南北ベトナム人の見方の違い:統一やホーチミンをどう思う?

 

2日前にベトナム人がSNSで、こんなメッセージを投稿していた。

みなさん〜Chào Buổi sáng (おはようございます)
ご存知でしょうか〜?
5月19日は、現在のベトナム国家の礎を築いた 故ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh=胡志明)主席の誕生日 です。

 

ホー・チ・ミンとはベトナム建国の父といわれる人で、植民地時代にはフランスと、ベトナム戦争ではフランス・アメリカと戦って勝利をおさめ、ベトナムの南北統一を果たした英雄だ。
初代国家主席をつとめたホー・チ・ミンはいまもベトナム国民から尊敬され、親しまれている。

 

ホーの慈愛に満ちた飄々たる風貌、また腐敗や汚職、粛清に手を染めなかった高潔な人柄は、民衆から尊崇を集め、そして愛された。晩年は南北ベトナムの両国民から「ホーおじさん」(Bác Hồ、伯胡)と呼ばれ親しまれた。

ホー・チ・ミン

 

彼の誕生日である5月19日は休日ではないけれど、ベトナムの記念日になっているから、この日にはお祝いのメッセージがSNSでよく投稿される。

するとある日本人がこんなことを書き込む。

「おはようございます。
私のFBのタイムラインへ誕生日の投稿したら南部の方に怒られました。この写真です。
南北統一したことをまだ、よく思っていないのでしょうか」

この人がホー・チ・ミンの顔写真とベトナムの国旗をアップしたら、南部のベトナム人から怒られてしまった。
ウィキペディアの説明には、南北のベトナム人から「ホーおじさん」と呼ばれ親しまれたと書いてあったのに、これは一体どういうことなのか?
そのワケをこれから見ていこう。

 

伝統衣装のアオザイ

 

ベトナムってこんな国

面積:32万9,241平方キロメートル
人口:約9,467万人(2018年)
首都:ハノイ
民族:キン族(越人)約86%,他に53の少数民族
言語:ベトナム語
宗教:仏教,カトリック,カオダイ教他

外務省ホームページ ベトナム社会主義共和国(Socialist Republic of Viet Nam)基礎データ から。

 

 

ベトナムはこのように南北に細長い国で、歴史的にも南北で分かれていた。
南はヒンドゥー教文化圏、北は中国文化圏に属していたから、フランスは植民地時代、このあたりをインドシナ(英語だとインドチャイナ)と呼んでいた。

第二次世界大戦後、ジュネーヴ協定によって17度線を境に北ベトナムと南ベトナムの2つの国が誕生する。

 

 

だからベトナム戦争は単に「ベトナム vs アメリカ」というより、中国やソ連の支援を受けた共産主義の北ベトナムとアメリカの支援を受けた自由主義の南ベトナムとの戦いと言ったほうが正確だ。

この戦争では北ベトナム軍の粘り強い戦いに米軍は音を上げて、ベトナムからの撤退を余儀なくされた。
米軍のいない南ベトナムなんてもはや雑魚キャラ。

1975年午前11時30分、北ベトナム軍の戦車が首都サイゴンの大統領官邸へ突入。

ミン大統領らサイゴンに残った南ベトナム政府の閣僚は全員北ベトナム軍に拘束された(サイゴン陥落)。南ベトナムは崩壊し、アメリカ合衆国の敗北が決定した。

ベトナム戦争#サイゴン陥落と南ベトナム崩壊

何人もの南ベトナム軍将校がこの直後に自決する。

 

上には「サイゴン陥落」と書いてあるけど、これはアメリカや北ベトナムが嫌いなベトナム人の表現で、北ベトナムからするとこれは「解放」。
同じ出来事でも、敗者と勝者では見方が反対になるのは世の常だ。

ちなみに日本語のウィキペディアには「接収」とあった。

 

ベトナム戦争中のサイゴン

 

翌年1976年7月に北が南を飲み込む形で統一が達成され、ホー・チ・ミンをリーダーとしてベトナム社会主義共和国が生まれた。

こういう歴史的背景があるから、ホー・チ・ミンに対する見方も南北で大きく違っていて、心から尊敬する人もいれば、故国を滅ぼした「悪魔」のように憎むベトナム人もいる。
国民全体をみれば「ホーおじさん」と親しみを感じている人が多いだろうけど、中には日本人がSNSで誕生日を祝うと、怒りのメッセージを書き込む人もいる。

この話には続きがあって、最初にお祝いのメッセージを投稿したベトナム人がこの日本人に、「怒った方には、是非私へ連絡するようお伝えくださいませ〜」と返信していた。
まだ北と南で争うつもりなのか。

 

おまけ

「日本でもこんな対立があるだろうか?」と思って考えてみると、あえて例えるなら、戊辰戦争で勝った長州人(山口県民)と負けた会津人(福島県民)の関係がこれに近い。

ネットでの書き込みだからどこまでホントかわからないけど、福島人の戊辰戦争にはこんな意見が載っている。

・商談相手が山口県出身者だと、それだけで商談が破談する。
・毎年山口県の青年会議所かなんかと交流会が開かれているが、夜の飲み会になると決まって喧嘩が始まり、両者の溝は埋まりそうにない。
・市議選で圧倒的優位といわれてた候補者が「萩と会津の和解を実現させたい」と言ったとたん、支持率が急降下。得票数最下位で落選した。
・「山口県出身」が直接響くのは福島全体じゃなくて会津地方だけじゃないの?首相の出身地などどうでもいい。by郡山市民

日本の東西対抗はベトナムの南北対立より激しいかも。

 

 

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2 件のコメント

  • 当時(1967~1969)私はSaigonに駐在(民間人)していた。記事はベトナムの二極化を解説している点は的を得ていると思います。ただし、ホー・チ・ミンは1969年9月2日に亡くなっています。つまりアメリカとの戦争最中です。正確にはパリ和平会議でアメリカ軍の撤退が決まった時期です。1975年4月30日の大統領官邸へ突入した戦車は南ベトナム解放戦線の旗を掲げた南ベトナム解放戦線の戦車(建前上)です。                          「米軍のいない南ベトナムなんてもはや雑魚キャラ。」南ベトナムにしてみると「ハシゴを外された感があるが、表現として敗者に対して思いやりに欠けた感じがする。          二極化は戦勝国と敗戦国、勝者と敗者がその対立感を乗り越えて真の統一したベトナムを私は望んでいます。

  • >敗者に対して思いやりに欠けた感じがする。

    わたしは南ベトナム政府・軍をまったく評価していません。
    政府は権力争いに夢中で、指導者がコロコロ変わって不正選挙も起こっている。軍はアメリカからもらった物資を敵側に売ってカネもうけをしていた。
    むごい政治に反政府デモが起こると、武力で鎮圧して市民を殺害する。
    仏教徒に対する弾圧に抗議して、仏僧侶のティック・クアン・ドックが焼身自殺をすると、「あんなものは単なる人間バーベキュー」と言い放つ。
    カネや物をもらうことだけを考えていて、南ベトナム政府は腐敗しきっていたと怒るアメリカ人もいた。

    そんなネガティブな情報から、それなりの評価をしました。
    アメリカからの支援を一切切り離して、南ベトナム政府が国民にした善政があったらぜひ教えてください。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。