チョイと韓国と中国の歴史を。高句麗の朱蒙、タラス河畔の戦いの高仙芝

 

はじめの一言

「語らざる美。ほとんど何もない部屋。物の巧みな整理。茶碗の中の緑茶の色。箸台の上にのせられた箸の姿。床の間に掛けられた掛軸の文字。紙障子を通した白い光。障子に映る竹の葉の影。まだまだ限りなく挙げることができるが、それらの美は真に感受されるものの中にこそ存在するのでなければならない
(バーナード・リーチ 明治時代)」

「日本絶賛語録 小学館」

 

 

「人類の紙の歴史」を話すうえで欠かせないことが2つある。

・製紙法(紙の作り方)が中国で生まれこと。

・製紙法がイスラーム圏やヨーロッパに伝わったきっかけ「タラス河畔の戦い」。

 

中国で発明された製紙法は、タラス河畔の戦いによって8世紀(751年)にイスラーム圏の国に伝わった。
その後、12世紀ごろにはヨーロッパに伝わっている。
これがいわゆる製紙法の西伝(せいでん)というヤツだ。
タラス河は現在の中央アジアのキルギスにある川で、中国(唐)とイスラーム教の国(アッバース朝)がここで戦った。

そしてこの戦いでは「高仙芝(こうせんし)」という高句麗系の唐の将軍がいた。
高句麗とは朝鮮半島にあった国で、百済や新羅とならぶ三国の一国。
高句麗の建国者は「朱蒙(しゅもう)」といい、これは高校世界史に出てくる重要人物、韓国では「民族の英雄」とされている。
前に韓国ドラマで「朱蒙(チュモン)」というのがあった。
日本でも放送された韓国ドラマだから、知っている人もいると思う。
このドラマの韓国は全81話という超大作にして、平均視聴率は驚異の40%超えというから、まさにお化け番組だ。
最高視聴率ではなくて、81話の「平均視聴率」で40%越えだからすごい。

それはともかく、韓国人が朱蒙を英雄とするのはいい。
でも、タラス河畔の戦いのときの「高仙芝(こうせんし)」を韓国人の英雄としてしまうと問題が起こる。

 

唐の都だった長安(現在は西安)
長安は、京都のモデルとなった都市

 

「高仙芝(こうせんし)」は高句麗系の人ということから、韓国では「西方に製紙法を伝えたのは、韓国人だった」と主張することがあった。

何か優れた業績があった人と韓国とのわずかなつながりを見つけると、「あれは韓国の~」と言い出すのは韓国のお約束。

 

でも、製紙法を発明したは中国人。
で、高仙芝は唐の将軍。
だから、韓国が「西方に製紙法を伝えたのは、韓国人だった」と主張すると、「中国文化を自分のものにするな!」と中国人を怒らせることなる。

 

実際に、韓国人が「週刊東亜(韓国語)」のコラムでそう主張している。

このコラムのタイトルがすごい。

【韓国歴史】 高句麗人の末裔、高仙芝はヨーロッパ文明の父~これは中国史?韓国史?

 

「高句麗人の末裔(まつえい)」とは、「われわれの先祖」という意味でOK。
それが「ヨーロッパ文明の父」。
タイトルがすでに一線をこえている。
さすが大韓民国、そうこなくっちゃ。

 

このコラムが韓国らしさにあふれている。
ということで、このコラムを紹介したいけど、その前に「ホルホル」って言葉を知ってる?

このコラムが、そのホルホルなんだけどね。

次回に「ホルホル」というものを書きたい。
その後に、上のコラムの内容を書いてきます。

 

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「チャンスン」という村の入口に立っていた魔除け。
「天下大将軍」と「地下女将軍」なんかがよくある。

 

さあ、今回の復習だ。

・製紙法を発明したのはどこの国?
・高句麗を建てた人物は?
・京都のモデルとなった唐の都は?

 

答え

・中国
・朱蒙(しゅもん)
・長安

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。