外国のものが入ってくると、その国の価値観や考え方で変化が加えられることはよくある。
例えばイギリス人が本国で日本のアニメを見ていたとき、登場人物がおにぎりを「ドーナツ」と言っていたという。
そのイギリス人は日本のおにぎりを知っていたから、ドーナツには「あれ?」と違和感を感じた。
でも普通のイギリス人に「Onigiri」という日本語はわからないし、「ライスボール」という言葉もなじみがない。
日本人にとってのおにぎりは、イギリスではドーナツのようなもの。
だからアニメではおにぎりをドーナツと呼んだのだろう、とそのイギリス人は推測していた。
ちなみにアメリカ人やイギリス人は、ドーナツを朝食として食べることが多い。
こんな感じで、外来のものが受け入れられやすいように、その国風に変化することはあるもんだ。
さいきんキリスト教のシンボル・十字架のことを書いた。
日本にいた外国人宣教師の印象では、欧米の教会にある十字架にはイエス・キリストの姿があるものが多いけど、日本の教会ではイエスを省いた十字架が多い。
あれはイエスが処刑されたシーンだから、日本人の感性や価値観からすると残酷すぎる。
だから日本では、十字架にあまりイエスを描かないのではないか?
宣教師はそんな話をしていた。
日本と西洋の「十字架の違い」についてはよくわからん。
でも、海外のものが日本に入ってくると、日本人の価値観に合わせて「日本化」してしまうことは想像できる。
ヨーロッパを例にあげれば、イソップ物語の「アリとキリギリス」もそうだ。
アリは夏の間、食べ物を手に入れるため一生懸命に働いた。
一方、キリギリスはバイオリンを弾いたり歌を歌ったりして、楽しく毎日を過ごしていた。
そして冬が来る。
冬に備えて食べ物を用意していたアリは問題ない。
困ったのは遊びまくっていたキリギリスだ。
飢えて死にそうになったキリギリスは、アリから「ダメじゃないかキリギリスくん」なんて言われながらも、食べ物を分けてもらって何とか死なずにすんだ。
日本の「アリとキリギリス」は大体こんな内容だと思う。
でも、もともとの話はこんなにやさしくない。
ちなみに原本のタイトルは「アリとセミ」で、キリギリスは登場しない。
オリジナルでは、腹をすかせたキリギリスがアリから食べ物を分けてくれるよう頼むのだけど、アリはそれを断っている。
つまり、アリはキリギリスを見殺しにしてしまうのだ。
それだけでなく、キリギリスに向かってアリはこんな皮肉を言う。
「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」
キリギリスに屈辱をあたえて飢え死にさせるという展開は、日本人の価値観からすると残酷すぎてきっと受けない。
それで日本にある「アリとキリギリス」は、ハッピーエンドになっているという。
*ウォルトディズニーの映画のように、欧米にもハッピーエンドで終わるバージョンもある。
日本と西洋の「アリとキリギリス」の違いについて、お茶の水女子大学の湯沢雍彦教授が朝日新聞にこう書いている(1993年6月18日)。
イソップは、「自助の努力を怠るな」を強調する話を作ったのに、日本では「苦しい者にはお情けを」の話に変えられています。これは、育児理念の根幹にかかわる問題です。
「アリとキリギリス」の四百年
「努力をしなかった人間が滅ぶのは当然」と突き放すヨーロッパ人と、「それはわかるけど、それじゃかわいそう」という慈悲の日本人。
働かざる者食うべからず。
そんな人間に食べ物をあげる必要はない。それで飢え死しても自己責任。
極端な表現かもしれないけど、ヨーロッパの価値観ではこんな考え方が強いのだろう。
少なくとも日本人よりは厳しいと思う。
でも子供への教育を考えたら、「キリギリスのように死にたくなかったら、あなたはまじめに働かないといけない」のほうがいいように思う。
日本流だと「困ったことになっても、きっと誰かが助けてくれる」なんて甘えが生まれそう。
自分のまわりにはいつでも善人がいる、なんて認識は持たないほうがいい。
ところで、「アリとキリギリス」の物語はいつ日本に伝わったか知ってますか?
これは戦国時代、豊臣秀吉がいたころだ。
400年前の「アリとキリギリス」では、冬になって食べ物を恵んでもらいに来たキリギリスに、アリが「散々にあざけり、少しの食を取らせて戻いた」となっている。
めちゃくちゃバカにしたけど、食べ物はあげている。
前半は西洋的で、後半は日本的だ。
当時のヨーロッパ人宣教師は「散々にあざけりたり」だけで終わりたかったらしいのだけど、「ところが弟子の日本人信者たちが、それでは日本人に受けないからと、無理にあとの言葉を付け加えたのでしょう」と湯沢氏は推測する。
いまでも日本版の物語を聞いた西洋人は「(子供を)無菌状態で育てるのが、理想的な教育でもあるまい」と批判することが多いらしい。
最後には食べ物をあげるか、見殺しにしてしまうか。
どちらの終わり方がいいかは、住んでる場所による。
「郷に入っては郷に従え」で日本の社会で生活するなら、日本人の価値観に合わせたもののほうがいい。
「when in Rome, do as the Romans do」でヨーロッパで生活するなら、現地の価値観を尊重したほうがいい。
だから日本の価値観を、それが日本流の価値観とは知らずにヨーロッパ人にぶつけても、きっとガッカリする。
日本人の「やさしい」を、「甘い」と批判的に見るヨーロッパ人は多くいそうな気がする。
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