はじめの一言
「人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい(ハリス 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
前回に引き続き、東京まで雑学の旅です。
今の日本で公共交通機関といえば、バス・電車・飛行機でしょ。
でも、江戸時代は「駕籠(かご)」。
駕籠が公共交通機関だった。
駕籠(ウィキペディア)
それが、明治になってから人力車へと代わっていった。
人力車
人力で引く乗用車。和泉要助らが発明。1870年に官許される。以後、駕籠は急速に衰えた。
(日本史用語集 山川出版)
京都の人力車
でも、1885年ごろに蒸気機関車が登場して、今度は人力車が消えていったらしい。
「駕籠が人力車に負けたように、人力車は蒸気機関車を前にして消えてゆきます
(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)」
ちなみに、バスが日本に登場したのは明治36年ごろだという。
「バス」って言葉は、その語源がいいね。
「バス」の語源は、ラテン語で、「すべての人のために」という意味のomnibus(オムニブス)から来ている。
(ウィキペディア)
インドの人力車
・日本の電車は時間通り
日本の電車は時間厳守!
1分単位で正確に走っているのがすごい。
ボクが行ったことがある国の中では、バングラデシュが一番デタラメだったな。
首都ダッカからクルナという地方都市に列車で行こうとしたときのこと。
まず、駅に着いて駅員にきいたらこう言われる。
「その列車は1時間遅れるよ」
日本じゃないし、1時間ぐらいしょうがいないかな。
そう思って駅で待っていると、同じ列車に乗るというバングラデシュ人に話しかけられた。
彼がこう言う。
「1時間?オレは、3時間遅れるときいたぞ」
は?
彼と別の駅員に確認に行くと、「その列車は4時間後にくる」という。
みんな言っていることが違う。
どれを信じていいか分からない。
結局、急いでいたから、飛行機に乗ってクルナへ行ってしまった。
駅の目の前に空港があって、クルナまで4~5000円だったしね。
クルナへは「来るな」ってこと?
山田君!座布団1枚!
バングラデシュの首都「ダッカ」
これを知り合いのバングラデシュ人に話してみた。
「バングラデシュの列車なんてそんなもんだよ。日本の電車がすごすぎる。この前東京まで日帰りで出張に行ってきたけど、バングラデシュだったら絶対に不可能だ。列車が時間どおりに走らないから、静岡から東京までの距離を日帰りで行ってくることなんてムリ。必ず1泊になる」
イギリス人の友人も日本の電車の正確さに驚いていた。
ということで、日本はスペシャル!
ちなみに、英語で「列車が時間どおり走る」は、こんな感じね。
Trains run on time
Trains keep on time
というか、他の国が時間にいいかげん過ぎるのかも。
時事通信のこんな記事を見ると、「いいかげんにしろ!」と思ってしまう。
リオデジャネイロ五輪で本格的に競技が始まった6日、各会場の多くが集まる五輪公園前で入場を待つ人たちの長蛇の列ができ、試合開始時間に間に合わない観戦客が続出した。
入場口を管理する国家治安部隊が集合時間に遅刻したのが原因という。地元紙グロボが報じた。
・八重洲と東京
浜松を出て約4時間後に東京に到着!
はい、ここでクイズ。
東京駅にある「八重洲(やえす)」の語源は?
八重洲
これは、徳川家康のお気に入りだったオランダ人「ヤン・ヨーステン」にちなんでつけられたもの。
八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来する。彼は、江戸時代に日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられた。
(ウィキペディア)
ところで、明治時代から今まで、日本の首都が東京以外に移ったことがあるのを知ってる?
日清戦争のときに、広島が日本の首都になっていたことがあるんだよ。
「日本の近代3 御厨 貴」にそのことが書いてある。
広島が臨時の首都になり、広島で政策決定が行われた
(日本の近代3 御厨 貴)
広島が日本の首都になったのは、ほんのちょっとだけ。
ウィキペディアにも書いてある。
この時期、1894年10月に招集された第7回帝国議会は広島の広島臨時仮議事堂で開会された(議事堂は西練兵場内に建設された)。
国の立法・行政・軍事の最高機関が一時的とはいえ広島市に集積したことで、広島市は臨時の首都の機能を担った。
これは明治維新以降、首都機能が東京から離れた唯一の事例である(ウィキペディア)
「渋谷」の由来は、むかし「渋谷さん」という人がいたからみたい。
吾妻鏡などの歴史書に、平安時代末期から鎌倉時代に掛けて、この付近を本拠としていた武将渋谷氏の活動の記録が残されており、その一族に河内源氏の源義朝の近従だった渋谷金王丸がいる。
(ウィキペディア)
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