アメリカも韓国も注目。忍者も恐れた戦国の黒人侍・ヤスケ

 

そんなんカッコ良すぎるわ。
男前にもほどがある。
そんな黒人男性がアメリカにいたらしい。

時事通信の記事(5/21)

学生ローン400人分肩代わり=44億円、卒業式で資産家が宣言-米

ジョージア州にあるモアハウス大学の卒業式で、資産家のロバート・スミスさんが卒業生全員の学生ローン4000万ドル(約44億円)を肩代わりすると宣言。
「は? (沈黙) うおおおおおおおっ!」と式場が揺れたと想像する。
この人は推定資産額は50億ドルの「米国で最も裕福な黒人」という。

この人もすごいけど、今回の話は日本初の黒人侍「ヤスケ」のこと。
400年前、戦国時代に活躍したというアフリカ出身のサムライ。

来年の東京オリンピックを前にして、アメリカのCNNテレビが「日本の多文化史が再評価されている」としてこの弥介を紹介したという。
こういう視点はアメリカのものだ。
ちなみに、彼の人生を描いた「ヤスケ」というハリウッド映画の製作が決まったらしい。
きっと日本でも公開されるでしょ。

モザンビーク出身といわれるこのアフリカ人は、16世紀後半、織田信長が暴れ回っていた時代に日本へやって来た。というより、ポルトガル人宣教師の奴隷として連れてこられた。

生まれて初めて黒人を見た信長は超ビックリ。
身長約188cmという堂々とした体格を見て、豊穣の神「大黒天」と考えたという。
奴隷から「神(天)」に一気に昇格してしまった。

でも信長は黒人という存在を信じなかった。
「肌が黒いとか嘘だろう。体に墨を塗っているのだろう」と思った信長は、その色を“落とそう”とする。
でも、どんなに洗っても彼の体の色は落ちない(あたりまえ)!
信長はそんな黒人奴隷を気に入って、自分の家来にしてしまった。
日本初の黒人侍「弥助(やすけ)」の誕生だ。

韓国紙の朝鮮日報もヤスケに興味があるらしく、記事(2019/05/21)でこう伝えている。

信長は当初、弥介を道具持ちとして使っていたが、弥介が西欧式の戦術に明るく、かつ日本の剣術・武芸や日本語もすぐに習得するのを見て、わずか2年で侍の称号を与えた。弥介の存在は、信長に抵抗する競争相手や忍者にとって恐怖の対象になり、実際に幾つか武功も立てている。

米国で関心高まる黒人サムライ「弥介」

いきなり黒人を見たら忍者だって「ええっ!」となるはず。

 

弥助は完全に日本のサムライになっていて、本能寺の変が起きたときは主君・信長のために明智光秀の軍とたたかっている。
そのことはこの記事をどうぞ。

織田信長、アフリカの黒人奴隷を日本初のサムライ(侍)にする。

それにしても、出会ったのが織田信長で弥助は本当に運がよかった。
信長は相手の地位や身分を気にしない。
豊臣秀吉という下層民出身の人間を取り立てたことから分かるように、信長は能力や実力を愛して重用した。
別の武将だったら、黒人侍は生まれなかっただろう。

上の韓国紙によると、この時代の九州には朝鮮人や中国人、ヨーロッパ人、インド人などの外国人が生活していたという。
「これらの外国人が能力を発揮して自由に暮らせる雰囲気があった」とある。
このへんが「日本の多文化史」になるのだろう。
あと、これは初耳だったのだけど、戦国時代にいた外国人のサムライでは、朝鮮人が最も多かったという記録があるそうだ。

では最後にネットの反応をどうぞ。

・個人の身体能力は黒人らしく高かったらしいぞ
人間を軽く投げ飛ばしたとか
家臣と相撲だったかな?そんなの読んだときある
・弥助は面白いネタなんだよな子孫のことも気になる。
・合戦してない時期は、どういう生活してたか?
・いや、これ面白そうだろw
大河で見たいぐらいだわw
・弥助の映画は日本人が作らなきゃ駄目だろ

 

 

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アフリカの旅(国)が、こんなにひどいなんて聞いてなかったから。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。