中国の西安を旅行したとき、中国人のガイドさんにおすすめのお寺に案内してもらった。
前回にそのことを書いた。
寺の境内にあるお堂に入ってビックリ。
内側の壁にびっしりと、地獄の様子が像を使ってあらわれていた。
その地獄の描写があまりにリアルで、思わず息をのむ。
その続き。
今回はその「地獄」をたっぷりとご覧いただきますよ。

この「鬼門関」の向こうが、地獄。
地獄には行きたくないから必死に抵抗する死者と、それを引きずっていく獄卒(獄吏)。
ガイドがそんな説明をしていた。
つまり、鬼門関とは「地獄の門」になる。
そして「獄卒(ごくそつ)」や「獄吏(ごくり)」とは、日本でいう「地獄の鬼」のこと。

地獄のいる獄卒によって、苦しみを与えられる死者たち。

これらは中国のお寺にあった地獄の世界だけど、これを見ていて往生要集(おうじょうようしゅう)を思い出した。
これは平安時代に源信(げんしん)という僧が書いた仏教の本。
このなかで、地獄とはどんなところかくわしく描かれている。
日本人の地獄のイメージを決定づけた。
往生要集【おうじょうようしゅう】
985年に成立。3巻。阿弥陀仏の浄土に往生(おうじょう)するために必要な経文(きょうもん)の類を抜粋したもの。10章よりなり,地獄の様相と極楽の荘厳(しょうごん)を説き,念仏を勧める。
(百科事典マイペディアの解説)
この本は日本の仏教で重要というだけではなくて、日本史にも影響を与えている。
高校の日本史では、覚えないといけない本だ。
というのはこの往生要集には、平安時代の「浄土信仰を確立した(日本史用語集 山川出版)」というとても大きなな意味があるから。
往生要集で表現されている地獄の様子もまたリアルで、読んでいて陰鬱な気分になってしまう。
でも、これは日本の歴史に大きな影響をあたえている。
それに、平安時代の日本人が地獄とはどんな世界だと思っていたのかを知ることも興味深い。
ということで、中国のお寺の立体壁画をかりて地獄について知っていこう。

この写真は、往生要集に書かれている「等活(とうかつ)地獄」をイメージさせる。
獄卒(獄吏)が鉄杖や鉄棒で頭から足まで打ち砕くので、体は砂の塊のように粉々になってしまいます。また、鋭利な刀で料理人が魚をさばくかのように肉をきれぎれに割かれてしまいます
(日本人の死者の書 往生要集の〈あの世〉と〈この世〉 NHK出版)
身体を刀で斬り刻まれたら、それで終わり。
というわけにはいかない。
これが地獄が地獄である理由なのだけど、生き返ってまた同じ苦しみを受けることになる。
そこに涼しい風が吹いてくると、もとのように生き返り、目覚めてまた責め苦を受けます。
(同書)
斬り殺されても風が吹いたらよみがえって、また身体が斬られる苦しみを与えられる。
そして、小さな肉片になっても、また風が吹いたら生き返って・・・。
ということをずっと繰り返す。
考えただけで背筋が寒くなる。
「等活地獄」の「等活(とうかつ)」とは、「等しく活(よみがえ)える」という意味。
死んでも、またよみがえってしまう。
つまり、死にたくても死ぬことができない。
終わりが見えないから、確かにこれは苦しい。
ただ、気の遠くなるほどの時間、苦しみを受けながら過ぎれば、輪廻によってまた別の世界に生まれ変わることができる。
下の写真では、死者が虎に喰われている。

これは往生要集の地獄に描かれている「不喜処(ふきしょ)」という場所を連想させる。
*嘴は「くちばし」
大きな火炎が昼も夜も燃えさかっているといいます。熱い炎の嘴をもった鳥や犬・狐がいて、すさまじく怖ろしい声でうなり、罪人を食いちぎるので、骨や肉が散らばっています。
その骨のなかを堅い嘴をもつ虫が行き来して髄を喰らいます。生前に貝を吹いたり鼓を打ったりして、鳥や獣をおどして殺した者が、この地獄に落ちます。
(同書)
生きているときに鳥や獣を殺したから、地獄で鳥や獣に喰われる苦しみを受けている。
仏教の考えでいう因果応報であり、自業自得だ。
それにしても、動物に身体を喰われてしまった後に、虫に骨の髄まで喰われてしまうというのは徹底している。

でもご安心を。
善いことをしていたら、必ずこのような天界に行くことができる。
でも、今いる人間界も上から2番目に良い世界だから、この世に生まれてくれたのはかなりラッキーなことだ。
それを「有り難い」という。
死後、自分がどこに行くかは、あなたが決めること。
今日、自分がしたことによって、死後に行く世界が決まってくる。
それが仏教の教えだから。
もちろん、信じる信じないはあなた自身ですよ。
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