今回の記事は、今まで出会った旅人の一部を取り上げてそれをチョイと大げさに書いたものです。
事実に想像を加えたもので、韓国でいう「ファクション」のようなものです。
「最近の韓国時代劇は『ファクション』とよく呼ばれます。『ファクト(事実)』と『フィクション(創作)』の融合というわけです。
「朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか(康熙奉)
韓国の場合、時代劇だけじゃなくて日本についての新聞やテレビの報道も「それって、ファクションじゃない?」というようなものが多いですけどね。
この記事も、そのようなファクションです。
事実にはもとづいていますけど、想像も混ぜています。
「そういうもの」として、読んでください。
最近、ボクがしているが、ツアー旅行でも自由旅行でもない「ハイブリッドな旅」。
ホテルのチェックインや移動は自分でやって、現地での観光はガイドと一緒に周ったりやツアーに参加する、というもの。
でも、こういう旅のスタイルはバックパッカーには受けが悪い。
ガイドを雇ったり車をチャーターしたりするような旅行のスタイルは、一部の日本人旅人からはバカにされる。
「旅と旅行をはっきり分けていて、旅行は旅のワンランク下のもの」と強く思っている人からはとくに。
そう思っている人にとっては、ガイドを雇うとかツアーに申し込むという時点でそれはもう旅ではなくなって、ただの旅行になるらしい。
前回の記事でも書いたけど、自分も20代のころはそういう考え方をしていた。
「旅行会社にすべておまかせするツアーなんて旅じゃない。そんなものと自分がしている旅を一緒にしてほしくない」みたいなえらそうなことを思っていた。
それを面と向かって口に出したことはなかったけど。
でも、今まで出会った旅人にはそういう人もいた。
イエメンで出会った二人の旅行者がそう。
彼らと首都サヌアでたまたま知り合い、3人でお茶を飲みに行くことになった。
彼らはこれからアフリカ(確かジブチ)へ行くとか言う。
それで、その一人がボクの予定を聞く。
「これから何しますか?」
「明日から、ガイドと~を周ります。その後に日本に帰ります」
と、正直に答えると二人とも「え?」という顔をして動きがとまる。
そして、さらにこんなことを聞いてくる。
「それって旅じゃなくて旅行ですよね?」
「そういう旅行って面白いんですか?」
頭に浮かんだ言葉をそのまま口にするという、子どものような純粋さに感動した。
彼らの中では、「ガイドと専用車」なんてもう旅ではない。
「旅>旅行」という考え方は、その後の彼らの話からわかった。
はっきり言えば、ツアーや旅行をバカにしていた。
「ガイドと観光地をまわった」とボクが話すと、インドや上海でも似たような目にあった。
「すごい大名旅行ですね。ボクにはできないなあ」
と、デリーで称賛と皮肉の言葉をもらったと思えば、
「上海なら、ガイドなしでもまわれますよ」
と、的確なアドバイスをいただくこともあった。
運悪く、「旅行は旅よりも下にある」という考えを強くもっている人が多い場にいると、完全に「アウェー」になってしまう。
そのまれにしかない貴重な経験を、タイの首都バンコクでさせてもらうことができた。
それは、宿で知り合った日本人の旅行者4人とご飯を食べていたときのこと。
「今回はどういう旅か?」「その日は何をしたか?」というバックパッカーのお約束のようなことをそれぞれが話し始める。
「初めての海外旅行で、ドキドキしてます。明日アユタヤに行こうと思ってます」
という旅の初心者には、タイ旅行の経験者がアユタヤ観光のアドバイスをする。
「それなら、バスで行った方がいいよ。~から簡単に乗れるから。あと、宿は~がいいと思うよ。安いわりにはきれいだし。あと、アユタヤで遺跡巡りをするときに注意した方がいいのは・・・」
そんなレッスンをはじめる。
そして、ボクの番がまわってきた。
「今日は、ガイドと寺や博物館をまわってました」
素直に話すと、その場にいた人たちが「え?」という顔をしてボクを見る。
イエメンのときとまるで同じ。
「どうやってまわったんです?」
「車をチャーターしたから、それで」
正直に言うと、一人があきれるような顔をして言う。
「バンコクなら、ガイドなしでまわれますよ」
これもどこかで聞いたことあるぞ?
その後は彼らで盛り上がる。
4人のなかには、海外一人旅が初めてという人がいれば、20か国以上旅行した・・、いや旅したベテランもいる。
「前に行ったインドではさあ、こんなことがあってさあ」
「インドに一人で行ったんですか?すごいですねえ!」
「いやいや、アフリカに比べたら、インドなんて大したことないよ。アフリカはすごいから」
「アフリカに一人旅って、マジですごいですよ。尊敬します」
こんな感じに、ベテラン旅行者が旅の武勇伝を話しては初心者が目を輝かしてそれを聞いている。
そういや自分もこんなふうに話を聞いたり話をしてたりしてたなあ、と思い出す。
くり返し書くけど、こういうことはたまにしかない。
「ガイドと専用車でまわりました」と言っても、なにも気にしない人も多い。
ガイドから聞いた話を聞きたがる旅人もいた。
「ワットプラケオって、どんなお寺なんですか?日本の仏教とタイの仏教は、どう違うんですか?」。
そんなふうに聞いてくれるとボクも話ができる。
こういう人たちといると、「ハイブリッドな旅」をしていても、楽しく過ごすことができる。
人生いろいろ、旅人もいろいろ。
でも、「それって、旅じゃなくて旅行じゃないですか?意味あるんすか?」みたいなことをあからさまに態度に出す人が多いグループだとつまらない。
こちらに話をふられることはほとんどない。
だから、地蔵になっていろんな人の話を聞くだけ。
でも、これは仏教でいう「因果応報」というやつなのかもしれない。
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ(goo 辞書)
自分も20代のころは、「ガイドと専用車で観光地をまわった」なんて聞いたら、「そんなの旅じゃねえ」とバカにしていた。
むかし、そういう旅行者をバカにしていたから、今自分が軽く見られているのかもしれない。
そんなことを思いながら、旅人たちの冒険談を聞いていた。
「人間、孤独は耐えられるが、孤立には耐えられない」なんて言葉を思い出したりして。
で、ふと思った。
「旅行なんて、旅じゃない」
「アフリカに比べたら、インドなんて大したことないよ。アフリカはすごいから」
という考え方には、カースト制度に通じるものがあるんじゃないか?
よかったら、こちらもどうぞ。
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