はじめの一言
「とても礼儀正しくしかも親切。イギリスの大きな港町で多分目にするふるまいと較べて何という違いだろう。さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分やまわりの人への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞した。私達の最も良いマナーも日本人のマナーの気品、親切さには及ばない(イザベラ・バード 明治時代)」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
イザベラ・バード(ウィキペディア)
19世紀、イギリス人の旅行家。
明治の日本を旅した。
今回の内容
・輪廻転生(りんねてんしょう)という宗教観(死生観)ついて
・インド人にとっての輪廻とガンジス川での火葬
・輪廻転生(りんねてんしょう)という宗教観(死生観)ついて
生きているときにたっくさん良いことをしたら死んだ後、良い世界に生まれ変わることできる。
だけど、悪いことをしていたらひどい世界に生まれてしまう。
最悪、地獄に落ちる。
これは仏教の「輪廻(りんね)」の宗教観(死生観)考え方だけど、今では日本の常識になっている。
今回はこの輪廻の考え方が、インド人(ヒンドゥー教徒)の生活にどんな影響を与えているのかを書いていきたいと思う。
特にガンガー(ガンジス河)で行われている火葬との関係について。
ちなみにガンガーはヒンディー語で、ガンジス河は英語だ。
でもその前に、あらためて輪廻という言葉の意味を確認しておこう。
輪廻(りんね)とは梵語でサンサーラ(流れる)の意味で、生者が迷妄に満ちた生死をずっと繰り返すことをいう。
「デジタル大辞泉」では、輪廻と輪廻転生は同じものだと書いてある。
仏教の専門家じゃないんから、「同じもの」として考えていいでしょ。
はい、同じものとして進めていきますよー。
ガンガー(ガンジス河)
ガンガーには鰐(ワニ)がいる。
ガンジス河のワニの神様が日本の金毘羅(こんぴら)様になったという。
さて輪廻ってヤツについて。
輪廻によって人は生まれ変わるけれど、いつでも人間界に生まれるってわけではない。
仏教では、次の6つの世界(六道)をグルグルと生まれ変わると考えられている。
*この「グルグル」というサイクルが「転生」なのだろうけど。
「地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道」
天界に行っても「終わり」ではない。
天界でも悪いことをしたら、死後、修羅道や餓鬼道に落ちてしまうかもしれない。
こわいこわい。
お地蔵さんは、その6つの世界にいるという(六地蔵)。
・インド人にとっての輪廻とガンジス川での火葬
インドのヒンドゥー教にも、輪廻転生という宗教観(死生観)考えがある。
というより、もともと輪廻はインドの古代思想にあった考え方で、仏教がそれを引き継いでいる。
この輪廻という考え方を生んだのは、インドの自然だという。
ガンジス川流域で力強く繰り返された乾季と雨季の循環は、人間の無力を痛感させた。インド文明に固有の「サンサーラ」(輪廻)」の観念は、圧倒的な力をもつモンスーンがインド人に与えた自然と生命の循環のイメージ化だった。
輪廻からの解脱が、仏教、ジャイナ教などの目標とされたのも、圧倒的な自然の循環から自立したいというインド人の切なる願いの現れだったのである。
(風が変えた世界史 宮崎正勝)
輪廻という意味の英語で「the 《never‐ending》 cycle of reincarnation」という言葉がある。
「never‐ending cycle of」ということだから、「終わることのない繰り返し」という意味になる。
さっきの本によれば、輪廻という宗教観は「ガンジス川流域で力強く繰り返された乾季と雨季の循環(サイクル)」というインドの自然環境から生まれたものだとあった。
大地や自然が、そこに住んでいる人間の思想や死生観を形成するということは、当然あるだろうね。
ヒンドゥー教でも、仏教と同じく死んだら火葬をしている。
インドでは、死体を焼いてその遺灰をガンガー(ガンジス川)に流すと、輪廻転生の苦しみから解放されて永遠の幸せになると信じられている。
だからヒンドゥー教にはお墓がない。
中に入れるものがないから。
*例外的に土葬するヒンドゥー教徒もいる。
インドのガンガー(英語名:ガンジス川)。
ヒンドゥー教では、ここに遺灰を流せばすべての苦しみから解放されると信じられている。
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綺麗な文章、好きです。
おおおっ!
ありがとうございます。
ブログを始めてから1年以上たちますが、そんなコメントをいただいたのは初めてです。
やる気が出てきました。
なお、お名前をふせてあるほうに返信をさせてもらいました。