【アメリカの伝説的日系人】ダニエル・イノウエがしたこと

 

日米の友好・関係強化に取り組んできたしたアイリーン・ヒラノ・イノウエさんが亡くなった。
アイリーンさんはカリフォルニア州出身の日系3世で、日本とアメリカの橋渡しとなるべく、ロサンゼルスのリトルトーキョーの博物館初代館長に就任して、第2次世界大戦中の日系人社会の歴史を広く伝えてきた。

読売新聞の記事(2020/04/09)

日米政財界の関係強化に尽力し、東日本大震災後の復興支援から生まれた官民パートナーシップ交流事業を主導し、日米の青年交流や異文化交流に取り組んだ。

日米の関係強化に尽力、アイリーン・ヒラノ・イノウエさん死去

向かって右がアイリーンさん

 

でもここで取り上げたいのは夫で故人のダニエル・イノウエ氏。
日本人として、このアメリカの伝説的な日系人の名前と功績はぜひ知ってほしい。
上の写真でアイリーンさんは、故ダニエル・イノウエ氏に授与された大統領自由勲章を披露している。

ダニエル・イノウエ氏はアメリカの有名人だから、英語版ウィキペディアにくわしい説明が載っている。
そこを見ると、上院仮議長に選出されから2010年に亡くなるまでその職をつとめていたイノウエ氏は、アジア系アメリカ人の政治家としては米史上、最高の地位にあったとある。

he was President pro tempore of the United States Senate (third in the presidential line of succession) from 2010 until his death making him the highest-ranking Asian-American politician in US history

Daniel_Inouye

その地位にいることを誰もが当然と思うような仕事をイノウエ氏がして、広くあつい信頼を獲得した証拠。

 

イノウエ氏は第二次世界大戦中、ほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成された「442連隊」(第442連隊戦闘団)に所属してヨーロッパの前線で戦っていた。

*「Go for Broke」(あたって砕けろ、最後まで戦え)をモットーに激しく戦った442連隊は、アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けたことで知られる。

 

ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたイノウエ氏はただの兵士じゃない。

ドイツ軍めがけて手榴弾を投げ込もうと点火して振り上げた右腕に、ドイツ軍兵士が発射した銃弾が当たって右腕は切断された。
火の点いた手榴弾を握った右腕が地面に転がる。
イノウエ氏は自分の右手ごと、左手でドイツ軍のトーチカに投げ込んで炸裂させた。
そして左腕一本で短機関銃を武器に戦闘をつづける。
まるで小説かマンガの戦闘シーンだけどこれはリアル。

 

米陸軍時代のイノウエ氏

 

兵士をやめたあとイノウエ氏は政界に進出した。
1959年にはハワイ州選出の連邦下院議員に当選して、アメリカ初の日系人議員となる。
まだ日本人への差別意識が残っていたアメリカで、イノウエ氏の初登院での出来事はもはや伝説。

通常、下院議長から「右手を挙手して宣誓の言葉を続けてください」と言われて、議員はその通りするのだけど、イノウエ氏は右腕をドイツ軍に投げ込んでしまった。
左手を挙げたイノウエ氏について、当時の議事録には「右手がなかったのである。第二次世界大戦で、若き米兵として戦場で失くしたのだ。その瞬間、議会内に漂っていた偏見が消え去ったのは、誰の目にも明らかであった」とある。
アメリカ人はこういう人間に最大級の敬意をはらう。

これ以上の情報はここをクリックしてくれ。

イノウエはオバマが「任期中に被爆地を訪問できれば名誉なこと」と発言したことに関し「素晴らしい」と支持を表明。「母が広島出身。この問題には敏感だ」と語っていた。

ダニエル・イノウエ

アメリカの伝説的人物ダニエル・イノウエ

 

2010年に息を人ったあと、合衆国は彼の功績をたたえて大統領自由勲章をおくったり、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦に「ダニエル・イノウエ」という艦名が付けた。
現在のハワイのホノルル国際空港の正式名称は「ダニエル・K・イノウエ国際空港 (Daniel K. Inouye International Airport)」だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。