コロナが流行してから日本では、「自粛警察」や「マスク警察」などいろんなポリスが登場した。
正義の立場から悪を裁くというのはサイコーに気持ちがいいし、 良心は痛むどころか後押しするからこういう人たちは限度を知らない。
「早く閉めろ」と店の入り口に貼り紙をして回ったり、マスクをしていない子どもにいきなり怒鳴りつけて世間のひんしゅくを買っている。
正義を自称する人間がいつの間にか「闇落ち」するのはよくある。
いまの日本社会にはいろんな「警察」がいるのは知っていたけど、さいきん着物好きが集まるSNS上のグループを見ていたら「着物警察」というワードを発見。
ニューヨークで外国人モデルが着物を着て歩くファッション・ショーがおこなわれて、その様子を見た着物警察が一斉に出動したらしい。
まずはその動画をどうぞ。
この動画に付いたコメントを見ると、以下のような批判的な意見がほとんど。
・せっかくニューヨークコレクションでやるのなら、本物を魅せてほしかったです。
・単に着物を着るだけでなく、着物を着たときの「たたずまい」も見せてほしかった。秋冬の和風外套を羽織った、訪問着や小物を持ったたたずまいは素敵ですよネ。
・悪いけど、この様な見た目の艶やかさだけで勝負する場に着物は合わない。着物は着る人の中身や態度が伴ってはじめて”着物”になる。
・最悪だ、こんなファッションショーならして欲しくないですね。
・正直言って、目を覆いたくなるデモンストレーション。 何一つ、和服の美しさを見せる、着付け、動作が醜い。
圧倒的な支持を集めるのはこんなコメントで、反対者はゼロという世界
ボクは着物の着付けについては何も知らないけど、袖付けから二の腕が見えたときは「コレジャナイ感」はした。
でもこの史上初の試みには賛成だ。
いま日本では少子高齢化が進んで着物の需要が減りつつあるのだから、海外にアピールして着物に関心を持ってもらって市場を広げないとこの日本文化は停滞してしまう。
それならギリいいけど、このままだと着物文化は消えていくだろう。
2019年に京都旅行に行ったとき、老舗旅館の女将がそんな話をしていたのを思い出す。
着物に対する思いは人によって違うから、こう言う人を「着物警察」と呼んで批判的に見る人もいて、今回はたまたま、着物のコラムを書いている「蝶一」さんという人がSNSの着物グループにこんな問題提起をしていたのを見つけた。
今のまま着物文化が衰退していけば良いと考えるなら、イエスでしょう。新しい試みを行わないならば、現状より良くなることはないからです。
でも批判をしている着物警察さん達はそれを望んでいるのでしょうか。
なかには着物を着て歩いている日本人を呼び止めて、「その着方は間違っている!」といきなり批判を始める着物警察もいるらしい。
自分の価値観を絶対視する人間には、社会常識というものが通じない。
着物警察に批判的な人の意見を見ると、こうしたファッションショーの現場ではモデルが支度できる時間は1時間ほどしかないため、これだけの人数に日本と同レベルの着付けやヘアセットをおこなうことは不可能で、この着付師やスタイリストには尊敬しかないという人がいた。
ヨーロッパで着付けをしている日本人も、「フランス人100人に着せたことがあると思いますが、裄も丈も幅も全てが足りないし、大股で腰ふって歩くし🤣それを否定したら何も始まらない、何も出来ないですよ。」と言う。
ほかにもこれはプレタ(既製品)のショーなのに、着物警察の人たちはクチュール(オーダー)の考え方で見ているから、そもそもが的外れと指摘する人もいる。
右前と右前の間違いならすぐに直せるけど、「美しい着物の歩き方」なんて言い出したら、それを習得するには日本人でさえかなりの時間がかかるらしい。
こういう人たちの考え方は柔軟性があって現実的で、ポリスとは対照的だ。
「着物を着るだけでなく、着物を着たときの「たたずまい」も見せてほしかった」
「ニューヨークコレクションでやるのなら、本物を魅せてほしかった」
この願いは無茶ぶりを超えている。
こう書き込む人は現場を知らないし、自分の脳内空間に閉じこもっているのだろう。
着物を世界に広がることと日本の伝統的な着物文化を守ることは目的が違うから、やり方が異なるのも当たり前。
そもそも着物は、むかしの日本人が中国の服を独自にアレンジして生まれたものだ。
中国との違い③日本人の強み「変える力」唐の着物を日本の文化に
kimonoと着物は分けて考えて、共存共栄を目指した方がいい。
「日本の文化は自分が守る!」と思っちゃってる融通のきかない着物警察の言うとおりに世の中が進むと、世界の共感や理解を得られず、日本の文化が消えてしまいかねない。
こういうポリスや事情通がいるのはいろんな分野にいる。
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