時事通信にこんな新聞記事らしからぬ記事(1/7)があった。
探せ!十字架
まるで遊園地のイベント。
「探せ!十字架」がおこなわれたのは、ヨーグルトのふるさとブルガリア。
これはキリスト教の行事で、まずだれかが湖に十字架をぶん投げる。
そしてそのあと、何十人もの信者が凍えるほど寒い湖に飛びこむ。
みごと十字架をゲットした人は、その年を健康で過ごせるという。
時期的にも西宮神社の「福男選び」に似ている。
仏教徒だけど無宗教のボクが言うのもなんだけど、「探せ!十字架」には違和感を感じてしまう。
というのは、十字架にはシャレにならないほど残酷な面があるから。
キリスト教で最も重要なシンボル十字架は、イエス・キリストが磔(はりつけ)で殺された処刑具でもある。だからどうしても血生臭い。
むかし話を聞いたアメリカ人(ヨーロッパ人だったかも)の宣教師は、イエスは人類の罪を背負って殺されたわけで、キリスト教にとってこの死はすごく重要な意味があると言っていた。
これはその人の意見だけど、欧米の教会にある十字架にはイエスが磔になっているものが多いけど、日本の教会にある十字架にはイエスのないものが多い。
イエスが処刑される姿のない十字架では、あまり意味がないという。
日本人にこれは残酷で、抵抗を感じるからかもしれない。
*これはこの人の解釈だから、信者や教派によって考え方の違いはあると思う。
十字架に磔にされて処刑されるイエス
この絵には「間違い」があるのだけど、さてそれは何でしょう?
答えは、手のひらに打ち込まれた釘。
実際には、イエスは手首に釘を打ち込まれたという。
手のひらに釘を打ち込むと、自分の体の重さに耐えられず手のひらが裂けてしまう。
だから手首に釘を打たないと、体を固定することはできないという。
なんでそんなことが分かるかといえば、ナチス=ドイツがユダヤ人の体で試してみたから。
ナチスは収容所で、そんな恐ろしい人体実験をしていた。
手首と足を釘で打たれて固定されると、人間はどうなるのか?
まず体がずり落ちてきて、呼吸がむずかしくなる。
だから体を上げようとするのだけど、そうやって力を入れると、今度は手首に激痛を感じる。
それでまた体が落ちてしまう。
すると呼吸困難になるから、再び体を上げようとする。
こうやって苦痛を受け続けたあと、やがて窒息死する。
ナチスが行った人体実験にはこんな記録があるという。
上の方にひっぱられてだらりと下がり、そのまま息が絶えますから、首が胸の中にのめり込んだような形になる。そしてその下のセメントは汗で完全にぬれたようになっていたと。
「宗教からの提言: なぜ他人の評価が気になるのか (山本七平)」
足を固定しなかった場合、死ぬまでにどれぐらいかかるのかもナチスは実験で試している。
よくわからないのはこの目的だ。
化学兵器を開発するために、ナチスがこんな実験をしたとは思えない。
イエスの死を再現して、聖書の記述が正確かどうか確認したかっただけではないか?
ヨーロッパのキリスト教世界では、ユダヤ人はイエスを殺害した「神殺しの民」という位置づけをされていて、差別や迫害を受けていた。
これにはその復讐の意味があるのかも。
ナチスのすることは人間にはわからない。
こんなことを知って以来、十字架を見ると「首が胸の中にのめり込んだような形」というのが頭に浮かんでしまう。
だから「探せ!十字架」という楽しそうなイベントには違和感しかない。
十字架を遠くに投げて人に探させるというのは、飼い主と犬の遊びのようだ。
ボクの知らない深い意味があるかもしれないけど、やっぱり「福男選び」のほうがなじみやすい。
おまけ
この記事を書いていて、凌遅刑(りょうちけい)を思い出した。
これは人を固定して、体の肉を少しずつ切り落として殺す処刑法のこと。
中国人が考え出したもっとも残酷な殺害方法で、朝鮮半島でもおこなわれた。
でも、日本で凌遅刑があったという記録を見たことがない。
いまネットで探したけど、見つからなかった。
十字架にイエスがいないのと同じく、これも日本人の感覚では受け入れられなかったからではないか。
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