平和を考えた⑩平和的な解決がムリなら、攻撃も仕方ないか。

 

この写真は「世界一有名なキス写真」と言われる。

第二次世界大戦の終わりを喜ぶアメリカ人のカップル。

画像はウィキペディア「Kissing the War Goodbye」から。

 

「平和のために」と思ってやったことが、結果的に、第二次世界大戦を招いていしまった。
ネヴィル=チェンバレンは、壮大なスケールの「正直者は、バカを見る」だったのかもしれない。

ヒトラーの言葉を信じてしまった結果、ドイツはポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まってしまった。

後世から、チェンバレンは手厳しい評価を受けている。

ドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与え、ヒトラーに対し、イギリスから近隣諸国への侵攻を容認されたと勘違いさせた

(ウィキペディア)

 

これに対して、ドイツとの戦争を主張していたチャーチルは、世界の英雄となっている。
チェンバレンとチャーチルのことは、高校のころ、世界史の授業で習った記憶は何となくある。でも、そのことについての「生きた声」を聞いたことがない。

 

 

それで前に、イギリス人にたずねたことがある。

大学で歴史を専攻していたそのイギリス人はこう言っていた。

「あの戦争(第二次世界大戦)は、しなくても良かったはずなのよ!」

この言葉を聞いて、ボクは、「そうか、やっぱり武力ではなく、対話で解決できたということか。そうすると、彼女は、チェンバレンの考えを支持しているのかな」と、のんきなことを思ってしまった。

彼女の考えは、ボクの想像とはまったく違っていた。

「ヒトラーが力をつける前に、ヨーロッパはドイツをたたいておくべきだった。戦争を決意することが遅すぎて、あんなひどい戦争になってしまったのよ。」

「え?」この言葉に思わず耳をうたがってしまう。

このときボクはこんなことを考えていた。
「戦争に良い戦争も悪い戦争ない。すべての戦争は悪であって、絶対にしてはいけない」
これが戦争についての正しい認識だと思いこんでもいた。

 

 

彼女の話を続ける。

「でも、チェンバレンだけが悪くはないと思う。あの当時はまだ第一次世界大戦の記憶が人々の頭に残っていて、『戦争だけはしたくない』という気持ちが強かったから。チェンバレンが対話で解決できたと知って、イギリスではみんなが喜んでいたことは事実」

ヨーロッパでは一般的に、第二次世界大戦よりは第一次世界大戦の方が悲惨であったと考えているという。
「The Great War」という言葉は、第一次世界大戦をさす。

「第二次世界大戦は、もっと早く戦っていれば、あんなにたくさんの人が犠牲になることはなかったはず。みんなが平和を求めていた中で、チャーチルは冷静に事態を見ていたの」

彼女の話だと、「大きな戦争を防ぐための戦争というものがある」ということになる。

正直この言葉に、ボクは抵抗感や嫌悪感をもってしまった。
「どんな戦争も、絶対ダメ!」というボクの考え方からすると、彼女の考えは受け入れにくい。

さらに言うと、彼女の人間性も疑ってしまった。

 

そのイギリス人はこんなことを言う。

「第二次世界大戦では、もっと早くドイツと戦争をするべきだった。そうしていれば、あそこまで大きな戦争になってたくさんの犠牲者を出すこともなかったから」

この言葉を聞いたときには、「この人は、何を言っているんだろう」とあ然としてしまった。

 

でも今では、この考えが正しいと思っている。
現実の世界では、被害が拡大する前に戦いを決断をしなければいけない場合がある。
その事態をほうっておけば、多くの罪のない人たちが犠牲になって、ますます解決が困難になってしまう。

平和的な解決がどうしてもできなければ、最後の最後の手段として武力の行使はやむを得ないと思う。

これは先ほど書いたことと同じことになる。

ドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与え、ヒトラーに対し、イギリスから近隣諸国への侵攻を容認されたと勘違いさせた

(ウィキペディア)

 

このときドイツに、軍を強大化させるような時間や余裕をあたえなかったら、第二次世界大戦であれほどの犠牲者を出すこともなかっただろう。

アンネ・フランクも無名のユダヤ人として、今ごろは老後を楽しんでいたかもしれない。

ナチス政権下のユダヤ人② ~「アンネの日記」から~

 

「第二次世界大戦では、もっと早くドイツをたたいておくべきだった」というのは、彼女の個人的な意見ではなく現在の世界では常識的な意見だ。

チェンバレンとチャーチルの評価の違いからいっても、それは疑いようがない。

 

戦争中に、「平和が必要です」という声をあげることには勇気がいる。
「この非国民が!」と言われるかもしれない。

同じように、みんなが平和を求めている中で、チャーチルがしたように戦争の必要性を主張することも、勇気がいることだと思う。

「この平和の敵め!」と、ツバを吐かれるかもしれない。

だれだって、戦争より平和な状態で生活したい。
平和は本当に大事なものだから、「戦争だけはイヤだ」と思う気持ちが強くなって何としてもそれを避けようと考えるのは当たり前だと思う。

でも、「何としても~が欲しい」という気持ちが強すぎて、現実が見えなくなってしまうとこれは危険だ。

「戦争反対」という言葉が現実ではなく、希望的な観測から生まれてしまうと危ない。
希望的観測にもとづく予想はだいたい外れてしまうから。

 

第二次世界大戦後に人類が迎えた「最大の危機」といえばキューバ危機だろう。

世界中の人々が、核による第三次世界大戦の予測に恐怖しました

(アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書 村田薫)

第2次世界大戦以降、人類はこれほど危険な瞬間を生きたとはない

(キューバの歴史 明石書房)

 

このときアメリカのケネディ大統領は、チェンバレンとは逆に、ソ連を戦争になることを覚悟したという。

そして断固たる態度でソ連に対応したことで、この危機が解決されて人類は救われた。

 

争いごとには平和的な手段で解決をはかるべきだけど、それには限界がある。
相手に時間を与えてしまって、事態がより解決困難になりかねない。
ヒトラーのようにその間に軍事力を強大にさせることもある。

「それ以外方法がない」となったら、軍事的な攻撃も仕方がないと思う。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。