シュリーマンが見た日本:武士の名誉・清潔な国民・平和な国

 

国が変われば、見方も変わる。

文部科学省の幹部が会社役員から、数回にわたって約140万円の飲食接待を受けていた。
それがバレて幹部は逮捕。
「あったり前だ」と思うのが日本人で、この事件を知った中国人は「中国なら清廉潔白な役人の部類」と驚いた。

日本に住んで5年になる中国人も、これにはびっくりしたと言う。
恥ずかしい汚職事件なのに、「日本はクリーンですね」と感心されてしまった。

これは2018年のはなし。
いまから153年前、日本人のクリーンさに驚いた外国人がいた。
高校の世界史で習う有名人だから、名前だけでも覚えておく価値がある。
これから、その人物が見た日本の社会や人を紹介していこうと思う。

 

 

時は幕末。

1865年に1人のドイツ人が日本にやって来た。
名前をシュリーマンという。

日本に入国するためには、税関で荷物のチェックを受けないといけない。
でもシュリーマンは、荷物を開けるのが「めんどくせー」と思った。
それで、役人にお金をわたして見逃してもらおうとしたのだけど、それが通用しなかった。

当時、武士であった日本の役人は、ワイロの受け取りを断固拒否。
シュリーマンはこれに驚き、名誉を重んじる武士の態度に感動した。

彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも、現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである

「シュリーマン旅行記 清国・日本(講談社学術文庫)」

 

さて、気がつきましたか?
このシュリーマンとは、あのシュリーマンのことですよ。

ギリシア神話に出てくる伝説の都市トロイアを発掘した世界的な考古学者。
神話が事実だったことと証明した人で、高校世界史ではこう習う。

シュリーマン

ドイツの考古学者。クリミア戦争で財をなし、トロイア・ミケーネ遺跡の発掘に成功した。江戸時代末期の日本を訪れた旅行記でも知られる。

「世界史用語集 (山川出版)」

トロイアでは「トロイの木馬」も有名。
21世紀のいまでは、ウィルス名になってしまったけど。

ちなみにシュリーマンが来たとき、日本はどんな状態だったのか?
彼が来日した次の年、1866年に坂本龍馬の仲介で西郷隆盛と桂小五郎が話し合い、薩長同盟が成立する。
そして1868年に徳川幕府は崩壊するから、シュリーマンが見た日本は、江戸時代が終わる直前だった。

 

幕末の日本を見たシュリーマンは、日本人の清潔さに感心した。

「日本人が世界で最も清潔な国民だということに疑いの余地がない」

このころヨーロッパの川は排泄物などで汚染されていた。
それに比べ、日本の川は驚くほどキレイだったという。

また「どんなに貧しい人でも、日には一度は公衆浴場に通っている」と、日本人のお風呂好きも印象に残ったらしい。

当時の日本の政治体制については、将軍と天皇の二重権力状態に注目する。

「絶対的権力を持った大名達は、二つの権力の臣下として国法を尊守しながらも、実際には、大君(徳川家茂)と帝(孝明天皇)の権威に対抗している」

そして、そんな政治体制下にある日本の様子をこう書く。

「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にしましてよく耕された土地が見られる」

 

最後に、シュリーマンが日本人の感覚で驚いたことを紹介しよう。
彼が浅草寺に行ったとき、花魁(おいらん)の絵姿と仏像が並んで飾られているのを見て心底ビックリした。
ぼう然と立ち尽くして、「私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた—-長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ」と言う。
シュリーマンにとっては遊女が日本では、人々の尊敬の対象となっているのが信じられなかったのだ。

 

テリーm、いやシュリーマン

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。