【島国のメリット】日本と中国・韓国の違いは、国が文明だった

 

いままで海外旅行をしていて、現地で会った外国人から「日本はどんな国なんだ?」と質問されることが何度かあった。

そういう場合、「日本は島国で、豊かな四季がある国でっせ」という2つのポイントをおさえて説明する。
日本が誕生したときからずっとこの2つは変わらないし、日本の歴史や人に影響をあたえ続けているから。

アメリカの有名な政治学者サミュエル・ハンティントンが「文明の衝突」という著書で、世界を8つの文明に分けた。

 

ハンチントンによると世界には「中華文明・ヒンドゥー文明 ・イスラム文明 ・日本文明・アフリカ文明・ラテンアメリカ文明・西欧文明・東方正教会文明」の8つの文明がある。
でも、国と文明が一致しているのは日本だけ。

中華文明は儒教にもとづく文明圏で儒教文明ともいう。
中国を中心に台湾、朝鮮、韓国、ベトナム、シンガポールで成立している。
日本は2世紀から5世紀に、この中華文明から独立して別の文明圏を築いたとハンチントンはいうけど、それが具体的に何のことを指しているのかは分からない。

個人的には7世紀ならわかる。
たとえば聖徳太子が中国皇帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と、天皇と皇帝を「天子」と同格にする手紙を送った。

「格下」と思っていた日本からこんな手紙を受け取った皇帝(煬帝)はその非礼に怒る。

これを見た隋帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという。

遣隋使・第二回(607年)

 

それまで中国人が呼んでいた「倭」から、日本人が考案した「日本」に国名もかえたのも7世紀といわれている。
2世紀から5世紀の間に日本が中国文明圏から独立した出来事って、何かあったっけ?

 

とにかく「国=文明」の日本は、中国やその文明圏にある韓国やベトナムとは違う。
この違いを生んだ決定的な要因に、日本が島国だったことがある。
島国という宿命にはメリットとデメリットがあるけど、ここではメリットに注目して書いていこうと思う。

幕末の日本へやって来た中国の知識人・黄 遵憲(こう じゅんけん:1848年 – 1905年)も、日本が四方を海に囲まれていることに注目した。

日本は国として、大海の中に悠然と独立していて、他国とは隣接していない、〇〇神武事件以来、2500余年、1つの国でも他人に与えたことなく、一寸の国土を他人から得たこともない。日本が古代からずっと変わらずに、このようにできたのは、また奇になることである。

「文人外交官の明治日本 張偉雄(柏書房)」

 

日本は島国で他国と隣接していない。
だから他国に領土を奪われたことはないし、中国がモンゴル族に支配されたように、異民族に征服されたこともない。
歴史的には、これが最大のメリットだろう。

当時の中国人の目にはそんな日本が異質に映った。

黄遵憲の言うには、この地球の上に、国というものは、領土や国境線を決めて成立したものであり、互いに国土が隣り合って、奪いあったりしている。したがって、国の強弱大小は定形的なものではないのである。一日にして国ができたところもあれば、一日で国が滅んだところもある。

 

中国と陸続きの韓国(朝鮮)では、良い影響も悪い影響もすぐにダイレクトでやってきた。
漢字や製紙法、儒教や仏教などの文化や思想などは日本より早く伝わったから、日本より先に「文明開化」することができた。
でもその反面、中国から攻めこまれやすい。

13世紀、モンゴル軍の攻撃を受けた高麗は粘り強く抗戦したけれど、けっきょく負けて降伏し、その後約80年間、モンゴルの支配下に置かれた。
韓国の中学校歴史教科書によるとこんな状態だ。

高麗の領土を奪い、高麗の政治制度を勝手に改め、毎年数多くの財物を奪っていった。
王室も例外ではなかった。
高麗王は必ず元の王女と結婚しなければならなかった。

王の名前も元に忠誠をちかうという意味で忠宣王、忠烈王、忠穆王など『忠』の字を一番前に付けた。
国の姿もみじめで、民衆の生活は次第に苦しくなっていった。

「躍動する韓国の歴史 (明石書店)」

ちなみに英語の「KOREA」は「高麗」に由来する。

 

日本も元寇で敗北していたら、天皇や皇室がこんな目にあっていたかもしれない。
モンゴルが日本を高麗より優遇する理由もないし、当然こうなっただろう。
天皇が元の王女と結婚していたらいまの日本はないし、「中華文明」のひとつに分類されていたかもしれない。
モンゴル軍と戦った鎌倉の御家人と神風には感謝あるのみ。

高麗とモンゴルの関係に興味のあるひとはここをクリック。

高麗は、モンゴル帝国に対して反抗したが、戦争に負けてからは服属し、「忠実な部下」として友好を保ったが、「親分」であったモンゴルが撤退したため、高麗の内部は動揺する

高麗

 

韓国の王が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」なんて手紙を中国皇帝に送ったら、そのお礼に数十万の軍隊がやって来て、きっと朝鮮半島は蹂躙(じゅうりん)されていた。
日本も中国と陸続きだったら、一度や二度は中国の支配下に置かれていたはずだ。

19世紀の中国人が、「日本が古代からずっと変わらずに、このようにできたのは、また奇になることである」と思い、20世紀のアメリカの国際政治学者が「日本文明」と一国で独立した文明圏にしたのも、日本が四方を海にかこまれていたからこそ。
時代も国も違う外国人がこう考えた最大の要因は、日本が島国だったこと。
このメリットによって、日本はいまの日本になった。

 

おまけ

この人が記事にでてきた黄 遵憲(こう じゅんけん)さん。

 

桜や花見など日本文化を本格的に中国に紹介した人で、日中友好の象徴のような人物だ。

清朝の改革にあたって明治維新に倣うべき点があると考え、同志の康有為や梁啓超にも影響をもたらした。黄遵憲は近代における知日家・親日家の先駆ともいうべき人物なのである。

黄 遵憲

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。