はじめの一言
「日本では、召使い女がたがいに親しい友達に手紙を書くために、余暇を利用し、ぼろをまとった肉体労働者でも、読み書きができることでわれわれを驚かす。(ヴェルナー 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・「日本にあるものは、中国のコピーだ」
・マネじゃなくて主体的に学んだんだよ!
・「日本にあるものは、中国のコピーだ」
京都は長安をモデルにしてつくられた。
そんなことを聞いたこともあって、そのモデルとなった中国の西安を旅したことがある。
唐の時代の長安は、今の西安という都市。
西安でお世話になったガイドさんが、こんなことを言う。
「唐の時代、日本はいろいろなことを中国から学んでいました。その当時の唐は、世界で最高の文明をもっていましたから」
ここまではいい。
言っていることは間違っていないでしょ。
でも、ここから先の一言はどうかと。
「今の日本の文化は、唐のコピーばかりですよ」
何だと?
コピーだと?
ほお、金を払っている客によくそういうことを言えるもんだな。
悪気はないんだろうけど、客への配慮もまったくない。
でも、思ったことをそのまま口にするのは中国人らしい。
こう考えているのはこのガイドだけじゃない。
「日本は中国のマネをしただけです」
別の中国人ガイドからも、そう言われたことがある。
ほとんどの中国人も同じ考えだろう。
さて、中国人からそう言われたらどうしますか?
本場の餃子
中国では焼き餃子よりも水餃子が多い。
中国のお箸は日本のものとはちがって、先がとがっていない。
でも、日本が唐にあるものをそのままコピーできていたのなら、それはそれですごい能力だ。
このガイドが言っていたように、唐は当時の世界でもっとも進んだ文明をもっていた国といっていい。
そんな唐の制度や都市設計などを理解して日本でそれを再現できたなら、日本人の学習能力はとんでもなく優秀だ。
でも実際は、唐の「完全コピー」はできなかったはずだけど。
日本と唐の国としての発展の差は、あまりに大きかったから。
大人と子どもみたいなものだったと思う。
たとえば、律令制度。
日本は唐に学んで大宝律令をつくっている。
そしてこの大宝律令によって、日本は律令国家になった。
けど、「唐のレベルに追いついた」とはとてもいえない。
奈良、平安朝日本を律令国家とよぶことは、ただそれだけならばべつに異議を挟む余地はない。
しかしつぎにその名目によって、両者を同様な発達段階にならべて置こうとするなら、これは大きな見当ちがいだといわざるをえない。(大唐帝国 宮崎定一)
正直、当時の日本がいくらがんばっても唐には追いつけなかったと思う。
では、日本は唐の「劣化コピー」だったのか?
といえば、そうでもない。
ちなみに、日本が律令国家になったということだけでもすごいこと。
これができた国は、中国以外の東アジアでは他になかったから。
ウィキペディアによれば、新羅(韓国)は律令国家にはなっていない。
兵馬俑
・マネじゃなくて主体的に学んだ
「でも、日本は中国のマネをしただけですよ」
こんなことを思っている中国人は多いと思う。
日本人の中でも、「日本人は、外国の猿まねが得意なだけ」とか言う人がいる。
そうですか?
日本は唐から学んだけど、とても主体的に学んでいた。
日本の学び方をみると、猿のようにマネをしていたんじゃなくて、よ~く考えて大事なことを選んで学んでいたことがわかる。
日本人は学ぶときに、「唐にあるものの中で、何を受け入れるか?」と学ぶ対象を決めている。
日本は「先生」にあたる唐から、進んだ制度や文物をとり入れていた。
とはいっても、「唐にあるものは何でも優れているから、全部受け入れちゃえ!」と思ったわけじゃない。
日本は取捨選択をしていて、主体的に学んでいた。
唐にある制度や文物の中から「日本に合ったもの」や「日本にとって必要なもの」をよく選んで受け入れていた。
このときの日本が受け入れなかったものを知ることで、日本人の主体性や日本という国の特徴がわかると思う。
ということで、日本が受け入れなかったものを次回に紹介します。
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