インドのカースト(ヴァルナ)がどうやって生まれたのか?
そしてどのように現在まで続いてきたのか?
前回そのようなことを書いてきた。
今回はこのカーストによる差別を書いていきたい。
ヒンドゥー教のカースト(ヴァルナ)には、「バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ」の4つがある。
この辺のくわしいことは、前回の記事を見てください。
この4つのカーストに入っている人たちは、「カースト・ヒンドゥー」と呼ばれていた。
でも、このカーストに入ることができない「アウト・カースト」と呼ばれていた人たちがいた。
こうしたアウト・カーストの人たちの呼び方はいくつかある。
「アンタッチャブル(不可蝕民)」・「パリヤー」・「ハリジャン」などなど。
不可蝕民というのは、ヒンズー社会の最下層級であり、太古の昔からカーストヒンズー(不可蝕民以外のヒンズー教徒)によって、『触れるべからざるもの』として忌避(きひ)されてきた
(アンベードカルの生涯 光文社新書)
「カースト(ヴァルナ)による差別」とは、おもにカースト・ヒンドゥーの人たちがアウト・カーストの人たちに対しておこなった差別のことだろう。
バラモンがクシャトリアに対しておこなった差別というのは聞いたことがない。
こうしたアウト・カーストと呼ばれ、差別されていた人たちの生活は、とても厳しいものだった。
住居も、町や村外れの、不潔な、生活用水もない場所に定められ、木の葉や泥以外の家に住むことができず、その暮らしは家畜以下であった
(同書)
この文を読んで、インドの「ブージー」という都市に行ったときのことを思い出した。
その都市の周辺には、カラフルな衣装を着た人たちやかわいいデザインをした家がある。
インターネットでその村の写真を見てすぐに行きたくなった。
「地球の歩き方」には、地図に都市名だけしかのっていない。
それでもブージーへ行くことを決めた。
*今の地球の歩き方には、ブージーのページがあるから行きやすいと思う。
ブージーでは車をチャーターして周辺の村をまわることにする。
宿のスタッフに、車とドライバーを手配できるかを聞く。
「NO PROBLEM!お安い御用だ。一日でいいのか?」
と、簡単に引き受けてくれる。
インドでは、引き受けるだけなら何でも簡単に引き受けてくれる。
宿のスタッフのおじさんとは、この後チャイ(ミルクティー)を飲みながらいろいろ話をしていた。
そのとき彼がこんな質問をしてくる。
「明日は、どこに行くんだ?」
「この都市のまわりに、きれいな服を着た人たちが住んでいる村があると聞いたから、その村に行きたい」
とボクが言うと、そのスタッフの表情が険けわしくなる。
「それはできないな。なんだ、オレはてっきりブージーの中を車でまわるのだと思っていた」
それでなぜか、車のチャーターの話は断られてしまった。
なんでそれができないのか?
「外国人がその村に行くことは禁止されている、ということなのか?」
「普通の車では入ることができないところに、その村があるということなのか?」
どっちも違った。
宿のスタッフはこんなことを言う。
「そこは、低カーストの人たちが住んでいる村なんだ。だから、オレはそこには行くことができないんだ」
つまり、彼はその村人たちより高いカーストの人間だからその村に行くことができない。
ということらしい。
はっきりいえば、低いカーストの人の村に行くと自分が「穢(けが)れるからイヤだ」ということだろう。
このとき、彼がその村の人たちのカーストを何と言っていたのかは思い出せない。
でも、「アウト・カースト」のことだったと思う。
彼ははっきりこうも言っていた。
「オレは彼らを見てもいけないんだよ。でも、イスラーム教徒だったら大丈夫。だから、イスラーム教徒のドライバーをさがしてみるよ」
これを聞いて驚いた。
もう目が点という状態。
「自分は低いカーストの村に行くことができないし、その村人を見ることもできない」
「ヒンドゥー教徒のドライバーならダメだけど、イスラーム教徒のドライバーなら問題ない」
もうすべてが日本の常識を超えている。
でも、ここではこれが当たり前の常識。
少し話が横にそれる。
このインドのカースト差別と、イギリスの人権思想とが「ぶつかった」ときがあった。
インドはかつて、大英帝国(イギリス)によって植民地支配をされていた。
そのイギリスの統治下にあった1895年に、インドである事件が起こる。
インドのムンバイ(旧ボンベイ)で、アウト・カーストの子どもが公立学校に入学しようとしたところ、その学校の校長から入学を拒否されてしまう。
その校長は、「穢れたアウト・カーストの子どもが学校に来ては困る」と思ったのだろう。
でもこれはこの校長だけではなくて、当時のヒンドゥー教徒がもっていた常識だったと思う。
すると、イギリスのボンベイ政府は次のような声明を出した。
カースト、人種を理由にいかなる階級の人間に対しても教育の機会を拒否する公立学校には、政府の援助をあたえない
総ての公立学校はその全臣民(その頃、インド人は英国王の臣下として扱われた)に対し差別することなく開放すべきである
(アンベードカルの生涯 光文社新書)
キリスト教徒のイギリス人にとっては、バラモンもクシャトリアもアウト・カーストも関係ない。
ヒンドゥー教のカースト(ヴァルナ)制度なんてまったく意味がない。
インドのすべての人が大英帝国の国民(臣民)になる。
だから、特定の子どもを学校に入学させないということは、イギリス人の人権感覚とは合わない。
でも、カースト・ヒンズーのインド人はこの指令を無視し、アウト・カーストの子どもの入学は認めなかった。
植民地支配は間違ったことではあるけれど、こうしたことを考えると、そのすべてを否定することはできないと思う。
長い歴史や伝統によってでき上がった価値観や考え方は、それとはまったく関係のない外部の強い圧力がないと変えられないこともある。
植民地支配というのは、そうした二面性をもったものだろう。
このインドの学校で起きた問題と似たことが明治時代の日本でもあった。
江戸時代に差別されていた人たちが、明治になってから学校に入学しようとしたところ、ある親がこんなことを言い出す。
「うちの子どもを、そんな子どもと一緒に学ばせることはできません!」
それを知った知事が激怒する。
怒った知事は自ら生徒となって入校し、同じクラスの部落の子供と並んで座り授業を受けました。理に適った威厳ある示威行動の結果、身分差別は消滅へと向かっています
「日本紀行シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー (講談社学術文庫) 」
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差別は、完全にはなくならないが
平和な時代を再び訪れる事を祈るばかりです。
そうでうすね。
差別が完全になくなることはないと思いますが、カースト制度による差別は減っているそうですよ。