江戸時代が終わって明治になると「国民」が誕生した。
封建時代にあった上下の「身分」がなくなり、誰もが同じ国民として教育を受けらるようになる。
それが可能になるよう明治政府は、1872年(明治5年)に日本初の近代的な学校制度である学制を定めて、全国に小学校・中学校・大学校を設置することにした。
「学制」はフランスの学制にならって学区制をとっている。第3章で全国を8の大学区に分け8大学校の、1大学区を32中学区にわけ256中学校の、1中学区を210小学区にわけ53760小学校を置くことを定めた。
でも、日本初の小学校が誕生したのはこの少し前。
くわしいことこの記事をどうぞ。
「時代は明治!もう身分制度は存在しないし、みんなが同じ国民として等しく学ぼう」と政府が音頭を取って学校制度を整えたとしても、それまでの常識を引きずっていた庶民がついていけない。
江戸時代には「賤民(せんみん)」と呼ばれ、差別を受けていた人たちがいた。
賤民とは政治的な意図などによって、四民の下位におかれていた身分で「えた」や「非人」などがあった。結婚や居住などの社会生活で、彼らは不当な扱いを受けた。
明治の日本を旅行したアメリカ人シドモアが、こうした差別を受けていた人たちについて旅行記に書いている。
このあたりには、世間から見捨てられた人たちの暮らす被差別部落があります。死体を扱い、川や毛皮で衣服を作る人を蔑(さげ)すんだためです。差別の起源には、彼らが朝鮮から渡来した人の子孫であるとか、皇室の鷹狩りの実行者や提供者として長く勤めたという伝説的理由もありますが、むしろ動物の生命を奪うことを禁じた仏教戒律の影響と思われます
「日本紀行シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー (講談社学術文庫) 」
明治になってもこんな差別を当然と考える人間もいて、ある親は「賤民」とされた家の子供が学校に来ることに反対し、自分の子を学校に行かせないようにした。
でも、それを知った知事が激怒。
このとき知事のとった行動がシドモアの旅行記にある。
怒った知事は自ら生徒となって入校し、同じクラスの部落の子供と並んで座り授業を受けました。理に適った威厳ある示威行動の結果、身分差別は消滅へと向かっています
「日本紀行シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー (講談社学術文庫) 」
政府が教育制度を整えて、学校をつくるだけでは「国民皆教育」は達成しない。
地域のリーダーが具体的な行動をもって、国民の頭を江戸から明治にアップデートさせる必要があった。
日本のどこの出来事か分からないけど、これは知事さんグッジョブ。
おまけ
「理に適った威厳ある示威行動の結果、身分差別は消滅へと向かっています」とアメリカ人は感動しているけど、当時のアメリカ社会では黒人への差別が当然のように存在していて、黒人と白人は明確に分けられていた。
黒人は「有色(Colored)」の鉄道車両に乗らないといけなかったし、白人と黒人との「共学」なんて夢の話。
この差別に法的根拠をあたえたのが、1896年にアメリカ最高裁が下した判決だった。
「分離すれど平等(英語版)」の主義のもと、公共施設(特に鉄道)での黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲としたアメリカ合衆国の裁判。
黒人分離は区別であって差別ではない!と言ってるアメリカに比べれば、明治の日本はずっと先進的だった。
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