落書きの痕をさえとどめた建物が一つもない。
「逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 渡辺 京二 」
しかし、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と中村草田男が詠んだように、平成の日本人は明治時代とは価値観や考え方が違う。残念ながら、いまでは街のあちこちに落書きがあって、それはもう珍しいことではなくなった。
海外でも、日本人による落書きを見たことがある。
エジプトのピラミッドやカンボジアのアンコールワットなどの世界遺産で、日本語で名前や日付け、大学名などが石に刻まれていて、思わず「必ず罰が当たりますように」と祈った。ただ、日本語よりもローマ字の落書きのほうが圧倒的に多かった。
しかし、これはインターネットが普及する前で、現在のように「最低の日本人発見!」なんて画像がSNSで拡散することを心配する必要はなかった。だから、海外の日本人観光客には油断があった。
2008年に、ある日本人の女子大生が研修旅行でイタリアを訪れ、「うわー、フィレンツェだー。すごーい!」と気分がアガったせいもあったのだろうけど、世界遺産の「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に落書きをした。
この聖堂は世界的にも有名で、フィレンツェのシンボルになっている。
帰国後にこれがバレて、大学には抗議の電話が殺到したり、ネットでは「日本の恥!」とたたかれたりして大騒ぎになる。その結果、その女子大生は自費でフィレンツェに行って、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の関係者に会って謝罪した。
この行動に全イタリアが驚いた。
文化財に落書きをすることは蛮行で、してはいけないコトというのは誰でもわかる。しかし、イタリアには落書きがそこら中にあって、国民もすっかりそれに慣れていた。
だから、落書きを謝罪するために、日本から飛行機に乗ってやって来たという出来事はイタリアでは”事件”となる。
大聖堂の修繕責任者はその大学生の行為に感心し、「落書きは許されないことだが、日本人が深い謝罪の意思を示したことに驚いた。敬服する」と称賛した。
イタリアのメディアも、この日本人の振る舞いはイタリア人にとって良いレッスンになると好意的に報道する。
世界遺産に落書きをしたら、結果的に「やっぱり日本人はスゴイ!」と逆に評価が上がってしまったのだ。
しかし、ものごとには限度がある。
このあとサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で、別の日本人による落書きが次々と見つかり、それが報じられて騒ぎになる。それで、当事者の大学生は停学処分になり、高校の野球部の監督は解任された。
くわしいことは「大聖堂や礼拝堂で起こった出来事」にある。
これを知ったイタリアは「落書きの責任をとって停学や解任ってマジか!!」と別の意味で衝撃を受けた。
毎日新聞の記事にイタリア紙の反応がある。(2018年7月1日)
同紙は「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と、日本人の措置の厳しさに疑問を投げ掛けた。コリエレ・デラ・セラ紙も「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」と論評した。
イタリア世界遺産落書き:「厳罰」処分 伊紙「あり得ない」
落書きをしたら、飛行機に乗って謝りに行ったり、学生が停学になったり、監督が解雇されたりする。こんな日本の常識や感覚は、イタリア(や世界の)常識を超えている。
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