では今回の内容デスよ。
・「変らないためには、変り続けないといけない」
・「不易と流行」
・中国史の「不易と流行」
・「君主制」と「共和制」について
・「変らないためには、変り続けないといけない」
「変らないためには、変り続けないといけない」
なんてカッコいいことをいってみた。
でも、海外旅行に行っているだけでもそのことを感じるよ。
たとえば、ここ20年で海外で見かける日本の電機メーカーの広告が目に見えて減っている。
前は海外の空港に着いたら、ソニーやパナソニックの広告がど~んとあって「日本の企業が世界のトップで活躍してる!」って誇らしく思ったものだ。
けど、最近の空港にはそうした日本ブランドの広告が減っている。
代わりに、サムソンやLGといった韓国ブランドのでっかい広告ばかりだ。
「日本の電機メーカーの存在感が下がって、韓国メーカーに抜かれる」
こんなことは20年前に想像したこともなかったよ。
日本の電機メーカーはこれからも世界のトップであり続けると思っていた。
なのに、今ではシャープでさえ外国企業のものになってしまった。
この凋落(ちょうらく)はなんだろう?
なんでこうした変化が起きたのか?
簡単にいったら、日本の電機メーカーが時代の変化に合わせてうまく変わらなかったからだろう。
どんな時代になっても世界のトップにい続けるのなら、会社も変り続けないといけない。その時代の人々のニーズを的確につかんで、それに合わせた製品づくりをしないと没落してしまう。
ま、言葉でいうだけなら、本当に簡単だけどね。
ということで、これが海外旅行で感じた「変らないためには、変り続けないといけない」の一つの例。
でも、海外で日本食をみる機会は増えた。
・「不易と流行」
「変わるものと変らないもの」をさす言葉として、「不易と流行」という言葉がよくつかわれる。
いつまでも変わらない本質的なものが不易(ふえき)で、その中に加えていく新しく変化を流行という。
前に中国の歴史と日本の歴史について記事を書いたときに、「日本と中国の歴史にも、この不易と流行があるんだなあ」とつくづくを感じた。
ということで、今回は中国の歴史での「不易と流行」というものについて書いていきたい。次回、日本の歴史での「不易と流行」について書きます。
あと、最初に言っておくけど「3分でわかる」っていうのは中国の政治体制のことですよ。君主制と共和制のことですよ。
君主制っていうのは、簡単にいったら「王や皇帝が政治をおこなう政治体制」のこと。
共和制というのは君主制の反対で、簡単にいったら王や皇帝がいない政治体制のこと。
じゃ、誰が政治をするのか?
王ではなくて、民衆の中から代表者がでて政治をおこなうことになる。
王宮(北京)
・中国史の「不易と流行」
・不易
中国の歴史での「不易(かわらないもの)」というのは、皇帝が治めるという政治体制のこと。
これが「君主制」ってヤツだったね?
中国がいくつもの国に分かれていた時代、中国の歴史で初めて中国を統一したのが秦の王様だった「政(せい)」という人物。
政は考えた。
「王という言葉は、一つの国のトップをあらわすもの。全中国を統一した自分には、王より『もっと上』の呼び方が必要だ。」
ということで「皇帝」という言葉を採用する。
皇帝
秦王政が統一王朝後採用した称号。こののち王号よりも上級の称号として、歴代統一王朝の君主がもちいるようになった。
(世界史用語集 山川出版)
ということで、皇帝は王より上の存在。
中学のクラスでいったら、王は班長で皇帝は学級委員長みたいなもの。
とにかく、ここに中国史上初めての皇帝となる「秦の始皇帝」が誕生したわけだよ。
西安にある兵馬俑(秦の始皇帝のお墓)
秦の始皇帝のときから「皇帝が支配する」という政治体制が続く。
いつまでか?
1911年の辛亥(しんがい)革命までだったね。
「辛亥革命」
1911~1912 清朝を倒し、中華民国を樹立した革命
12年1月、孫文を臨時大総統とする中華民国の建国が宣言され、2月、袁世凱の活動により清朝皇帝が退位した
(世界史用語集 山川出版)
この辛亥革命が起こるまで、中国では約2000年間ずっと「皇帝が支配する」という政治体制(君主制)が続いていた。
これが、中国史での「不易」というもの。
辛亥革命で中国の皇帝をなくした孫文
これは台湾のお札。
中国では、毛沢東は人気があるけど蒋介石は人気がない。
台湾では、蒋介石は人気があるけど毛沢東は人気がない。
中国でも台湾でも人気があるというめずらしい人物が孫文。
・流行
おつぎは、中国の歴史での「流行(かわるもの)」について。
これは、「王朝の交替」のこと。
中国の王朝を覚えることって、大変じゃなかった?
中国は「秦漢隋唐宋元明清」というように、王朝が次から次へと替わっている。「シン」といっても、秦、新、晋、清といろいろな「シン」がある。
中国史では、まったく別の人間が皇帝を倒して自分が皇帝になる。
そして新しい王朝を始めている。
これが、易姓革命(えきせいかくめい)。
易姓革命
孟子がとなえた王朝交代の理論。 天命を受けた天子が悪政をおこなえば、天は天命を革(あらた)め(革命)、別の有徳者を天子とし、姓(王朝の名)を易(かえ)るとする。
(世界史用語集 山川出版)
中国の歴史ってこの易姓革命のくり返し。
「秦漢隋唐宋元明清」みたいに、新しい王朝が次々と生まれていた。
この王朝がコロコロと替わることが「流行」になる。
コカ・コーラの漢字
・「君主制」と「共和制」について
さて、始めに書いた「君主制」と「共和制」について。
中国の歴史でいつまでが君主制で、いつから共和制になったか分かった?
辛亥革命の前までは、皇帝がいたから君主制。
辛亥革命の後は、皇帝がいなくなっいるから共和制だね。
ここでいう君主制と共和制って、かなり大ざっぱな意味だけどね。
でも、イメージとしてはこんな感じ。
どうだろう?
3分で「中国の歴史のイメージ」がわかってもらえたかな?
そう願ってるよ・・・。
では、次回に日本史での「不易と流行」について書きます。
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