いろんな外国人を日本のいろんな場所に連れて行くと、地方の個性や独自性が印象的と言う人が多い。
たとえばドイツ人、タイ人、インドネシア人を富士山に連れて行ったとき、途中で寄った店で、彼らは「わさびのサイダー(ラムネ)」に衝撃を受けた。
静岡県東部では、わさびが特産物になっていることは事前に伝えていた。
だから3人ともそれは知っていたけど、まさかサイダーになっているとは思わなかったらしい。
次に愛知県といえば味噌が有名。
日本旅行で岡崎市を訪れた台湾人は「味噌コーラ」にビックリ。
SNSに投稿したら、その台湾人の知人や友人もこの発想にはおどろていた。
最後は、愛媛県を旅行したオーストラリア人。
彼女は「みかん味のぶり」を見つけて、その場でSNSに投稿。
ボクも愛媛のみかんが有名なのは知っていたけど、まさかぶりとコラボするとは思わなかった。
「フルーティーフィッシュ」とか、なんで日本では地方が個性的で独自の特産品が多いのか?
その原点は江戸時代にある。
16世紀末に豊臣秀吉が天下統一を果たして、江戸時代には、徳川幕府が幕藩体制で日本をしっかり支配していた。
でも経済的には各藩が独立していたから、それぞれの藩で金儲けをする必要があった。
その時代には貨幣経済が社会のすみずみにまで浸透していたから、日本全国の藩がその地方の伝統や風土をいかした特産品や工芸品の生産を奨励していた。
そうした名産品を他国(藩)に売って藩の財政をささえたのだ。
江戸時代中期の儒学者、太宰春台(だざい しゅんだい:1680年 – 1747年)が「経済録拾遺」でそのことを書いている。
*「彼」は太宰春台のこと。
彼は、その土地土地の特産物、つまり土産の開発と振興とを奨励している。当時の幕藩体制は、各藩が独立採算の、今日でいえば株式会社のような企業体であり、藩の経済は土産の種類と質と量とに依存していた。ここが同じ東洋でも中国や韓国と違う点である。
「一九九〇年代の日本 PHP文庫 (山本 七平)」
その具体例には、松前の海産物、津和野津和野の板紙、薩摩の砂糖、赤穂の塩などがある。
それぞれの藩が地域の特色をいかした産物をつくって、全国的に売り出して儲けていた。
日本では各藩が経済的には独立状態にあったということは、その時代の中国や韓国とはまったく違う。
同じころの中国や韓国では、科挙という国家公務員試験に受かったエリート官僚が中央政府から派遣されて、その地方を治めていた。
もちろん、その地方ならではの特産物がなかったわけではないけど、その種類や数では日本に遠くおよばなかっただろう。
こうした地方のフロンティア精神がいまも生き続いていて、日本を訪れた外国人を驚かせる。
太宰春台は18世紀に「経済録」という書を世に出す。
いまでは山ほどあるけど、書名に「経済」という言葉を使ったのは「経済録」が日本で初めて。
「経済」という言葉も太宰春台が広めている。
でも当時の経済とは「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という意味で、現在のエコノミーとはかなり違う。
そのへんに興味のある人はここをクリック。
主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する語であった。
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