はじめの一言
「この国が幸福であることは、一般に見受けられる繁栄が何よりの証拠である。百姓も日傭い労働者も、皆十分な衣服を纏い、下層民の食物とても、少なくとも、長崎では申し分のないものを摂っている。
(カッテンディーケ 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・「日本にあるものは、中国のコピーですよ」
・日本風に変えてる
・着物や扇子
・「日本にあるものは、中国のコピーですよ」
「日本にあるものは、中国のコピーですよ」
中国の西安に行ったときに、中国人のガイドさんにそんなことを言われた。
そう言うのは中国人だけではない。
タイで会った日本人の旅行者もこんなことを言っていた。
「日本ってのはね、猿まねがうまい国なんだよ」
結論からいうと、それはちがう。
日本は猿まねの国ではない。
奈良・平安時代の日本が唐から学んだときは、「唐のどの部分を取り入れて、何を拒否するか?」ということを判断していた。
日本は日本に必要なものや日本に合ったものを学んで受け入れていた。
日本人が取捨選択の判断をしていたのだから、決して「猿まね」ではない。
そんなことを以前の記事で書いた。
日本がしたのはそれだけでもない。
唐から取り入れたものを日本に合ったものに変えてもいる。
中国から入ってきたものを日本風に変化させた。
中国の文物や制度の「日本化」。
これも日本が「猿まねの国」ではない証拠になる。
そもそも独自の変化を加えて別物にしたとしたら、それはもう「マネ」ではない。
今回は、その「日本化」について書いていきたい。
うどんは中国からきたけど、中国に「冷やしうどん」ってあるのかな?
・日本風に変えてる
海外旅行に行って「アメリカの影響力ってすごいな」と思うのが、世界中の国にコーラとマクドナルドがあること。
外国でもマクドナルドはやっぱり似ている。
エジプトやインドのマクドナルドでもエアコンは効いているし、ハンバーガーやポテトの味も日本のものとそんなに変わらない。
タイを旅したときに、日本のマクドナルドでバイトをしていたという日本人の女の子に会ったことがある。
その子の話だと、日本と外国のマクドナルドは似ているけど大きく違うこともあるという。
アメリカのマクドナルドと比べたら、まずハンバーガーの大きさが違う。
アメリカ人は体が大きいから、日本のハンバーガーと比べるとかなり大きいらしい。
これには、日本にいるアメリカ人も不満を言っていた。
「日本のマクドナルドでは、ハンバーガーもドリンクもすべて小さい!だから、アメリカ並みにお腹を満たすとしたら、かなりの金がかかってしまう」
*でもサンフランシスコから来たアメリカ人はこう言う。
「日本のマクドナルドもサンフランシスコのマクドナルドも、ハンバーガーの大きさはほとんど同じ。でもドリンクの大きさはまったくちがう」
タイの「サムライ・バーガー」
日本とアメリカのマクドナルドのちがいは、ハンバーガーの大きさだけではない。
衛生感覚もちがうらしい。
「日本のマクドナルドでは、衛生にとても気をつかっていて何回も手を洗う。けど、アメリカのマクドナルドはそうじゃない。手を洗う回数は少ないし、爪がのびている人もいる。アメリカ人と日本人とでは、衛生感覚がちがうんでしょうね」
同感。
衛生感覚については、日本人が世界水準から飛び抜けていると思う。
世界中に展開しているマクドナルドでも、それぞれの国の「個性」がある。
日本にきたら日本風に変化している。
ハンバーガーの大きさや衛生感覚が違うのはもちろん、飲物にお茶があるし春や秋限定の「季節のハンバーガー」もある。
・着物や扇子
日本の文化は、中国から来たものが多い。
それで、中にはこんなことを言う中国人もいた。
「日本の文化は、結局中国のものばかりですよ」
これはどうだろう?
たしかに、日本の文化には中国由来のものが多い。
でも、日本人は中国から来たものを日本人に合うように変化を加えている。
マクドナルドと同じで、日本風に変えているのが日本文化の特徴だ。
その例には着物がある。
着物はもともと中国の服だった。
日本人がそれを取り入れると、次のように「日本化」させている。
日本のキモノも、中国の古制とはいうものの、そのとおりではなく、やはり日本ふうにアレンジして保存されたのだ。とくに帯などは、まったく別物になってしまっている。
「日本的 中国的 (陳舜臣)」
ここでいう「アレンジ」というのが「日本風に変化させた」ということ。
つまり、中国から服を「日本化」して日本の着物にしている。
日本の文化には中国から来たものが多いのはたしか。
でも、日本で独自の変化が加えられて別物になっている。
中国由来ではなくて日本で生まれた独自の文化もある。
たとえば、「襷」。
中国人・台湾人・香港人は「襷」という漢字を読むことができなかった。
これは日本人がつくった独自の漢字だから。
ところで、先ほどの文はこう続いている。
中国の帯は「紳」といって、前に長く垂らして結んだものである。
りっぱな帯をしめている人間が、紳士といったのだ。日本でもはじめは前に垂らしたが、しだいにうしろにまわって、現在ごらんのとおりのものと相成った。
「日本的 中国的 (陳舜臣)」
昔の中国では、帯を「紳(しん)」と呼んでいて、紳をしている人を「紳士(しんし)」と言ったという。
今の日本でいう紳士とはだいぶ意味がちがう。
また、扇子(せんす)もそう。
扇子も、団扇(うちわ)を日本化させたものだ。
夏になると団扇でバタバタやっていたのを、折り畳み式の扇子で懐にはいるように改造したのも日本人である。平安時代から、扇子は日本から中国への重要輸出品だったのである。
「日本的 中国的 (陳舜臣)」
ということで、日本の文化はコピーでも猿まねでもない。
日本人に合ったものに変化を加えている。
それが日本文化の大きな特徴になる。
世界的な建築家のブルーノ・タウトもこう言っている。
日本は実に、太初以来その固有の独自な文化を、外部の妨害を受けることなく自主的に今日に到るまで進展させ得たところの国土である。
日本は幾世紀の間にしばしば外国の影響を摂取同化し、日本的なものへと変形し、その結果再び日本独自のものを産み出したのであった
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
着物や扇子は日本の文化にとっては大事だけど、日本の歴史にとってはそれほど重要ではない。
日本史で大切なことは、唐の律令を日本風に変えて「大宝律令」をつくったこと。
このことは次回書きます。
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