【日本統治時代】歴史を伝える台湾と韓国のちがい

 

日本による統治(支配)を経験した韓国が正確に比較できるところは、同じ時代に統治されていた台湾だけ。
もしくは実質的に日本の支配下あった中国東北部(満州)ぐらいなもの。
ここでは中国は置いといて、台湾と韓国の日本に対する思いの違いについて書いていこうと思う。
スタート地点は同じでも、たどり着いた先はまるで違う。

 

これは現在の台北にある台湾総督府の建物
日本の台湾統治はここで行われていた。

 

いまでもこの建物は台湾の総統府として使われている。
ここは台湾の有名観光スポットになっていて、特に日本人の間で人気が高い。
ボクが行ったときは日本統治時代を知る台湾人のおじいさんが中を案内してくれて、後藤新平について「台湾を近代化した恩人」と言う。

台湾の都市設計をまかされた後藤新平は自分たちのやり方を押し付けることはなく、台湾の事情をよく調査して把握したうえで都市づくりを進めていった。

それは「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである」というものだった。

後藤新平・「生物学の原則」に則った台湾統治

余談だけど、時計会社「CITIZEN(シチズン)」の社名は後藤新平がつけたもの。

 

話は韓国にかわって、下は日本統治の心臓部だった朝鮮総督府の建物。
目的や役割は台湾総督府と同じ。

 

 

でも、日本の支配を象徴するこの建物は屈辱のシンボルでもあったため、台湾とは違って1995年に爆破解体されて地上から完全に消された。
台湾と韓国での総督府庁舎への対応は本当に対照的で、過去の歴史に対する見方の違いをよく表している。
台湾は過去を乗り越えて現在の歴史問題にはしない。
総督府を消した韓国に反日感情が強く残っていて、残した台湾ではほとんど見られないという不思議。

ただ韓国はこの建物の残骸は残していて、それは国立独立記念館で見ることができる。
元衆議院議員でいまは同志社大学で講師をしている村上政俊氏がそこを取材して、デイリー新潮に記事(4/15)を寄せているからそれをみていこう。

韓国で展示される朝鮮総督府を見よ 日本統治時代の遺物をゴミ扱いするヘンな発想

この独立紀念館にはこんな説明文がある。

「朝鮮総督府の建物の残骸を粗末に扱う形で展示した。朝鮮総督府の象徴だった尖塔を地下5メートルの深さに埋めて展示し、展示公園を太陽が沈む独立紀念館の西側に配置することで、日本帝国主義の没落と植民残滓の清算を強調した。」

「粗末に扱う」と強調するように、建物の破片が散らかして置いてあるという。
かつては首を上にしないと見ることのできなかった総督府のてっぺんを、いまは見下せるように展示するという発想に、台湾人との圧倒的な違いを感じることができる。

この展示を目にした村上氏はこう憤る。

我が国を貶めようということなのだろう。しかし、そんな子供じみた振る舞いで書き換えられるほど、歴史は簡単なものではない。

 

この記念館にある説明書きによると、総督府庁舎の撤去の目的は「日帝の植民残滓を清算して民族の精気を回復することを目指し」ということだ。
総督府を地面に埋めることが日帝残滓を清算することになり、それによって韓国の人たちは元気を取り戻すらしい。

「日帝残滓」が気になった人はここをクリック。

日本による朝鮮統治時代に、日本から朝鮮半島に伝わった文化・文物を除去すべき対象とする罵倒用語。韓国や北朝鮮でマスコミや日常会話でも使われる。

日帝残滓

 

台湾が過去を乗り越えて歴史問題にしないと書いたのは、台湾はこんな見当違いな報道をしないから。

韓国の全国紙・東亜日報がこんな記事(2019/09/03)を載せている。

日本の相次ぐ嫌韓妄言、「道徳的賠償」ドイツの謝罪から学べ

ユダヤ人虐殺(ホロコースト)を行ったナチス=ドイツと日本がしたことはまったく違うから、その比較は不可能だ。
それよりも、なんで日本では嫌台発言がでてこないのか?
韓国は遠くのドイツより、もっと身近な成功例から学ぶべき。

 

同じ総督府の建物でも、台湾は大切に保存していまでも使う一方で、韓国は爆破して残骸を地中へ埋めてしまった。
こんな違いは昔からのようだ。

元日本海軍の兵士で、戦後は作家として活躍した阿川弘之氏が日本海軍の思い出を本に書いたところ、元日本兵の台湾人から好意的な手紙をもらう。
そこには、自分が案内するから今度台湾へ遊びに来いと書いてあった。
「日本帝国主義の没落と植民残滓の清算を強調した」という人もいれば、なつかしい思い出話をしたいと思う人もいる。

また阿川氏の知人が台湾に行ったとき、現地のガイドが日本統治時代の建物を案内してくれた。
著書にそのときの様子が書いてある。

中が少しも荒れていなくて綺麗に保存されていたというんですね。それから間もなく朝鮮に行ったら、これが逆で、日本の残したものはすべていけない、日本人に対する憎しみがひしひしと感じられたそうです。

「国を思うて何が悪い (阿川弘之) 光文社」

同じ過去をもっているのに、いまは本当に逆なのだ。
その違いは、伝えるものが歴史か憎しみかの違いにもよる。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。