今回の内容
・歴史を学ぶのはつらいよ
・西洋では?
・中国では?
・日本では?
・歴史を学ぶのはつらいよ
大学生のころ、バイトで中学生の家庭教師をしていた。
そのときに見ていた中学2年生の女の子があるとき、「私、歴史が大嫌い」と言い出す。
「人物や出来事、年号の暗記がイヤなんだろう」と思ったら、想像してもいない理由だった。
「歴史の勉強していると、人がたくさん殺されてくら~い気持ちになるから」
なるほどね。
でも、それはしょうがない。
人類の歴史は、きれいなことだけじゃない。
でも、そいうことを知らないと、同じことをくり返しちゃうからね。
キリング・フィールド(処刑場)
海外旅行でも、いわゆる「世界の負の歴史」にふれて、ダメージを負った日本人旅行者に会うことがある。
カンボジアだと、トゥールスレン刑務所とかキリング・フィールドがそういう場所。
トゥールスレン刑務所は、1970年代のカンボジアにつくられた政治犯の収容所。
ここでは、多くの人が拷問を受けたり殺害されたりした。
カンボジアのトゥールスレン刑務所
囚人は、鉄の鎖を足につけられていた。
鉄の箱は、排せつ用の箱。
つまり、トイレ。
こうした場所を訪れて、なかには泣き出した人という旅行者もいた。
「でも、アンコールワットを見た後に行って良かった。あれを見たら観光どころじゃない。アンコールワットを見ても、絶対に楽しめなかった」
トゥールスレインやキリングフィールドに行く人で、感受性の強い人はアンコール前に行ったほうがいいかもね。
虐殺の責任者「ポル=ポト」の写真。
目は、ペンなどで突かれてつぶされている。
・西洋では?
前に西洋のイギリス革命のことを書いた。
このときもいや~な感じはした。
イギリス革命
1640~60
イギリス絶対王政を崩壊させた市民革命。ピューリタン革命とも言う。チャールズ1世はの強権政治に対する不満から、1642年には武装闘争に発展した。(世界史用語集 山川出版)
「イギリス絶対王政を崩壊させた」ってオブラートにつつんで書いてある。
けど、このときにしたのは国王「チャールズ1世」をつかまえて、処刑したことだからね。
チャールズ1世(ウィキペディア)
しかも、処刑のやり方がひどい。
公開処刑をされている。
大勢の人が見ている前で、首を斧で切り落とされた。
下の絵では、首から血が噴き出してる・・・。
チャールズ1世の処刑(ウィキペディア)
同じく西洋では、1789年にフランス革命がおきている。
このときは、国王ルイ16世と妻のマリーアントワネットがギロチンで首をはねられて処刑された。
ルイ16世の処刑(ウィキペディア)
切断したルイ16世の頭部をつかんで、民衆に見せている。
ベトナムの首都ハノイの博物館にあったギロチン
フランスに敵対した多くのベトナム人が、これで命を奪われた。
20世紀になっても、ギロチンが使われていたことにびっくり。
・中国では?
中国の歴史でも、皇帝が殺されるという「革命(易姓革命)」は何度もおきている。
皇帝が敵に殺されたり、敵に捕まる前に飛び降り自殺をしたりしている。
なかでも、明の最後の皇帝「崇禎帝(すうていてい)」は悲惨だった。
敵がせまりつつあって、もう逃げられない。
自分の子どもが敵につかまったら、残酷に殺されてしまうだけ。
だから、父親である自分が子どもたちを殺す。
「なんで、おまえはこの家の生まれてきたのか?」
そう言って、崇偵帝は泣いていたという。
そして自分も、紫禁城の裏で首をつって自殺した。
それが今の景山公園のなか。
そのときの木(2代目)を、今でも見ることができる。
崇偵帝が首をつって亡くなった場所(ウィキペディア)
・日本では?
日本の歴史では、こうした革命がない。
革命が起きて天皇が処刑されたということがない。
でもその代わり、「君側の奸を討つ」という独特な考え方があったけどね。
「鎌倉時代の承久の乱、明治時代の西南戦争、昭和の二二六事件」の共通点が、「君側の奸を討つ」という考え。
もし承久の乱のときに、北条泰時が天皇や上皇らを処刑して、新しい王朝を始めたら、それは中国や朝鮮の歴史でおきたものと同じ易姓革命になる。
けれど、そんなことはおこらなかった。
新政府軍が江戸幕府と戦った戊辰戦争では、西郷隆盛は徳川慶喜(よしのぶ)を処刑するつもりだった。
西郷隆盛はフランス革命で国王を処刑したように、徳川将軍の命をとることを考えていたらしい。
でも、実際には徳川慶喜が殺されることはなかった。
日本では、西洋や中国でおきていたような革命はおこらなかった。
ということは、日本で、王や皇帝を処刑するような革命は必要なかったということ。
これが、他の国とは違う日本という国の大きな特徴になる。
なんで西洋や中国では必要だった革命が、日本ではおこらなかったのか?
ぜひ、考えてみて。
「豚一様(ぶたいちさま)」(ウィキペディア)
おまけ
江戸幕府の最後の将軍「徳川慶喜」は、命を助けられただけではない。
それどころか、慶喜は老後のセカンドライフを最高に楽しんでいた。
西洋の文物にも関心を寄せ、晩年はパンと牛乳を好み、カメラによる写真撮影・釣り・自転車・顕微鏡・油絵・手芸(刺繍)などの趣味に興じた。
静岡に住んでいる時、家臣達と一緒に愛用の自転車でサイクリングした
(ウィキペディア)
徳川慶喜は豚肉が大好きで、薩摩産の豚肉をよく食べていた。
そのことから、まわりから「豚一様(ぶたいちさま)」と呼ばれていた。
こんな幸せな老後を過ごした前政権の最高指導者は、世界中を探してもなかなかいないはず。
最近では、リビアのカダフィ大佐が裁判もなく処刑されてしまったしね。
さて、今回の復習ですよ
・1970年代のカンボジアで、大量虐殺をした指導者はだれ?
・1640におきたイギリス絶対王政を崩壊させた革命は、なに?
・1789年のフランス革命で処刑された国王はだれ?
・中国の明朝最後の皇帝はだれ?
・江戸幕府の最後の将軍はだれ?
・その将軍が大好きな肉はなに?
答え
・「ポル=ポト」
・イギリス革命(ピューリタン革命)
・ルイ16世
・崇禎帝(すうていてい)
・徳川慶喜
・豚肉
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