3分で分かる中国の歴史!君主制が共和制になったとき(辛亥革命)

 

では今回の内容デスよ。

・「変らないためには、変り続けないといけない」
・「不易と流行」
・中国史の「不易と流行」
・「君主制」と「共和制」について

 

・「変らないためには、変り続けないといけない」

「変らないためには、変り続けないといけない」

なんてカッコいいことをいってみた。
でも、海外旅行に行っているだけでもそのことを感じるよ。

たとえば、ここ20年で海外で見かける日本の電機メーカーの広告が目に見えて減っている。
前は海外の空港に着いたら、ソニーやパナソニックの広告がど~んとあって「日本の企業が世界のトップで活躍してる!」って誇らしく思ったものだ。

けど、最近の空港にはそうした日本ブランドの広告が減っている。
代わりに、サムソンやLGといった韓国ブランドのでっかい広告ばかりだ。

「日本の電機メーカーの存在感が下がって、韓国メーカーに抜かれる」

こんなことは20年前に想像したこともなかったよ。
日本の電機メーカーはこれからも世界のトップであり続けると思っていた。
なのに、今ではシャープでさえ外国企業のものになってしまった。

 

この凋落(ちょうらく)はなんだろう?
なんでこうした変化が起きたのか?

簡単にいったら、日本の電機メーカーが時代の変化に合わせてうまく変わらなかったからだろう。
どんな時代になっても世界のトップにい続けるのなら、会社も変り続けないといけない。その時代の人々のニーズを的確につかんで、それに合わせた製品づくりをしないと没落してしまう。
ま、言葉でいうだけなら、本当に簡単だけどね。

 

ということで、これが海外旅行で感じた「変らないためには、変り続けないといけない」の一つの例。

 

でも、海外で日本食をみる機会は増えた。

 

・「不易と流行」

「変わるものと変らないもの」をさす言葉として、「不易と流行」という言葉がよくつかわれる。
いつまでも変わらない本質的なものが不易(ふえき)で、その中に加えていく新しく変化を流行という。

前に中国の歴史と日本の歴史について記事を書いたときに、「日本と中国の歴史にも、この不易と流行があるんだなあ」とつくづくを感じた。
ということで、今回は中国の歴史での「不易と流行」というものについて書いていきたい。次回、日本の歴史での「不易と流行」について書きます。

 

あと、最初に言っておくけど「3分でわかる」っていうのは中国の政治体制のことですよ。君主制と共和制のことですよ。

君主制っていうのは、簡単にいったら「王や皇帝が政治をおこなう政治体制」のこと。
共和制というのは君主制の反対で、簡単にいったら王や皇帝がいない政治体制のこと。
じゃ、誰が政治をするのか?
王ではなくて、民衆の中から代表者がでて政治をおこなうことになる。

 

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王宮(北京)

 

・中国史の「不易と流行」

・不易

中国の歴史での「不易(かわらないもの)」というのは、皇帝が治めるという政治体制のこと。
これが「君主制」ってヤツだったね?

中国がいくつもの国に分かれていた時代、中国の歴史で初めて中国を統一したのが秦の王様だった「政(せい)」という人物。
政は考えた。

「王という言葉は、一つの国のトップをあらわすもの。全中国を統一した自分には、王より『もっと上』の呼び方が必要だ。」

ということで「皇帝」という言葉を採用する。

皇帝

秦王政が統一王朝後採用した称号。こののち王号よりも上級の称号として、歴代統一王朝の君主がもちいるようになった。

(世界史用語集 山川出版)

ということで、皇帝は王より上の存在。

中学のクラスでいったら、王は班長で皇帝は学級委員長みたいなもの。

とにかく、ここに中国史上初めての皇帝となる「秦の始皇帝」が誕生したわけだよ。

 

西安にある兵馬俑(秦の始皇帝のお墓)

 

秦の始皇帝のときから「皇帝が支配する」という政治体制が続く。
いつまでか?
1911年の辛亥(しんがい)革命までだったね。

「辛亥革命」

1911~1912 清朝を倒し、中華民国を樹立した革命

12年1月、孫文を臨時大総統とする中華民国の建国が宣言され、2月、袁世凱の活動により清朝皇帝が退位した

(世界史用語集 山川出版)

この辛亥革命が起こるまで、中国では約2000年間ずっと「皇帝が支配する」という政治体制(君主制)が続いていた。
これが、中国史での「不易」というもの。

 

辛亥革命で中国の皇帝をなくした孫文

これは台湾のお札。
中国では、毛沢東は人気があるけど蒋介石は人気がない。
台湾では、蒋介石は人気があるけど毛沢東は人気がない。
中国でも台湾でも人気があるというめずらしい人物が孫文。

 

・流行

おつぎは、中国の歴史での「流行(かわるもの)」について。
これは、「王朝の交替」のこと。

中国の王朝を覚えることって、大変じゃなかった?
中国は「秦漢隋唐宋元明清」というように、王朝が次から次へと替わっている。「シン」といっても、秦、新、晋、清といろいろな「シン」がある。

中国史では、まったく別の人間が皇帝を倒して自分が皇帝になる。
そして新しい王朝を始めている。

これが、易姓革命(えきせいかくめい)。

易姓革命

孟子がとなえた王朝交代の理論。 天命を受けた天子が悪政をおこなえば、天は天命を革(あらた)め(革命)、別の有徳者を天子とし、姓(王朝の名)を易(かえ)るとする。

(世界史用語集 山川出版)

中国の歴史ってこの易姓革命のくり返し。

「秦漢隋唐宋元明清」みたいに、新しい王朝が次々と生まれていた。
この王朝がコロコロと替わることが「流行」になる。

 

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コカ・コーラの漢字

 

・「君主制」と「共和制」について

さて、始めに書いた「君主制」と「共和制」について。

中国の歴史でいつまでが君主制で、いつから共和制になったか分かった?
辛亥革命の前までは、皇帝がいたから君主制。
辛亥革命の後は、皇帝がいなくなっいるから共和制だね。
ここでいう君主制と共和制って、かなり大ざっぱな意味だけどね。
でも、イメージとしてはこんな感じ。

 

どうだろう?
3分で「中国の歴史のイメージ」がわかってもらえたかな?
そう願ってるよ・・・。

では、次回に日本史での「不易と流行」について書きます。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。