始めに、初めてこの記事をご覧になった方にお断りです。
これは、今まで別のブログにあった記事を、都合でこっちのブログに引っ越しした記事です。「どっかで見たことある」と思った方は、すみません。
加筆:修正して、内容を変えています。
それと、今回の記事は、今まで出会った旅人の一部を取り上げて、それを大げさな表現にしたものです。
少しの事実にかなりの想像を加えたもので、まあ、韓国でいう「ファクション」のようなものです。
「最近の韓国時代劇は『ファクション』とよく呼ばれます。『ファクト(事実)』と『フィクション(創作)』の融合というわけです。
「朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか(康熙奉)
韓国の場合、時代劇だけじゃなくて、日本についての新聞やテレビの報道も「それって、ファクションじゃない?」というようなものが多いですけどね。
この記事もそのようなファクションです。
事実にはもとづいていますけど、想像も混ぜています。
「そんなもん」として、読んでください。
前回の記事の最後に書いたけど、最近ボクがしているのは、ツアー旅行でも自由旅行でもない「ハイブリッドな旅」。
それはどんな旅か?
でもその前に、「ハイブリッド」の意味を確認しておきましょう。
「ハイブリッド」
「ふたつの要素を組み合わせて作られたひとつのもの
(ウィキペディア)」
要するに、「ハイブリッドな旅」っていうのは、自由旅行の要素とパッケージツアーの要素を結びつけた旅行のこと。
ちなみに、ウィキペディアによると、個人旅行と自由旅行は区別されている。
でも、そこまで細かい違いはどうでもいいので、ここでは、旅行会社に頼らないで、できるだけ自分でやるスタイルを「自由旅行」にする。
ボクが海外に行くときは、パッケーツアーではなくて、バックパックをかついで一人で行く自由旅行になる。
ホテルは自分で探してチェックインするし、都市の移動も一人でする。
ホテルは、一泊500円くらいの部屋だったり、移動は現地の人と同じバスや列車を利用したりする。
一部屋に数人が泊まるドミトリールームに泊まることもあるから、そこで出会った人たちと飲みに行くこともある。
この辺は自由旅行と同じ。
でも、現地では、日本語ガイドや英語ガイドを雇って観光名所を案内してもらったり、現地のツアーに申し込んだりする。
この辺は、パッケージツアーと同じ。
ときには、ガイドと専用車をお願いすることもあるから、こうなると、パッケージツアーより豪華な旅行になるし、お金もそれなりにかかる。 この辺になると、自由旅行とはまったく違う。
悪く言えば、ツアーか自由旅行かよく分からない「中途半端な旅」で、良く言えば、二つのメリットを合わせた「ハイブリッドな旅」になる。
言い方は、「ハイブリッドな旅行」でも、どうでもいいけどね。
「短い時間の中で、できるだけたくさんのところに行って、いろいろなことを知りたい」と思うようになっていくと、こんな旅になっていった。
もう学生ではないし、旅行に数か月も時間を取ることはできない。
空港から市内までや別の都市への移動、ホテルのチェックインは自分でできるから、それは一人でやる。
1~2週間ほどの限られた時間の中で、多くのところに行って、そこを理解するなら、現地ツアーやガイドを利用する方がいい。
そこまでの行き方を自分で調べて、バスや列車に乗ってたどり着く、ということは達成感があっていい。けど、それは今まで何回もやってきたし、もう、移動にそんな時間は取れない。
短い時間でたくさんの場所行く、という「効率」を求めるなら、ツアーがいい。
一人で何でもしなきゃいけない自由旅行だと、移動だけで思わぬ時間がかかりことがある。
それに観光地に行くと、いろんな疑問が出てくる。
例えばアンコールワットの壁画の意味やアンコールワットを建てた理由、こんな強大な帝国がなんで滅びたのか?
ボクの場合、一人でいると、思っただけで終わる。後で本を読んで調べようと思っても、遺跡を見た興奮が冷めると、本を開くのが面倒くさくなる。
ガイドがいれば、その場で疑問に思ったことを聞くことができる。
これがボクには、ありがたい。
でも、現地の人との触れ合いを求めるなら、ツアーではまずムリ。
アンコールワットでお土産売りの子どもと出会う。すると、その子の家に招かれて、家族とお茶を飲むというのは、ツアーではありえないと思う。
こういう思わぬ出会いを求めるなら、自由旅行がいい。
これらとは別に、「現地の人に貢献したい」という気持ちもある。
ガイド、ドライバー、旅行会社を利用しなければ、彼らの仕事がなくなる。
ボクがよく行く東南アジアの国にとって、日本人旅行者にしてほしいことは、「この国で、もっとお金を使ってほしい」こと。多分、きっと。
カンボジア人やミャンマー人などのガイドから話を聞いた限りでは、現地の人が日本人から一番ほしいのは、お金。
笑顔とか感謝の言葉とかは、その次。
それらはうれしいものだけど、必要なものでもない。
笑顔や感謝は、もともとアジアの人たちの生活にあるだろうし、それより大事なのは、子どもを病院で診てもらうためのお金。
子どもを病院に連れて行くかどうか、家族会議を開く。
でも、「やっぱり、お金が払えない」となって、そのまま失われていく小さな命がある。
そんなことは、東南アジアの農村では珍しくない、と何回か聞いたことがある。
今でも、それはあると思う。
「お金がほしい」といっても、彼らは物乞いじゃないから、ただお金をもらうことを望んでいるわけじゃない。
まあ、そういう人もいるかもしれないけど。
日本語ガイド、ドライバー、旅行会社の人たちについていえば、彼らが望んでいることは、自分たちに仕事を依頼してくれて、その労働の対価としてお金をもらうこと。
がんばって仕事をしてくれたら、笑顔も感謝も自然と生まれる。
彼らにとっては、家族や生活が最優先だから、仕事をしてお金を稼ぐことが、一番大事になる。
自分が20代に自由旅行をしていたときは、これとは逆で、現地でなるべく安くすませることしか考えていなかった。ガイドや専用車なんて、とんでもない。
けれど、今は働いてそれなりの収入があるから、現地の人に仕事をまかせて、それに応じたお金を払いたい、という気持ちがある。
そんなことで、こんなハイブリッドな旅をしているわけですよ。
一つの見方だけど、「アジアの人に近づきたい」のなら自由旅行がいいし、「アジアの人のためになりたい」のならツアーがいい。
でも、こういうガイドを雇ったり、ましてや車をチャーターしたりするような旅行のスタイルは、一部の日本人旅人にはウケがよくない。
続きは次回に。
よかったら、こちらもどうぞ。
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