明治時代に来日したドイツ人医師ベルツは、花見を楽しむ日本人を見てこう思った。
「入り乱れて行きかうすべてが、何という静粛で整然としていることだろう。乱暴な行為もなければ、酔漢の怒鳴り声もしない。行儀の良さが骨の髄までしみこんでいる国民だ」
大正時代の日本を訪れたインドの詩人タゴールはこうだ。
「一つのことが、この国の巷で目につく。街には人はあふれているが、いっこうに騒々しくはない。人びとは大声で話すことを知らないかのようである」
*タゴールはアジア人初のノーベル賞受賞者(文学賞)
日本人の国民性はいまも変わらない。
在日外国人に日本人のいいところを聞くと、「ルールや決まりを守ること」という返事がよく返ってくる。
日本の電車は1分単位で正確に運行するし、人々も時間をよく守る。
だから社会が効率よく動いている。
スタジアムでサッカーを観戦したイギリスが、試合終了後に日本人サポーターが静かに列をつくってスタジアムから出て行ったのを見て驚いていた。
イギリスのサッカースタジアムでは、試合後にサポーター同士のケンカが始まるは珍しくないらしい。
だから彼は「イギリスは紳士の国ですよね」と日本人に言われるととまどってしまう。
日本滞在中のタゴール(1916年)
在日外国人に日本人の悪いところを聞くと、「ルールや決まりを変えないこと」という返事がよく返ってくる。
たとえばあるブラジル人(ペルー人かも)男性は、日本のコンビニでこんな経験をした。
書類を郵送しようと、ポストのあるコンビニに入る。
書類は封筒に入れてあるから、あとは切手を買うだけ。
でも彼はいくらの切手を買えばいいかわからない。
それで店員に切手代を聞いたところ、「それは言えません。きまりですから」と断られた。
コンビニでは切手を売ることはできるけど、切手代を言うことはできない。
「それは郵便局で聞いたりして、自分で確認してください」の一点張り。
彼は少しぐらい多めに払うことはかまわない。
書類1枚が入った封筒を見せて、およそいくらぐらいか聞いてみた。
でも、「規則ですから言えません」と再度拒否。
店員とのやり取りで、店員は切手代がいくらか分かるけど「きまりで言うことはできない」というようなことを言われたらしい。
「そんなことがあって、わたしは頭に来た」と後日、ブラジル人が言っていた。
その話をアメリカ人・ベトナム人・香港人にしてみたら、「いくら決まりでも、切手代が分かっていて教えないのはひどい」とみんな日本人店員を非難する。
店員にもそれなりの事情があっただろうから一概には言えないけど、万が一を考えて少し多めの切手代を教えてあげてもよかったと思う。
日本人が決まりやルールを変えないことについて、イヤな思いをした外国人はたくさんいる。
でもそれが、日本人のいいところであることも分かっていた。
日本人のように決まりを守って、ブラジル人のように融通の利く国民なんているわけない。
でも、この読売新聞の記事(2018年12月29日)はどうだろう?
「僧衣で運転」に青切符、法事行けぬと宗派反発
福井県のお坊さんが袈裟を着て車を運転していたら、それを理由に警察に捕まった。
切符を切られ、反則金は6000円。
福井県の道路交通法施行細則にはこんなものがある。
「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服を着用して車両を運転しないこと」
袈裟が「運転操作に支障がある衣服」にみなされてしまったのだ。
でもこれは基準があいまいで、福井県警の交通指導課は「僧衣がすべて違反ではなく、状況による」と説明している。
こんなことを言ったら、警察官個人の判断に左右されてしまうではないか。
「状況による」といっても、衣服の問題だから結局は「主観による」ということだろう。
同じ袈裟を運転していても、それを見た警察官によって捕まるかどうかが決まってしまう。
これは不公平だし、法事に行くなら袈裟を着ていてもいいのでは?
バッドマンの衣装を着てコスプレ会場に行くわけでもないし。
これはいま、所属する宗派を巻き込んで大きな騒ぎになっている。
男性は「法事に行けない」と反則金の支払いを拒否。所属する宗派も反発する異例の事態になっている。
でも一度切符を切った以上、警察も引けないだろう。
これも規則だから。
これにはネットでも賛否が分かれている。
・切符を切ったおまわりがクリスチャンだった、とか
・ピンクハウスの服とかも違反になるのか?羽織袴も駄目?
・やはり全裸が一番安全だな
・坊主は軽を法事に使って車庫にはクラウンを置いてある
・正月に大島紬きて初詣行ったら切符切られるのかいな
せっかく買ったのに
・ノルマこなそうとしたなお巡り
・思いの外、坊主擁護のレスが多くてビックリ。
こんなの裁判まで行って争ったら坊主が負けるに決まってるじゃん。
日本人の国民性について、20世紀最高の物理学者アインシュタインはこう語っている。
「日本人のすばらしさは、きちんとした躾(しつけ)の心のやさしさにある」
日本人が決まりやルールをしっかり守るのは、そういうしつけを受けてきたから。
でも、マニュアル人間は嫌われる。
人間は「人の間」だから、人間社会ではいつも決まりどおりではなくて、状況や相手の事情によって決まりを変える心のやさしさも必要だ。
日本で歓迎を受けるアインシュタイン(1922年)
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