日本と中国の仏教③すべての原因「業(カルマ)」とは何か?

 

今回の内容

・苦しみの理由は?
・業(カルマ)について
・すべては業(カルマ)

 

・苦しみの理由は?

中国旅行で現地ガイドにお寺に案内してもらった。

その寺のお堂に入って思わず息をのむ。
壁にびっしりと、地獄の世界が像を使って描かれていたのだ。
その地獄の様子があまりにリアルで、一瞬、言葉を失った。

そして、その寺の地獄の世界と「日本の死者の書」といわれる往生要集(おうじょうようしゅう)に書かれている日本の地獄とを合わせて、「地獄とはどんなところか?」というこを前回書いた。

今回はその続き。

 

この閻魔(えんま)王から「おまえは地獄行きだ」と言い渡されたら、地獄に行くことになる。

 

これが地獄の世界。

ここに載せるのは写真だけ。

 

 

 

・苦しみの理由は

こんな耐えがたい苦しみを与え続ける地獄の獄使(鬼)に対して、死者は「もうやめてほしい」と懇願(こんがん)する。

大王の獄吏よ。あなたはどうして慈悲の心なく、心静かでないのでしょうか。わたしは哀れみを受けてもよい者です。どうして悲心をくだされないのか。

(日本人の死者の書 往生要集の〈あの世〉と〈この世〉 NHK出版)

 

これに対して獄吏はこう答える。

おまえは自分の愛欲に迷って悪と不善をおこない、いま悪行の報いを受けている。どうして私を恨むのか、おまえは自分で悪行をなし、愛欲にだまされたのだ。そのときに悔いず、今になって後悔しても、もう遅い。

(日本人の死者の書 往生要集の〈あの世〉と〈この世〉 NHK出版)

 

この獄卒が言っていることは、「因果応報」という仏教の教えだ。
善いことをすれば善い結果、悪いことをすれば悪い結果が返ってくるという因果応報。

 

自分が生きていたときに悪いことをしておいて、「あなたはなんで、こんなに私を苦しめるのですか?」と言っても仕方がない。
自分がしたことが、自分に返ってきただけのことだから。

この往生要集は仏教書というだけあって、仏教の重要な考え方が他にも書かれている。

 

 

・業(カルマ)について

今までに、いつかどこかで「業(ごう)」という言葉を聞いたことがあると思う。
これは仏教の言葉だ。

人がおこなう善悪の行為のこと。
前世の業(行為)によって、現世で報い(結果)を受けることになる。

業はもとは古代インドの言葉(サンスクリット語)の「karman」を漢字であらわした言葉。
外国人と英語で話すときは、このサンスクリット語の「カルマ」で通じた。

 

この業(カルマ)は絶対的なもので、人が死んでもなくなることはない。

死によっても失われず,代々伝えられると考えられる。

百科事典マイペディアの解説

 

往生要集の「大焦熱(だいしょうねつ)地獄」ではこんな文がある。

地獄におちれば薪草のように焼かれてしまう。しかし、火が焼くのではない。自分自身の業で焼かれる。火は消すことができても、業に焼かれることを防ぐことはできない。

(日本人の死者の書 往生要集の〈あの世〉と〈この世〉 NHK出版)

 

生きていたときの自分の行ない(業:カルマ)が、地獄の炎になってあらわれる。
一見すると、炎によって焼かれているように見えるけれど、実は自分の「業(カルマ)」によって身体を焼かれているのだ。

だから、誰にもどうしようもできない。

これは仏教でいう「自業自得」のこと。

 

 

・すべては業(カルマ)

ここまで地獄について書いてきた。

地獄におちると、獄吏(鬼)によって言語を絶する苦しみを与えられる。

でも、本当は違う。
自分が過去にした行い(したこと・言ったこと・思ったこと)の結果、今苦しんでいるだけ。
獄吏ではなくて、自分の業(カルマ)によって苦しめられているのだ。

無限地獄に向かう死者に、閻魔王の使いがこう言っている。

これから無限の時を、おまえは大火に焼かれて過ごす。すでに悪をなし、いまさら何を悔いるのか。悪神や魔物のせいではない。業の網がおまえを捕らえたのだ。おまえを救える人はいない。

(日本人の死者の書 往生要集の〈あの世〉と〈この世〉 NHK出版)

 

この往生要集に出てくる「業の網」とは、カルマの法則といっていいと思う。

死後、自分が地獄に行くかどうかは、悪神のせいでも魔物のせいでもない。
閻魔王が決めることもできない。

すべては、生きている時に自分が何をしたか?

具体的に言ったら、今日、自分は何を思い、何を言って、何をしたか?
人を傷つけるような言葉を言ったり、態度を示してなかっただろうか?

そのすべてが業(カルマ)となって、いつか必ず自分にかえってくる。

そしてその業(カルマ)によって、自分の来世が決められるのだから。

ここでは詳しくは書かないけど、仏教とキリスト教の違いを知りたかったら、この仏教の思想である「業(カルマ)」を頭におきながら、聖書の「ヨブ記」を読んでいるといい。

 

仏教の場合は、自分が過去にしたこと(業:カルマ)によって苦しむことになる。
それに対して、キリスト教の聖書に出てくる「ヨブ」という人は、まったく悪いことをしていないのに、「神の意思」によって苦しみを与えられている。

これを読むと仏教とキリスト教とでは、考え方が大きく違っていることがよく分かる。

業(カルマ)が人を支配するか?
神が人を支配するか?

さあ、どっちだろう?

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。